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新卒で入った株式会社ビズリーチを卒業し、週1助教になります。

「本当に卒業するの?」という気持ちと「今挑戦しなきゃいつやるの?」という気持ちでぐちゃぐちゃになりながら、退職エントリを書いています。

研究者になるという夢をあきらめ、新卒エンジニアとして株式会社ビズリーチに入社したのが2017年。気づけば、もう6年近くになります。ほぼ小学校と同じ年月です。退職ではなく卒業。わたしにはこの言葉の方がしっくりきました。ビズリーチという学び舎ですくすくと育って、夢に向かって挑戦するからです。ありがたいことに、成長の過程で2つもブログを執筆させていただきました。

開発エンジニアとしてゼロからのスタートから、セキュリティ室に社内異動してまたふりだしに戻り、今やセキュリティが専門となり、プロジェクトをリードできるまでになりました。

素晴らしく居心地のいいチームに恵まれ、他部署にも新卒からお世話になった大好きな先輩方がおり、なにもかもが楽しいのですが、卒業する理由はただひとつ。

研究者になりたい

という胸の底にある灯火を消すことができなかったから。
どうか人生初の退職エントリにお付き合いいただけますと幸いです。

わたしが研究者をあきらめた理由

そもそもなぜわたしが研究者をあきらめたのか。大きな理由はお金とキャリアに大きな不安を感じたからでした。

2大不安要素に苦しんでいた

1つ目のお金に関してですが、博士後期課程4年目に突入した場合のことを考えてしまい、不安になりました。
学士や修士は基本的に、単位を取って卒論を書けば卒業できます。一方博士は、それに加えて査読付き論文も必要です。査読付き論文というのは、その研究分野の専門家に内容を査定してもらった論文を指します。
わたしは研究が難航していて、3年で査読付き論文が書けるか怪しい状況でした。書けたとしても、査定にどれくらいかかるかも不安でした。
4年目に突入したら、どうやってお金の工面をすればいいのだろう
ここで補足を入れておきますと、3年目までは日本学術振興会特別研究員DC1に採択されていたため、学費免除でした。
奨学金を借りることも考えましたが、学士・修士と借りており、借金が膨れ上がることに恐ろしさを覚えてしまいました。

もう1つ自分を不安にさせたのはキャリアです。博士号取得後に、ポスドクや助教ポストが獲得できるか不安でした。さらに、これらのポストは任期付きが多く、その後が保証されないことも不安でした。仮にポスドクの後に企業に就職するとしても、いわゆる新卒カードは使えないため、業界が縛られてしまいます。
極めつけは、「女だから学振が取れたんだろ」と言われたり、出産育休から戻った女性研究者が降格されられるというエピソードを聞いたりと、性差別を受けながらのキャリア形成は限界でした。

今振り返ると、視野が狭かったなぁ、人に悩みを打ち明ければよかったなぁ、と感じるのですが、お金とキャリアの不安は、わたしにとって化学者になる夢をあきらめるのに十分すぎるほど重たかったです。

同僚の暖かさに触れ、変わることができた

入社3年目くらいまでは博士課程中退という現実に目を背け、アカデミア関連の話を聞くのがとても嫌でした。高校時代から科学者を志しておりましたので、12年分のキャリアを捨てた大きな挫折は後を引き、心に暗い影を落とし続けました。

とりわけキャリアへの不安は酷く、急いでエンジニアとしての成果を出そうとして、空回りしていました。空回りするので成果は出ず、また不安が募り、急いで成果を出そうとし、また空回りする。過去も振り返りたくない、今も楽しくない、未来も見えない。とても辛い日々が続きました。

そんな負のループから抜け出せたのは、太陽のように暖かい同僚の皆さまと触れ合い続けたからでした。1つ例を挙げるとすれば、新卒時代に1on1で気づきを得て「わからない」と言えるようになったのは大きかったです。

わたしがどんなに自分の殻に閉じこもってしまって「もうだめかもしれない」と思ったときも、同僚の皆さまに変わらずに接していただきました。乾ききっていた心のコップにちょっとずつ水を注いでもらい、3年経つ頃には溢れ出るように。「もうだいじょうぶだ!」と思いました。

ありのままの自分を受け入れ、挫折した過去にも面と向かって向き合えるようになりました。

突如訪れた人生の転換期

それは忘れもしない2020年12月2日の通勤中。8時30分頃だったと思います。今でも鮮明に覚えているのですが、渋谷ヒカリエの青山フラワーマーケットを横切ったあたりで、

もう一度、Research Fund 2.0 をやりたい

という気持ちがスーッと降りてきました。スピリチュアルでちょっとアレですけど、本当に降りてきた感じでした。

Research Fund 2.0というのは、博士後期課程3年目の休学中に、最後の力を振り絞って開催したイベントです。つくばグローバルサイエンスウィークという国際シンポジウムの学生企画として実施させていただきました。

最後の力を振り絞って開催したイベント

お金とキャリアの不安に苛まれ、わたしはなぜ起業家のように研究者も生きることはできないのか?という憤りにも似た疑問を持つようになりました。そこで出したアウトプットが、このイベントだったのです。

イベントから4年が経ち、研究者を取り巻くお金事情はどう変わったのだろう。登壇してくださった方々をお呼びして、もう一度開催したい。強い衝動を抑えきれず、思い立ったが吉日と思って、すぐに連絡をしました。

強い衝動を抑えきれずに送ったメッセージ

本当に今振り返っても、神様が降りてきたとしか思えないスピード感でした。おかげさまで、2020年12月26日にResearch Fund 3.0を開催することができました。

自己開示を続けていたら大きなチャンスが訪れた

2020年12月26日のイベントを契機に、わたしの自己開示は爆発しました。
博士後期課程時代の挫折をさらけ出し「科学技術と社会をつなげる橋渡し人材になりたい」という夢を描くようになりました。

この発信の前後辺りから、SNSで科学技術と社会を取り巻く様々なステークホルダーの皆さまとの交流が始まります。一緒にイベントをしたり、取材を受けたりしました。

そしてついに大きなチャンスが訪れました。2022年9月13日に博士後期課程時代の友人から、

大学で働いてみませんか?

という連絡をもらったのです。びっくりしました。正直いいますと、このときはまだ「興味があるけど、できないかな」と思っていました。セキュリティ室での仕事がものすごく楽しかったので、躊躇していたんです。結果的に3ヶ月ほど悩みに悩みました。いろいろな本を読んだり、キャリア形成サポートセンターでキャリアコンサルティングを受けたりしました。

キャリアコンサルタントの方に興味があるものに対して表現する、説明することが強みと言われ、「まさに研究者だ」と思い、とても勇気づけられました。最後の後押しになったのは「人生一度きりなのだから挑戦しろ」という母の言葉です。余談ですが、会社で大好きな同期も同じことを先輩に言われたらしく、それを聞いてこりゃ運命だと思いました。

お金とキャリアの不安に苛まれ、あきらめた研究者の道。
気がつけば、どうしたらお金とキャリアの不安なく研究者になれるのかを考えるようになっていました。

新しい研究者のあり方を追究したい

わたしが出した答えは、

週1助教・週4セキュリティエンジニア

という働き方です。正社員のセキュリティエンジニアとして、お金とキャリアを安定させながら、在籍出向で助教としての経験を積んでいき、研究者になる第一歩を踏み出す道を選びました。

そして「科学技術と社会をつなげる橋渡し人材になりたい」という夢から、「新しい研究者のあり方を追求したい」にアップデートすることにしました。科学技術と社会、企業と大学、仕事と趣味。これまで対立してきた分野を橋渡しする研究者になっていきたいです。

青丸の部分を担いたい

さいごに

ビズリーチで過ごしたかけがえのない6年間を胸に、研究者になる夢へ再チャレンジしていきます。
今回の卒業について周囲からとても驚かれたので、本記事を通して少しでも卒業の経緯がお伝えできていたら幸いです。
皆さま、今後とも変わらぬお付き合いをよろしくおねがいします。

パラレルワークな働き方は、初めての経験なので正直とてもドキドキしています。noteを通して、同じ働き方をしている人やこの春新たな職種にチャレンジする人と交流できたら嬉しいです。

最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございました。
ついでに、スキも押していただけると、泣いて喜びます!

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