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はじめての学会発表。プロセスを通じて見えてきた探究テーマをまとめます

こんにちは、ばんです。最近寒いですね!(自己紹介はこちら

さて。今日は、2025年1月時点での探究テーマについて書きたいと思います。というのが、研究機関兼コンサルティングファームであるMIMIGURIの一員として、昨年12月に初めて学会でのポスター発表をしてきたのですが、「学会発表をする」というプロセスを通じて、自分の中にあった関心が新たに言葉にできたところもありました。

ちなみに、発表の質は自己採点だと10点くらいです…が、今の自分、というかはじめてチャレンジという意味だと100点!(自分には甘く!)

12月の共創学会にて

そこで、現時点での僕の探究テーマについて、noteでも整理しておきたいなと思っています。おそらく関心が近い方がXやnoteをみてくださっていると思うので、何かしら参考になれば嬉しいです。

ここから、ざっくりいうと集団のデザインに関心があるよ!って話をします。そのため、以下のキーワードにぴんときた方はぜひ読んでいただけると嬉しいです。もしくは、「ちょっと気になる」「うちの職場でも悩んでる」という方がいたら、ぜひ一緒に意見交換できたら嬉しい…!

# 集団のデザイン
# 同調圧力
# 共有メンタルモデル
# 記号
# パワー・ランク
# 多様性、同質性と異質性
# 集団の空気


雑な発表内容のさまり

学会での発表テーマは、「観の共創による共有メンタルモデルの形成プロセスの考察」というものだったのですが、雑にいうと、個人それぞれの景色や風景を大事にしながら、集団としてのものの見方をどう形成していくのか、という内容でした。

例えば、マネージャーと一口にいっても、Aさんは「マネージャーとは、事業数値を管理して徹底させる人である」と思っていて、Bさんは「人を育成するものである」と思っている…とか、かなり個人によってマネージャーをどう捉えているか異なります。

要は、マネージャーというものをどう捉えているのか、マネージャー「観」が異なります。一方で、「観」が異なっている状態で、組織を一緒に作ろうとすると、さまざまな歪みが生まれます。表出していないだけで、大事な局面で違いが浮き彫りになり、すれ違いが解消しない…なんてことはざらにあります。

なので、個人の「観」の違いがちゃんと開かれた上で、チームや組織、集団としての「観」をつくっていく必要があるとしたらどうしたらいいんだろう?というのが、発表した内容でした。

…と、内容についてはざっくりこんな感じです。こういったテーマに関心を持っている背景や、これから考えていきたいことを書いてみたいと思います。

発表を通じて見えてきた探究テーマ

今回、この学会発表の準備を進めようとなったときに、そもそも何に関心があるんだろう?というのを言語化していきました。MIMIGURI共同代表のミナベさんとの1on1で壁打ちしてもらったのですが、僕は昔から集団に対して”怖さ””面倒くささ”を感じていたなということに気づいたのが始まりでした

”怖さ”というのは、雑にいうと「同調圧力」です。その集団の中だけで存在しているルールや価値観が強くなっていく、かつ固定化していく。共通の価値観に対して異なる見解をぶつけると対立することになる。対立ばかりしても気疲れするから、「この集団で理解してもらうのは難しいから諦めて面倒くさいからやり過ごそう…」となる。

一方で、物事にはA面・B面があります(1on1からの受け売り)。実際、大学時代の友人”集団”や、MIMIGURIという”集団”に所属していることで、集団に対する安心感や、良さを実感しています。漫画でも、ワンピースの麦わら海賊団や、スケットダンスのスケット団チームが大好きです。

怒りや違和感の裏には願いがあるのではないかと安斎さんのVoicyで言っていましたが、おそらく、ぼくは”一人ひとりの景色や風景が誰かが理解はしてくれている状態"であってほしいと願いがあるのかなと解釈しています。

ときにはケンカもしながらも、相手には相手の事情・景色があると理解していて、違いが表出したときにはお互いにそれとなく囚われが溶けて一緒に変容していく…みたいな”関係性推し”みたいなところがある。

また、同じものを見ても、経験しても、一人ひとりの景色も感じ方も違う。一人のひとでもかなり多くの側面があります。一人ひとりの景色が違う、多面性があるという、その事実自体に豊かさを感じるようになりました

できるだけ、それらを想像し合いながら集団をつくるにはどうしたらいいのか、が僕にとっての探究テーマなんだと今は思っています。

(多面性をひとつも削ぎ落とさず理解し合う…っていうのは難しいと思いますし、それはそれでしんどいと思うので、いい感じにこう…ね?なればね?いいよね的な感じのゆるさが残っております)

新たに見つかった問い

さきほどの内容を発表している中で、有り難かったのは参加者の方々からかなり多くの質問や反応をいただけることでした。また、別で、MIMIGURIのチームのみんなとインプロをしたりしたときに気づきもあいまって、そのなかで考えていきたいことが見えてきています。

❶ 集団の中での「記号化」の効用と弊害

ひとつは、「記号化」の話。集団を組成して分業して、協働していく中で、あなたは「営業」・あなたは「製造」など一定の記号化をしていく必要があります。職種だけではなく、役職や所属している部門・課、また、あの人ってこういうヒトらしいよ、など形容詞的な記号もつけていきます。

大きな集団になるほど、一人ひとりの人間の多面性ではなく、情報を削いで「記号」で処理しないと情報処理が追いつきません(チャンク化と関係しているのかな)。そのため、集団で・みんなで協働していくために「記号」というのはかなり大事なツールになります。

一方で、これによっての弊害もある。「あの人は経営者だから」「あの人は課長だから」「あいつは営業だから」…など、記号に伴っての解釈が発生していきます。それによって分断がうまれて、組織の中で対立が生じていることはかなり多い。。

また、一見よさそうだけど、「あいつはよくできるから」という記号が発生すると、その人は「よくできない」面を出しにくくなって、個人が無意識にプレッシャーを感じていたり、ポテンシャルを開きにくくなったりもする。

「仕事だからちゃんとやらないといけない」とかも、「仕事」という記号に対しての解釈で窮屈になっていくケースありますよね。

一人ひとりの風景や景色がちがう。多面性もある。そういう人間の豊かさ・面白さを受け入れたい。でも、協働するためには情報を削がないと一緒に協働しにくい。そうなると記号が必要になるが、一人ひとりの多面性や情報は削がれてしまうし、想像しにくくなってしまう。そのときに、どんな集団のデザインができたらいいんだろう?

これが引き続き考えてみたい問いの一つです。

❷ パワー / ランクとの向き合い方

もう一つは、集団の中で暗黙的に生まれるパワーです。

さきほどの記号でいうと、「経営者」という記号はパワーをもちやすいものだったり、「営業部が花形」と言われている組織だと「営業」がパワーをもちやすかったりします。「年上」の方がパワーを持ちやすいとかもそれですかね。

また、記号ではなくて、振る舞いなどでもパワーの違いが出るそうです。例えば、まったく自己紹介などをせずとも、大きくゆったり振る舞っている人の方が「上っぽさ」を感じるなど。ペットの犬が家の中で⚫︎⚫︎にはなつくけど、この人の言うことは聞かないみたいな話とも近いのかもしれません。

集団で生き残ってきた社会的な生き物の場合、関係性の中で生きていて、上下関係・優劣関係を探るというのは避けられないものなのかもしれません。

ただ、これによって集団で協働する難しさもでてきます。「経営者が言ったから正解だ」となって思考停止されてしまうことに悩んでいる経営者もいますし、逆に「下っ端の言うことなんて聞く必要がない」と言われる若手社員もいます。

パワー・ランクは、上下関係を感じつづける・嗅ぎとろうとし続ける人間の特性ではあると思うので、そういった特性を踏まえて集団をどうデザインできるとよいのか。これがもう一つの問いです。

(こちらはGTCに行く予定なので、こちらも楽しみ。)

❸ その他

あとは、なんとなく以下がキーワードかなぁ。。(雑)

  • 集団の空気

  • 異質性と同質性

  • カオスのマネジメント

おわり

さて、「長文のばん」とあだ名を昨年拝命しましたが、今年は「ちょうどいいばん」になろうと思いますのでこの辺で。(今日は3,700字程度!長くはない!長くはない!)

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます…!冒頭にも書きましたが、もしこのテーマに興味や異論持っている方などいたら、ぜひ一緒に意見を交換できたら嬉しいです。

僕も手探りで「これが正解だ」とはもちろん言えないんですが、「一人ひとりの景色や風景が開き合えるといいいな」という思いだけはずっと持っていて、これからも試行錯誤の過程をシェアしていきますので、もし興味がある人がいたら一緒にざっくばらんに話すこともしていきたいです。

それでは、また次のnoteで…!

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