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ウズベキスタンで「お前は日本人か?」と聞かれ案内された場所とは?

(写真は2016年3月撮影したウズベキスタンの首都タシュケント郊外にある日本人墓地)

旧ソ連のウズベキスタンは親日派方々が非常に多い国です。こちらが日本人だとわかると、多くの人がニッコリ笑顔で「あなたたち日本人はすばらしい」と言ってくれます。

日本ではウズベキスタンの人たちの国民性どころか、名前さえも聞かなければ思い浮かばない人が多いのではないでしょうか。ウズベキスタンでは多くの人が日本のことを気に入ってくれていますがそれには理由があります。

ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
この記事を読んでくださっているあなたが、「最高の自分」に向かって成長するために、少しでもお役に立ちたいと願いながら書いています。


日本兵が終戦後強制労働に

第二次世界大戦の終結間際に捕虜となった日本兵はソビエト連邦により、終戦後も祖国日本に戻ることができず、多くの抑留者として強制労働を強いられたのです。抑留者として強制労働を強いられ、日本に戻ることができずに、その命を落とした方々も数多くいました。

1945年の終戦後、ソ連のタシュケント(現ウズベキスタンの首都)にオペラハウスを建立するために、400名以上の日本兵たちが各国から集められたのです。1947年の革命30周年記念の壮麗な劇場を建立することが目的でした。

日本兵たちは国際法違反の強制労働にもかかわらず、建築するなら最良のものを日本人の誇りにかけて造りあげようとします。厳しい寒さの中、祖国日本に戻ることが適わず命を落とした人たちも少なからずいました。しかし、様々な困難を乗り越えて革命30周年の前に「ナボイ劇場」が出来上がります。この「ナボイ劇場」は、旧ソ連の四大劇場と呼ばれる程素晴らしい劇場として知られるようになります。

出来上がった劇場のすばらしさもさることながら、協力し合って困難を乗り越えながら建設にあたった日本人抑留者の働きぶりに関心したウズベク人やロシア人がいたようです。

しかし、そのことだけが日本人を有名にしたのではありませんでした。


1966年の大地震

1966年にタシュケントを大地震が襲います。ほぼ全ての建築物が崩壊し、町全体が廃墟のようになったようですが、唯一崩壊しなかった建物が、この地上3階地下1階の「ナボイ劇場」だったのです。

20年の年月を経て、日本人の建築したオペラハウスがどれほどのものであったのかをウズベク人は知ったのでした。

そして、当時のソ連からすれば第二次世界大戦における敵国の捕虜であった日本兵が建築したオペラハウスに「日本国民」によって建立されたと記念碑を立てたのでした。

このようなことで、ウズベキスタンでは子供の頃「日本人のようになりなさい」と親に言われて育った人たちが数多くいるのです。


日本人墓地

この投稿のタイトルに載せたウズベク人に案内された場所は、日本人墓地でした。写真はその時に撮影したものです。無念にも祖国日本に戻ることができずに命を落とされた方々のお墓があります。

旧ソ連時代にこの墓地を潰して他の建物を建てる計画があったそうですが、地元のウズベク人の反対運動によって守られたようです。

日本人墓地のそばには、ウズベク人が自費で開設した日本人博物館もあります。


日本人の誇り

この経験をしたときに、自分は日本人で良かったなと思いました。大先輩方が中央アジアの凍えるような寒さの中、オペラハウスを建立してウズベク人やロシア人に大きな感銘を与えていたことをそれまで知りませんでした。

敗戦し一刻も早く帰国したいと願いつつ、強制労働に従事させられながらも、良いものをつくろうとする日本人の誇りに、私も感銘を受けました。

そして、同じ日本人として日本人ってすばらしいなと誇りに感じたのでした。


海外に行って知る日本の良さ

海外旅行に出かけて改めて日本の良さを感じたことがあるのではないでしょうか。自分では当たり前だと思っていたことが、海外では尊敬に値することがいくつもあるように思います。

これは個人にも共通するところがあって、自分では当たり前だと思ってしていることが、他の人には尊敬されたり、素晴らしいと評価されることがあります。そして、案外そんな「自分の良さ」を周囲からフィードバックされるまで気づかないことさえあるのではないでしょうか?

そんなあなたのすばらしさが開花して「最高の自分」として周囲に知られ、「人類の誇り」となったらと思うとワクワクします。

ここまで読んでくださってありがとうございます。


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