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80`s J-culture — あおいのきせきの育まれたところ —

思春期とか10代に影響されたものが一番身につく、とはよく言われますが、それ、本当にそうだなあ、とつくづく思います。

あおいのきせき」はかつてない、本当に新しい「(なにか)」なのですが、そこで主張されるものは、数多くの偉人たちによって、ほぼ既に「指摘」をされていたことです。

作品中にも書かれていますが。僕は、いわば、それらを「翻訳」したにすぎません。


絶対矛盾的自己同一

という西田幾多郎先生の有名なご指摘を、

Aという存在があるとすれば、非Aが必ず存在しなければならず、さらに、Aと非Aは絶対的に異なる存在であるからして、そこには境界が存在しなければならない。

「あおいのきせき」の知見

と、言い換え(翻訳し)ました。
(正確には、持ち帰った「あおいのきせき」の知見を改めて、当てはめて考察した結果、同じ事を指摘されていたとわかったのです)

Aと非A(という絶対的に相反する存在)は、自己を挟んで同じ一つです。

西田幾多郎「絶対矛盾的自己同一」より「翻訳」

「論理矛盾」なんですけれども「あおいのきのき」本文中でも指摘がされていますが「排中律」(というドグマ)に従う「義務」もないんですよね。

絶対的に相反する存在が一つということから、まず、

極限において波である時空間(物質)存在と全く正反対の物理的性質(つまり非物質かつ非波動)とは何か探します。

すると「意識」をそう定義できるとわかります。

そうしてそれはブラックホールの特質とイコールである、ということは既知です。

そこから、

私たちの存在しているこの「時空間宇宙」と「意識」が(ブラックホール=脳)を介して一つである。

という「新しい学説」が導き出される訳です。(ブラックホールと脳の関係につきましては、ロジャー・ペンローズ博士の量子脳理論が既にございます)

隻手の音聲

という有名な白隠和尚の公案も

A(右手)という存在があるとすれば、非A(左手)が必ず存在しなければならず、さらに、Aと非Aは絶対的に異なる存在であるからして、そこには境界(手の主)が存在しなければなら(鳴ら)ない。

「あおいのきせき」の知見より「隻手の音聲」を翻訳

とすれば、(わかり)ます。

そして、「この宇宙」と「意識」は「言葉」で結ばれる。


翻訳作業の元になった日本語はいつどこに。

さて、本題にもどります。

僕の日本語は学習されたものではなく、生きているうち、自然に身についたものです。所謂「母語」といわれています。
父母、家族。
身近な人たちの話す言葉をなんとなく覚えてしまった、だけ、といえばそれだけです。

しかし、僕が育った時代は特にマスメディアが日常に台頭してきたはじまりのような気がします。

学校から帰ってきて(だらだら)テレビ(というモノ)をみている子供は、僕たちの世代以前には存在しなかったのではないかと思います。

言葉を身につけるのに、身近の実在人物以外に「聞き言葉」で(マス)メディアから影響を受けた第一世代(或いは1.5世代)といっていいのではないでしょうか?

もちろん、ラジオはありました。(映画館でしか観られない)映画もありました。その上にテレビです。

勿論文字としての本があります。写真や絵を含めれば雑誌というメディアも大手を振っていました。

角川書店ではありませんが、まさにメディアがミックスして好景気と相まって氾濫し始めた時代に、僕は、10代、思春期を過ごしたのです。

その世相は非常に評判が悪かったです。  

そういった社会状況は、旧世代から「新人類」といわれたり、「日本語」が乱れるだとか、散々の評価でした。

この辺り1980年代と1990年代の社会・文化の総括が、あんまり、というか全然なされていないのは、そこを牽引した方々がまだご健在である、といった事情が大きいという気がいたしますし、その一面については以前「note」にも書かせて頂きました。

そういう、言葉ではっきりと構築された『かたち(いわゆる「思想・哲学)」』特に「ニュー・アカデミズム」とは多少距離をおいた、むしろ日本語の土壌を耕すことの象徴的存在とでも言う方の日本語から、実は、僕は、多大な「無意識の(非言語による)」影響を受けていたという自覚にようやく、最近、至りました。

なんというか、かっこいい憧れでした。

言葉を使って格好いい」という存在は当時既に文士ではなくなっていました。

糸井重里さん


「YOU」は面白いテレビ番組で、毎週楽しみにして拝見しておりました。糸井重里さんは言葉通り「時代の寵児」でした。その方のテレビ番組は、まさに80年代の日本文化を牽引する機関車のようでした。 

そう、番組のまるでそのままのターゲットが、僕の年代でした。

高校の制服に袖を通したのは1982年の4月でしたし、それをしまうことになったのは、1985年の3月でしたから「YOUチルドレン」いうなら、僕はそれにあたります。

村上春樹さん

いや、言葉を使って格好よい文士としては村上春樹さんがおいでした。
それはそうなんです。
今に至るまで格好いい。 

春樹さんは僕がもっとも読むに時間を過ごした作家さんです。

松本隆さん

では「耳」はというとこれはもう松本隆さんです。

大滝詠一さんの歌声にのせた松本さんの日本語は、僕がもっとも聞くに時間を過ごした作家さんです。

松本さんに至っては、その紡がれた言葉に対してこのようなきちんとした(文学批評)が、今に至るまでアカデミズムに於いては存在しないのではないか、といった塩梅です。

しかし、戦後の日本に戦勝国が課した終戦条件の3つのうちの一つが日本語の撤廃であった(原田武夫氏の説・以下のリンク参照)

ことを知って振り返れば「日本語ロック論争

というものが、実はこの国にとってどれだけ重要な一つの分岐点であったかと思い至るのです。

と、同時に、それとは(おそらく)知らずに分岐を「間違えずに」渡ったはっぴいえんどのみなさん(細野晴臣さん、大滝詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さん)の功績が、ただJ-pop(邦楽)という枠の中に留まるものではない、と分かるのです。

言葉と文化は分かちがたく、固有の文化をなくすことこそ国が滅ぶ事と同義であり、人々が日常接する歌の言葉を守れたことは、すなわち国の滅ぶのを防いだことに間違いはないからです。

もちろん、言葉を使って格好いい。

松本隆X(旧Twitter)アカウント

いまの地点から振り返ると、このお三方こそ、80年代を「日本の言葉」で彩った「中心選手」であったとわかります。

そうして「あおいのきせき」は勢い「文化を破壊」した戦犯として糾弾されかねない方々の日本語を土と水と空気として産まれた、という厳然たる事実。

そうして、僕も確かに、正直「言葉を使って格好いい人」になりたかったんです。

ところで、

以前、株式会社モンベルを起業された辰野勇さんが、命を賭して山を登るという人生の深遠なご経験そのものを核(思想哲学)として会社経営に直結せしめられたという、希代希有な、理想的な(憧れの)経営者である事を書かせて頂きました。

糸井さんも、言葉(と言葉に直結する物)だけを売り物にして、しかもその言葉は、お金(金融)やお金儲け(商売)に直結するモノではない、という、希代希有な起業家・経営者である、ということに漸く最近気がつきました。しかも上場まで至ったという。

「あおいのきせき」はまさに80`sJ-cultureの申し子です。
いや、その最高傑作であると、言っていいのではないか、とまで思います。

言葉にとって、一番大切なものは、なんなのでしょうか。

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あらためてこのことにようやく気付いたのですが、糸井さんは「YOU」でなさっていた同じ事を、今に至るまで、或いはそれが一つの使命かのようにして、アントレプレナーという立場で、続けておいでなのだと。

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