太宰治と引っ越しと
引っ越しの準備をしていると
思いのほか、自分の内側が見えてくる。
モノに対する思い入れが
尋常ではないことにあらためて気づく。
値段の高低にかかわらず
洗濯機からキーホルダーにいたるまで
ありとあらゆるモノに感情移入してしまう。
かといって、その寿命が尽きるまで
丁寧に使うかというとそうではない。
だって一点モノだから…
だって目が合ってしまったから…
いろんないい訳を繰り出して
次から次へとモノを買う。
処分するなり、誰かに譲るなり
サッとできればいいのだが
なにしろモノに対する思い入れが激し過ぎて
やすやすと手放すことができない。
苦楽を共にした仲間を見捨てるような罪悪感と
もう二度と同じ時間を共有できない寂寥感に
苛まれるのだ。
その結果、溢れたモノ達を管理できずに
モノ達に縛られ肩身の狭い思いをしながら
生活している。
自縄自縛とはこのことか。
自分のセンチメンタルな感情に
向き合わなかったツケを
今、家の片付けをしながら
いっきに支払っている。
もちろん利息込みで。
先日、ドラマ化された太宰治の
「 グッド・バイ 」をみた。
私は太宰治が苦手だ。
作品も人となりも。
ハッキリとした理由は自分でも分からない。
なんとなく苦手なのだ。
本好きの友人との会話の中で
太宰治が好きかという話題になったとき
うーん。苦手かな。
と、私。
なんで苦手なん?と聞かれると
優柔不断でナルシスト全開みたいな…
なんかウジウジしててイラっとする…
ボンヤリ感じている
それらしい理由を
モゴモゴと答えた記憶がある。
30分程度の短編だし
「 グッド・バイ 」読んでなかったし
まぁ、寝るまでの時間つぶしに丁度良いわと
ウトウトしながらみてみたけれど
案の定、
勝手に愛人いっぱい作って
自分が別れたいクセに
いざ別れるとなったら泣き言ですか?
やっぱり太宰治って…
モヤモヤが膨らみ過ぎて眠気が去り
頭がシャッキリしてきたとき、
突然、なぞなぞの答えが分かったみたいに
私が
太宰治が苦手な理由を
ハッキリと理解した。
いつかまた太宰治が好きか、と聞かれたら
そのとき私はなんて答えるだろう。
前は苦手だったけど、今はちょっとおもしろいと思う。
と、笑って答える自分になっているのか。
それとも、まだ
うーん、苦手。
と、答える自分で居続けているのか。
どちらにせよ苦手な理由はちゃんと言えるようになった。
私自身が持て余しているどうしようもない部分をこれでもかと見せつけられるから。いわゆる同族嫌悪ってヤツね。
妙にスッキリした気分になり
粛々と片付けを始める。