組織の中の「怒り」に触れる
この記事はMIMIGURI Advent Calendar 2023、21日目の記事です。
今日のテーマは、組織において「怒り」とどうむきあうべきか?です。今年体験したエピソードと、以前の職場で僕自身が怒ってしまったエピソードを綴っています。
ちなみに、昨日Day21は昨年21回もわからなくなった田島さんの記事。
町内会でも関係性 / 組織づくりやってて、やっぱり素敵田島さんでした。
会長あってみたいなぁ。
さてさて、僕は何書こうか今ここですら迷っているけど、改めて自分が決めたnoteのコンセプトを見直したら「人間の生々しさに向き合う」だったから、今年1年の中でどんなヒトの生々しさに向き合えたのかを書いてみようかな。
今年印象に残ったシーン
今年1年を振り返ると、本当にいろんなプロジェクトをやってきた。
エンプラの組織開発、マネジメント体制構築と、ナレッジマネジメントシステムの探索、スタートアップの経営支援、プロダクトのコンセプト開発とか。事業数値策定・営業戦略策定からリブランディングまでとか。人材育成のルーティンづくりとかとか。
並べてみても本当に多様だけど、難しく探索のしがいのあるテーマを、MIMIGURIのみんなと、クライアントのみなさんと、ワンチームで頑張ってきたなぁと思う。
その中でも、一番生々しいというか、人間らしいシーンってどれだろうかなぁ…あえて一つ選ぶとしたら。。。
とある組織再生案件で、現場インタビューをしにいって現場メンバーが激怒したのを目の当たりにした時のシーンかな。
現場メンバーの怒りに触れる
ある企業の経営支援をしているときのことだった。
事業が成長し組織の規模も拡大していくなかで、経営と現場メンバーの間に信頼関係が薄くなってしまっていた。それが、事業推進上のボトルネックになっていた。
そこで僕らは、これから事業成長に弾みをかけるためにも、改めて経営と現場の関係性に目を向けようということで、社員100人にグループインタビューを実施した。
その中のあるグループで開始早々、堰を切ったように怒りの言葉を語り出した方がいた。
そのグループインタビューではいろんな部門の人もいた。そのときは困惑する人もいた。が、次第に他の人からも経営への不満が噴出するようになっていった。
とはいえ、僕らは経営チーム側の景色もよく知っていた。経営が悪意をもって現場を苦しめているわけではないことも、よくわかっていた。事業のフェーズの問題もあった。短期の戦略と中期の戦略のバランスをいかに取るか悩ましい時期だった。また、投資家との関係性など現場には見えにくいステークホルダーとの関係性の話もあった。
そしてなにより、経営側自身が「自分たちのマネジメントの成熟度が足りない…」と痛さを感じながらも自分達と向き合っていたことも知っていた。
なので、率直な想いや景色を現場メンバーから教えてもらった後、僕ら側が見ている景色を語った。現状の事業環境や組織状態や、経営の苦しみなども開いていった。
すると、グループの中では「経営がそんなに苦しんでいたことを初めて知った」というコメントや、「経営だけじゃなくて組織全体として変わらないといけないのではないか」といったコメントも出てきた。少しずつ雪解けしていった部分もあったように思う。
怒りの感情の裏側
怒っているメンバーの声や姿勢。オンライン越しにも伝わってくる、その場の「これどうしたらいいんだろう…」という空気感。あのときの雰囲気は今年もっともと印象に残るシーンだった。
印象に残っている理由は、一般的には「感情的になったこいつは悪い / 冷静に話すべきだ」と断罪されそうに感じていたからかもしれない。そして、目の前で怒っている人が悪いという話でもないんだよなぁと思っていたからかもしれない。
今回怒りをあらわにされた方は、自分なりに課題認識をもって経営に提言をしていた。3ヶ月くらい前に提言もしていたが、スルーされていた。それが起因して、怒りの感情につながっていた。現場の課題感をまとめて勇気を持って提言をあげ、その後も定期的に確認をいれていたらしい。
だが、3ヶ月が過ぎ、経営からのレスはない。メンバーのことを思っての提言だ。メンバーの痛みを提言していく中で、人としての尊厳を守りたかったのかもしれない。だからこそ、「人をなんだと思っているのか」と激昂につながっていたのではないか。
それに、そもそも声を荒げないと、それくらいのエネルギーで怒りを発しないと注意を向けてもらえない、と感じていらっしゃったかもしれない。感情、とりわけ怒りの感情は、人が注意を向けざるをえない情報だ。実際に、今回は社内でも注目を浴びる部門ではなかったため、忙しい経営としては無意識のうちに優先度を落としていたところも否めないだろう。
話は変わるが…僕が怒ったこと
この体験が印象に残っているのは自分の体験とも重なるからかもしれない。人のことばっかとやかく言わず、自分自身の生々しさとも向き合うというのが、僕が決めたnoteのコンセプトだったし、あえて自分の話もしてみたい。
あくまでも僕から見えていた景色であることを前提にしたいし、「今はすごく働きがいのある組織だ」という話を前の仲間から聞いていることをあらかじめ前置きしておきたい。
以前勤めていた組織で、とある部門リーダーのもとで働いていた時の話だ。その人は、組織内政治でこそこそと立ち振る舞ったり、陰口を叩いたり、自分の組織を抜けたメンバーに嫌がらせをしたり、人を道具のように扱っているように僕には見えていた。
部門のメンバーの多くは、何かしらそのリーダーや組織に対して違和感を感じていて、飲みにいくと出てくるのは組織への愚痴や皮肉。だけどそれを組織の中では言わない。言えない。みんな、生活もある。家族もいる。リーダーに目をつけられると、表面的にはフレンドリーな関係や姿勢を取られつつも、裏側で何をされるか、言われるかわかったものではない。部門リーダーはその状態をわかってか知らずか、自分達は「良い組織だ!」と標榜する。
そんな中で、違和感が大きくなる。さすがに組織的な違和感が大きいところは、何度かチームリーダーたちから提言も上がっていた。直接は言えなくても、組織に関する角度から手を変え品を変え、リーダー会議のアジェンダに忍ばせられたり、ときには意を決してダイレクトに入れられたり。
それでも、変化することはなかった。
いや、そもそも課題認識として分かち合うための対話自体ができなかった。
表面的には大事な論点のように扱われるものの、結局は「いい組織でみんな幸せなんだ。自分のときよりましだ」という反応で、なんとなく空中分解をしてしまっていた。まるで、「いい組織」という見方や姿勢を崩したくないように見えていた。
そんななか、あまりにも社内のメンバーを意図的に操作するように、道具のように扱われてしまっているように感じるシーンがあり、ぼくは怒鳴ってしまったことがあった。自分が正しかったのか正しくなかったのかはわからない。ただ、まずは注意を向けてもらい、認識のギャップについて目を向ける機会にしたかったというのが一つの思いだったのかもしれない。
結果的に、その時の課題提起から対話の時間を用意してもらい、現場から見えている景色を分かち合うこともできたし、部門リーダー側の景色にも触れることができた。部門リーダーが涙しながら話してくれるシーンもあり、人間らしさも感じた。
(が、色んな人に心配をおかけしてしまったのは申し訳ない…!)
まとめ
「感情的になるのはビジネスではご法度だ」という社会通念はわかる。
建設的な議論が必要で、感情的になっても仕方がない。そらそうだ。
自分がファシリテーションをする中でも気をつけていることの一つだ。
だけど、それを踏まえてなお、怒りの感情表現を使ってしか目を向けてもらえない、注意を向けてもらえない場面もある。
そのときは、怒らざるを得ない何か、事情があるのかもしれない。
それだけのエネルギーを割かないと注意が向けられないことがあるかもしれない。
怒りの感情が爆発した瞬間を組織の中で見かけたときは、そこにある関係性を見つめ直す機会として捉えられないか。
単に感情を宥めたりするだけではなく、対話の機会として捉え、そこを起点に新しい組織づくりを考えてみる。
そんな捉え方ができると、感情的になることも一概に悪いものではなく、人間らしい営みの一つとして捉えられるのかもしれない。
さて、AdventCalenderの続きDay22は、研究機関本部でナレッジマネジメントをテーマに研究を進めらている瀧さん!
瀧さんからは今年PJTでご一緒するなかで、「ナレッジってわかっていることだけじゃなくて、わかっていないとわかった”もやもや”もナレッジだよね」という気づきを与えてもらいましたが、その辺りもきっとnoteに書いてくれるはず!ぜひぜひお楽しみに〜。
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