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登園拒否の年中さんへの対応。※私の場合

子育てに「正解」はないと言われている。それを頭では理解していても、実際に我が子を前にして選択を迫られると、「これで本当に良いのか」と自問自答することばかりだ。

特に今、保育園を嫌がる息子への対応をどうすべきか悩んで…結果たまに休ませている。というかサボらせている

よく耳にするのは、幼児期は生活習慣を身につけるために無理にでも通わせた方が良いという意見。保育園の先生や相談先の方々もそう仰るし、実際にそれが概ね正解と思う。

けれども、我が子に関してはどうしても「正解」と思えない部分があるのだ。

休むという選択と「母の勘」

保育園の環境自体に問題があるわけではないと思う。先生方はとても優しく、一生懸命それぞれの子どもを理解しようと努めてくださっている。息子にも仲良しの友達がいて、楽しそうに遊んでいる姿も見える。先生方はみんな嫌がるのは同じだし、うちの息子はきたら楽しく遊べてます。と仰る。

しかし、私から見た息子はとにかく繊細で、悲観的になりやすい。心臓の素材はカバーガラス並みの薄さだと思う。ちょっと指で押しただけで割れそうだ。
なので息子なりに本当に行くのが嫌なんだと感じる。

そのため「ただ家でのんびりしたい」だけなのか、それとも「保育園が嫌」なのか、原因を断定することが非常に難しい。肝心の子どもに聞いても、無言で答えは返ってこない。

私自身、非常に疲れやすい特性を持っている。しかしそれを自覚したのは30代半ばになってからだ。うつとADHDの診断を受け、自分が普通の人よりも疲れやすいのだと知った。

もしかしたら息子も同じような特性を持っているのではないか。それが「母の勘」だ。

大学時代、私は部活と授業の両立ができず、休みがちになり必修単位を落としたことがある。社会人になっても、休日は寝て過ごすのが常だった。

もし息子が同じ特性を持っているなら、無理をさせ続けることで壊れてしまうかもしれない。「たまに休ませる」という選択肢が、息子にとっての逃げ道になり、自分を守る方法を学ぶきっかけになるのなら、それも一つの方法なのではないかと思う。

子どもに「逃げ道」を作りたい理由

私自身、学校にいい思い出がない。小学校では先生にきつく当たられ、中学校では同級生に嫌な思いをさせられた。軽くても、今振り返るとあれはあれで「いじめ」だったと思う。

それでも、「学校を休む」という選択肢は考えたことがなかった。どんなに辛くても行くのが当たり前だったからだ。

今振り返れば、無理をしてまで通ったところで、何も良いことはなかった。私は息子にそんな思いをさせたくない。

休むという選択肢があることを知り、自分を大切にしてくれない環境からは逃げていい。辛いならその場を離れてもいい――そういう知識を、息子に持ってほしいと思うのだ。

「自分には理解者がいる」という安心感

この決断で私が願うのはただ一つ。いつか息子が困ったときに「自分には相談したら分かってもらえる人がいる」と感じ、悩みを打ち明けてくれることだ。

世間の「こうすべき」に従うよりも、息子を見て感じる「母の勘」を信じたい。

私は完璧な親ではないし、将来息子から毒親だったと思われるかもしれない。それでも息子が迷ったときに寄り添い、理解し、共に考えていきたい。
そして人生のどこかで「まあ、この親で良かったな」と思ってもらえたら何より嬉しい。

この文章を読んでくださる方に、私の行動を勧める意図はありません。ただ、こういう事例があるということを知っていただき、「何か」になると良いと良いと思います。

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りりね
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