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ファミコンソフトに刻まれた名前
ブックオフなどで中古のゲームソフトを漁っていると、たまに名前が書かれているソフトに遭遇することがある。
大抵はファミコンソフトの裏面に貼ってある注意書きのシールの上や、ソフト上面のタイトル部分に、たどたどしい子どもの字で書かれている。
買ってもらったのが嬉しくて、これはボクの宝物だと主張するようなその可愛らしい字を見つけると、ほっこりと温かい気持ちになる。買わないけれど。
私の家のファミコンソフトにも名前が書いてあったが、それは私が書いたものではない。母が書いたのだ。
私としては「書かれてしまった」と言う気分だった。友達に見られるのが恥ずかしいのである。当時の友達の中で、名前を書いている人はいなかった。何も書かれていない無垢なソフトを見て、きれいでいいな、と思っていた。
母は快活で豪気な人だったが、それは虚勢だった。本当は心配性で小心者なのだ。私が遠足に行くとなれば、天気予報が快晴でも傘を持たせたし、修学旅行では、盗まれても大丈夫なようにと、財布を三つ持たされ、少しずつ分散して入れておくように命じられた。
中学生になって、友達と町に買い物に行くとなった時は大変だった。財布の分散はもちろんのこと、電車が脱線したり、車が歩道に突っ込んできたりすることまで考え、私を説得し、行かせまいとした。
流石に私もうっとおしく感じて反発するようになったが、その時母は決まって言うのだった。
「忠告したからね。何があっても知らないから。言うこと聞いてればよかったって思っても遅いからね」
今思えば、ほぼ脅迫である。だが私も気が弱いほうだったので、少なからず不安を掻き立てられたのであった。
さて、小学生の頃に話を戻すが、心配性の母は全てのファミコンソフトに名前を書いた。いや、彫った。帳綴じと呼ばれる錐のようなもので、夜な夜な私の苗字を彫り込んでいたのである。
大抵はソフトの上部に刻まれていたが、タイトルのシールが貼られているタイプの場合は、裏面のプラスチック部分に彫られていた。若干の美意識はあったのかもしれないが、彫っている時点で何かがズレている。
私は母に抗議した。恥ずかしいからやめてくれ、せめて、サインペンにしてくれと。
だが、母は「ペンなんかベンジンですぐ消せる。これなら絶対盗まれない!」と言って取り合わなかった。
ついでに、持っていた攻略本にも名前を書かれた。こちらは彫り込むわけにはいかないのでサインペンだったが、小口部分に書くと言う離れ技を使い、消されることを防いでいた。
何が母をそう駆り立てたのかわからないが、被害はファミコンだけで、スーパーファミコンになる頃には落ち着いたようでホッとした。
そんな小心者で疑い深い母ではあったが、以前書いたように、私の所有していたファミコンソフトはほとんどが母が会社の同僚にからもらってきたものだったので、それに自分の名前を平気で彫り込めるメンタルは、やはり豪気と言えるのかもしれない。
中古ショップで名前が彫り込まれたソフトは未だ発見できていない。毎回真剣に全てのソフトをくまなく見ているわけではないが、もし見つけたら興奮すること間違いなしだ。思わず買ってしまうかもしれない。
その時には、母にも見せてやろう。