La luna e i falò (2)
La luna e i falò / Cesare Pavese (Einaudi, 208ページ)を今日は第12章の68ページまで読みました。
前回読んだところ以降の新しい人物、Valino, Cinto, Cavaliere。
Il Valino、60歳くらいの小作人。主人公の「私」がかつて住んでいた家に今住んでいる。自分が育った家の中を見てみたい「私」だけど、彼は警戒心が強くて家の外でなら会話を交わすけど”non mi disse se salivo con lui a bere un bicchiere”「うちで一杯やらないか」なんてことは言ってくれない。男やもめ。その息子のCintoは10歳くらいで骨の育ちが悪く片方の足を引きずっている。「私」はもし自分が村に残っていたら、今はValinoのようになっていたのではないかと思い、Cintoには自分の幼い頃の面影を見る。Valino親子の惨めな暮らしを見て、Cintoは自分と同じように村を出るべきではないかと考える。
Il Cavaliereと呼ばれるかつての村の名士。親の代まではそれなりだったけれど、持っていた屋敷も田畑もほとんどを手放してしまった。彼の息子はギャンブルと女性との揉め事で戦争の前に自殺。僅かに残った土地に植えた松の木を大切にしている。それなりの財をなして故郷に戻った「私」は、頻繁に土地を買わないかと声をかけられていたので、Cavaliereに話しかけられた時にもまたその手の話かと思うのだが、Cavaliereは自分の名前が唯一残った土地を売る気などなく、ただそれを見て欲しいと言う。
村を流れる川岸から遺体が一つ、二つ、三つと掘り起こされる。最初の遺体は、ドイツ人、その次に見つかった二つの遺体はファシスト側のイタリア人のよう。その二つの遺体は、パルチザンによって惨殺されたのだと人々の口に上がる。
タイトルにもなっているLa luna(月)とi falò(篝火)についても第9章以降に出てきた。どちらも村に伝わる迷信。ワイン樽を洗う日、松の木を切る日は月の満ち欠けに合わせてやるべきだし、篝火をたくのは、痩せこけた大地を活性化させるためだという。村を離れていた「私」はそれを迷信だと一笑に伏すが、何事も現実的な視点を持っているNutoは、ここではそうではない。
人に対して悪事をするのが「迷信」なのだと。もし誰かが、月と篝火の言い伝えを農民から搾取したり彼らを暗闇に閉じ込めておくために使うとしたら、それはそいつが無知であって、広場で銃殺しなくちゃならないんだ、と。
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