22.3.20 「攻撃的な言葉」と「叱る言葉」は違う
こんばんは、多部栄次です。
毎日日記やっていきましょう。
やっぱり厳しい言葉や叱る言葉も必要だなと身をもって感じた日でした。ハラスメントとはき違えたらダメですが、人によってはガツンと強く言わないと響かないこともあるんだなと。僕ですね。でも凹みやすいのでもうちょっと弾性力を高めたいですね。自分は塑性が高すぎる気がします。
そういう人に対して世の中優しくなっている感じはしますので、良い時代に生まれたなと思う一方、これでいいのかなと不安を感じます。打たれ弱いゆとり世代ではありますが、このまま生ぬるい状態が続いていいのかと思ったりします(学校や部活、バイト先、学部時代や研究室などあらゆる環境でパワハラやアカハラ、モラハラなどいろんなハラスメントを受け、いじめに遭い、就活や家庭で厳しい目にはあい続けていますが、それでもまだ甘い方なんだろうなと考えたりします。いやいじめやハラスメントは絶対ダメですけど)。まぁ言いたいのはそういうのを抜きにして、自分の成長に繋がる苦労や痛みを知っていきたいなと思っています。説教や叱りにはどうしても感情が入ったり、相手を傷つけてしまうリスクもあるので、僕みたいな繊細さん(自分で言うか)だと難しいんですよね。毎回壊れては継ぎ接ぎに直してはいますが。それでも自分に説教が必要だと感じている時点でマゾなんだなと思ったりします。
正直叱られたくはないですけど、未熟から脱して豊かな大人になるにはそういう苦汁を呑む日々を送らないといけない気もしています。必要な苦労は人から強いられるものでもありませんが、人から言われないと気づけないことだってあります。果たして言わないことが本当に優しいのか。難しいところではあります。人と時と場合によって成否が異なるのですから。
少なくとも、自分は成長に繋がるなら言った方がいいと思います。でも、言い方に最大限気を遣うべきだと考えています。でないと伝えたいことも伝わりませんし。だからといって遠まわしで臆病な言い回しだとそれもそれで伝わりませんし。はっきり言うけど、攻撃的でない言い方で。難しいですね。
あと言われるときも、感情を殺して聞くようにはしています。それでもトラウマに対しては急に小学士時代の自分に戻りますが。これなんとかしたいですね。僕の場合、心の中でその人殴ったりすることも躊躇って自分を責めるので、まず責めることをやめたいと思います。自分の嫌なところを切り離して貶めるって、短期的ではありますが楽なんですよね。一種の逃げでもありますけども。そういうことをせず、ちゃんと受け止めないと、いつまでもこのままなんだろうなと感じたり。逃げ続けて、隅に追いやった結果、膨れ上がって自分の心を壊してしまいましたが。いや壊れかけたの間違いですね。本当に壊れたら今こうして日記書いてませんし。
ある意味、自分を保てたのはこの日記をつづけたからだと思っています(いきなり話題かわる)。継続できない自分もコンプレックスだったので、この日記だけでも続けないと本当に自分が嫌いになると思ったので、どんなときでも必ず毎日続けました。
おかげで130日以上続けられています。これからも続けます。365日続けたいですね。
それではおやすみなさい。明日も良い一日を。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?