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アメリカのクリスマスディナー

アメリカに到着して最初の夜が明けた。クリスマスだ。雪が降っていなかったと思うが、雪景色だった。

叔父はメキシコ人の医学博士で、大学教授だ。叔母(母の妹)は仕事はしていなかったが、非常にIQが高い人だと、母から聞いたことがある。2歳のいとこは可愛らしい女の子。私のホームステイ先の家族である。

叔父の家は、庭付きの2階建て木造の白い家で、私に充てがわれたのは道路に面した窓のある部屋だった。クイーンサイズの大きなベッドと勉強用の机を用意してくれていた。日本から来たばかりの私には、全てが大きく見えた。

アメリカ到着した翌日で時差ボケで疲れていたと思うが、興奮していて眠気は全くなかったと思う。語学学校に通い始めるのは、年が明けてからだったので、しばらくはゆっくりして生活に慣れようとのんびり構えていた。しかし、夕方から叔父の同僚のトムという人の家でクリスマスディナーがあり、私も招待されていると言われた。

その時、どういう反応をしたのかは覚えていない。アメリカに到着した翌日にいきなりクリスマスパーティーなんて、英語話せないけど大丈夫なのか、という不安もあったのだろうが、いざというときは叔母もいるし、大丈夫だろうという楽観的な考えの方が勝っていたと思う。

渡米する際、友人からもらった本の中に沢木耕太郎の『深夜特急』があった。香港から始まる旅の中、彼の異国での体験の描写が好きだった。だから、こういう急な展開を楽しむ余裕がその時はあったのだと思う。

クリスマスディナーの時間は夕方6時だったと思う。日本では5分前行動が大事だと学校で教えられたが、アメリカでは約束の時間より早く到着するのはimpoliteなのだと教えてもらったのはこの時だった。今思うと、私はそうやってアメリカの文化を少しずつ吸収していったのだ。

失礼のないように、程よく6時を過ぎた頃に我々一行はトムの家に到着した。立派な家だった。到着すると叔母がトムの家族に私を「He is my nephew from Japan.」と言って紹介してくれた。アメリカには昨晩到着したばかりだと説明すると、疲れているだろうとか、若いから問題ないだろう、とか口々に言っているようだったが、例のごとく、その半分も聴き取れていなかった。

一通り紹介が終わると、叔母はホストの家族とテーブルをセットするのを手伝い始めたので、私はトムの家のリビングで手持ち無沙汰になった。すると間もなくトムのご両親が私に話しかけてきた。トムのご両親は品のある老夫婦だった。私が話しやすいように、日本について質問してくれたのだと思う。私は拙い英語で北海道の雪の多さについて、説明した。カタカナを読むような私の英語を、その老夫婦は注意深く聴き、ときには困惑しながら、優しく相槌したり、驚いたりしてくれた。英語で何かを伝えられたことが嬉しかった。

ディナーの時間がきた。ホストのトム夫妻とその御子息(娘だったか息子だったか、何人いたのかも覚えていない)、聞き上手の老夫婦と、トムが教えている修士課程の学生(インドからの留学生だったような気がする)、そして我々一行は大きなダイニングテーブルを囲んだ。ホストのトムが七面鳥を切り分け、各自自分のプレートに料理をよそっていく。クランベリーソースという酸味のあるゼリーみたいなものを七面鳥の肉と一緒に食べたのが印象的だった。アメリカの典型的なディナーだったようだ。アメリカの映画やドラマの中で家族が集まってサンクスギビングやクリスマスを祝うときに映っている食事そのもののように思えた。

ディナーでの会話は、ホストであるトムが中心になり進んでいたような気がする。できるだけ聴き取ろうと努力したが、ディナー中の会話にはほとんど参加できなかった。たまに話を振ってもらった記憶はあるが、大した受け答えはできなかった。隣に座った叔母が時々通訳してくれたが、会話の内容は覚えていない。日本語だったとしても、高卒の私にはついていけないような難しい話だったのかもしれないが、やはり、自分はまだ英語が十分に話せないのだと、実感したクリスマスの夜だった。


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