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「初心忘るべからず」って、意味を理解して振り返りをしているのでしょうか?
(写真は米国ボストン市の西暦1630年誕生を記念する碑:2017年8月撮影)
記事に興味を持つ人のために、見出し画像に記事内容について文字を入れたり、関連する写真やイラストを入れるべきではないだろうか、なんて考えないわけではありません。
それでもInstagramよろしく、自分で撮影した写真を記事の内容と関係のない写真をアップし続けています。途中シリーズなどで乱し画像を統一したり、文字を入れたりしてみたことはあります。
それでも懲りずにクラウドに保存された写真のストックを眺めながら、今回はこの写真にしようなどと懲りずに自分で撮影した写真を使っています。
見出し画像について「初心」を振り返る記事なの?
いえいえ、違います。
「初心」を振り返ることについて考えて参りましょう。
「初心」って何の事でしょう?
当り前のことを当り前に確認することの大切さは、強調しすぎることはありません。
対人支援をしながら、相手にとっても、そして自分にとっても、当り前となっている前提をもう一度確認することを通して、望む未来に向かうことが大切だなぁって年を追う事に実感しています。
なので、「初心」。
当り前のように辞書を調べます。
初心(しょしん)
① 何かしようと決心したときの純粋な気持ち。
② 学問・技芸などを習いはじめて間がないこと。初学。
③ 物事に慣れていないこと。世慣れないこと。
③は「初心」と書いて「うぶ」と読ませて使われる場合の意味ですよね。
「初心」には、純粋や純真なものが含まれているのです。
初めてから時が流れ、あれこれと経験しながら、色々な気持ちが入り交じってくるのでしょうね。
まだ、未知のことばかりの状態で、計画や予測を立てながら取り組むのです。ある意味、純粋な気持ちや純真な考えを持ちやすいということもあるでしょう。
「初心」を振り返ること
「初心」を振り返ると聞けば、
「初心に返る」
「初心忘るべからず」
といった言葉を思い出しますよね。
取り組み始めた最初に持った「純粋な気持ち」に返るというわけです。
わざわざ「振り返る」という言葉にしたのは、必ずしも「初心」をそのまま保ち続けることが最適であるかどうかは分からないと感じるからです。
思い巡らした上で、「初心」をアップグレードさせて、次のステージに向かうことも有益だと思っているからです。
また「初心」の内容、つまり「純粋な気持ち」が具体的には何であったのかにもよるように思います。
自分の人生の目的、使命、人生哲学のような自分軸のコアとの深いつながりをもった「初心」なのか。
それとも、それこそ初心だったと思い返して、新たな初志を抱くのか。
「振り返る」ことを通して、新たな発見や学びがあるのです。
noteの「初心」を振り返ってみる
私自身のnoteでの投稿で考えてみます。
毎日noteと考えて書き始めましたが、2021年9月19日に投稿を始めて、今日で309日が過ぎて、ようやく今回で199本目の記事です。
まだ、一年経っていませんが、平均すれば3日に2回程度の投稿頻度になります。
「初心」は何だったのだろうか?
これまで海外でのリーダー研修やコーチ養成を中心に行ってきたのですが、コロナ禍もあり国内に留まっていると、色々見えてきます。
日本のために貢献しなければ、なんとか貢献したいという思いになりました。
一人ひとりが「最高の自分」を更新しながら成長を続け、その潜在能を開花させて成果をあげるように、また個々人がそのように生きるだけではなくて、組織、ひいては社会が、その潜在能を開花させて発展していって欲しい。
そのような貢献の一つが、noteでの投稿なのです。
「初心」がどれだけ「純粋」だったかどうかは別としても、「フォロワー」や「スキ」、「PV」の数に一喜一憂することがあったり、他のクリエイターさんと自分を比較してみたり、「不純な気持ち」が入り交じってきています。
こうやって書いているだけでも、自分の中にある様々なものに気づきます。
手段が目的化する力
貢献に集中することの難しさ
裏付けのないプライド
自分の中で整理されていないモヤモヤ
などなど。
これが最初の投稿です。
なんと、「手段の目的化」について書いています!
読み返しながら、「初心」を振り返ると「純粋な気持ち」が自然と新たにされてくるのを感じます。
あなたのnoteをはじめた「初心」はどのようなものでしたか?
定期的に「初心」を振り返ることの大切さは、これだけでもおわかり頂けると思います。
「初心忘るべからず」の本当の意味
「初心」を振り返ることの大切さ、それも定期的にそれを行う意味は、「初心忘るべからず」の意味によって鮮明に理解できるように思います。
既に述べたように、思い起こして気持ちを新たにすることや、「純粋な気持ちに」立ち返ることが「初心忘るべからず」の言わんとしていることだからです。
しかし、「初心忘るべからず」はそれだけを意味しているのではありません。
この言葉は、その父「観阿弥」と猿楽や田楽を日本の伝統芸能である「能」として進化させた「世阿弥」の言葉です。
父「観阿弥」から学んだ芸の極意を「芸術論」としてまとめた「花鏡」に出て来る言葉です。
是非の初心忘るべからず。
時々の初心忘るべからず。
老後の初心忘るべからず。
この3つの「初心」は、最初の時の「純粋な気持ち」を忘れるな、という事以上の勧めなのです。
1.是非の初心忘るべからず:未熟だったときの芸も忘れることなく、判断基準として芸を向上させていかねばならない
2.時々の初心忘るべからず:その年齢にふさわしい芸に挑むということは、その段階においては初心者であり、やはり未熟さ、つたなさがある。そのひとつひとつを忘れてはならない
3.老後の初心忘るべからず:老年期になって初めて行う芸というものがあり、初心がある。年をとったからもういいとか、完成したとかいうことはない
判断基準として「初心」を振り返ることで、自分自身の成長を可視化することができます。
実績を残し、進化し続けながらも、KPIのようにその時々の「初心」を振り返ることの大切さ。
そして、経験豊かになったが故の「新たなる挑戦」としての「初心」を決して忘れない。
そんな意味が「初心忘るべからず」の中に込められているのです。
定期的に「初心」を振り返り、「最高の自分」を絶えず更新しながら成長して、さらなる飛躍をしましょう!
最後までお付き合い頂き、ありがとうございます。
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