大晦日から元旦にかけて自分の中で続いていくもの
(写真は神戸ポートタワーから見た山側の夜景:2018年大晦日!撮影)
ハイパフォーマンス・コンサルタントの髙澤健(たかざわたけし)です。
一人ひとりが「最高の自分」に向って成長し続けることに役立ちたいと願って書いています。
これを読んで一つでも成長のための刺激やヒントを得られれば、とても嬉しいです。
毎年12月にもなると、「♪もういくつ寝ると♪〜お正月〜♪」のように「今年も後○○日」などとカウントダウンが始まります。
一年はどのような年であったかを振り返るようなイベントがニュースにも顔を出します。今年の漢字、今年一番売れた○○などです。
SNSでも今年一番の○○だったり、一年を総括する投稿だったり、と振り返るものが多く見られます。
1年ごとに
西暦が19世紀に明治政府によって導入されてから、グレゴリオ歴(太陽暦)の12月31日が一年の最終日となりました。
それまでの旧暦(太陽太陰暦)では、太陰暦による1年(月が地球を一周回る)は354日で、ひと月が29日か30日ですから、31日はなかったわけです。
また、明治政府が太陽暦の導入を決めたのが旧暦の明治5年11月9日で、旧暦翌月の12月はたった2日しかなく、いきなり太陽歴1月1日になったそうですから、混乱したでしょうね。
それこそ1年を総括する余裕もなかったと想像します。
旧暦か太陽暦か別としても、1年というサイクルで私たちは自分の年齢を計り、また自らの活動や時代の流れの節目にしてきています。
その1年の終わりにその年を振り返って、総括をして区切りをつけることを習慣にしています。
このような営みを私も日本に生まれ育って、当たり前のようにしてきました。
新しい出発
0時になると私の家では、家族に新年のあいさつをして、就寝します。
元旦の朝遅くにおせちとお雑煮を、近所に住む私の両親の家で頂くのが習慣です。
そして、前日とは違う新しい気持ちで1月1日をスタートするわけです。
社会人になって目標設定などを学ぶまでは、前年に願っていてもできなかったことをいくつか挙げて、「今年こそは...」のようにして、「新年の抱負」としていました。
なぜ、願っていたのにもかかわらず、できなかったのかを考えることもなく、なんとなく新しい年には「出直し」ができるように思ってそうしていたのではないかと思うのです。
そして、「新年の抱負」も12月になると「今年もできなかった」と単なる反省点になって、新しい年の「真っ白な(?)」キャンバスに描かれる希望や理想になるのです。
新しい年自体に何か特別な力があるわけではないのですが、そのような区切りをつけているので、何の対策もなくそれを続けていたのでした。
続くもの
太陽暦が導入された2年後の明治7年に生まれ、昭和を生きた俳人高浜虚子は次のような句を残しました。
去年今年(こぞことし)が季語で、76歳(1950年)で詠んだ句で、戦後間もない日本の年末に読まれたことになります。
この時にも年の瀬を迎えて、一つの区切りをつけて新年を迎える習慣があったのでしょう。
しかし、76歳になった虚子は、たとえ今年と来年、旧年と新年の区切りがあったとしても、それを貫いている筋の通った棒のようなものを自分の中に感じこの句を詠んだのではないでしょうか。
できなかった事に目を留めて、何故できなかったのかを分析することも大切だと思います。
しかし、自分の中に「今年できたか、来年できるか」というのとは全く別の次元で、人生の自分軸が一人ひとりの中に既にあるのではないでしょうか?
自分とは一体何者なのか?
「最高の自分」を更新し続けながら、この問いに答えて成長していくことの中に、アイデンティティーの確立が「貫く棒」のように続いて行くように思います。
虚子がこの句を詠んだ76歳まで、あと20年と半年。
私にはあと20回の「去年今年」が残されています。
今はまだ細い糸なのかも知れませんが、やがて貫く棒となって自らの中に続いていくことを願いながら今年の最後の投稿にさせて頂きます。
最後までお付き合い頂きありがとうございます。