キンワカ60分を永久保存させよう。
2022年1月2日
ニッポン放送の特別番組、「欽ちゃんとオードリー若林のキンワカ60分」が放送された。
コント55号とオードリー
萩本欽一はかつて一世を風靡したコント55号のツッコミ担当だ。コント55号のコントにはいわゆる脚本が存在せず、設定やら衣装が決まっているばかりであとはアドリブで行うことがほとんどだった。相方は坂上二郎。昭和のお笑いの代表である。
一方、若林正恭はオードリーのツッコミ担当、ボケの春日俊彰とのコンビである。彼らのお笑いスタイルは主に漫才。「ズレ漫才」というジャンルを切り拓き、2008年のM-1グランプリで準優勝を果たした。その後、ブレイクしその人気はとどまることなく現在に至る。
欽ちゃんの「欽言」が連発!
番組は対談形式で進行し、若林さんの質問をきっかけに欽ちゃんがそれに答えながらまさに即興漫才のごとく軽快にトークが繰り広げられていく。
欽ちゃんの発言には名言が多く、それを「欽言」と称して世の中に出回ることがある。まさにこの番組ではその欽言が連発される貴重な放送で、これは永久保存版にすべき放送だと思うし、ギャラクシー賞も取るのではないだろうかと私は思う。
特に私が感銘を受けたというか考えさせられた「欽言」が
「苦労をすべき」
このような類いの名言はどこにでも転がっているじゃないかと初めは思った。しかしこれらの名言は名言だけが一人歩きし、肝心な中身、解説の部分が明らかになっていないことが多い。
欽ちゃんはその解説をしてくれて、それで初めて納得できた。
欽ちゃんは世の中に出るまでに16年の下積み時代があったそうで、その後の活躍は下積みをした分の16年で一旦切ることを決めていたらしい。それは自分が活躍できたのはたまたま運があったからだと、その運を苦労で溜め続けた16年は頑張って、その後はまた別の苦労をすることで運を溜めていくことに専念すると決めていたらしい。だから、野球チームを組んだり、大学に入学したりして新しい挑戦に取り組み続けていた。
すごい話だと思った。
感覚的な話で申し訳ないが、仏教ぽさも感じるというか、16年、16年の合わせて32年で一周するという輪廻的な話だと思った。
現代は良くも悪くも選択肢の幅が非常に広い。故にいろんなことに目移りしてしまうが、すぐに職を変えたり、物を買い替えたり、何事においても回転の速さが良しとされているように思えるが、バチッとはまったものに関しては何事も続けることが大事であるということと、それなりにうまくいった時にいつまでもそのいい湯に浸かり続けるのではなくて、次の熱湯に入ることも大切なんだということ欽ちゃんの発言から学ぶことができた素晴らしい放送だった。
欽ちゃんと我々との接点
欽ちゃんというと僕らの世代では仮装大賞がドンピシャの世代だった。それ以降はなかなかバラエティに出てくる機会も少なくなったために、我々に近い世代(20〜25歳くらい)がギリギリ欽ちゃんを知っている世代ではないだろうか。
もっと遡ると、バリバリにコントやバラエティをやっていた時代があったわけだ。ギンギンにやってる姿をYouTubeに上がってる動画で見ることができる。違法アップロードなので推奨できないが、
今見てもめちゃくちゃ面白い。お笑いの真の姿がそこにあるように思える。現在のお笑いはいろんな装飾、バリエーションがあって何が面白くて何が面白くないかがはっきりと分かれるような時代。コント55号はその隔たりが感じられない全ての世代が笑えるコントをやっている。同時期のドリフターズもそうなのかもしれないが、よりネイキッドなのはコント55号なのかもしれない。
お笑いに限らず、全ての物事には源流があって今がある。それはだいぶ幅を広げ、バリエーションんが豊かになっているものが多く、経済性や芸術性などの観点から隔絶してしまうことが多くなっている。しかしそれは元を辿れば一つだったはずで、それを知ること、学ぶことは重要な要素であるに違いない。温故知新という言葉があるが、まさにそれ。
ギャラクシー賞だな。これ取れなかったらおかしいよ。マジで聴くべきだと思う。