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素数:七五三に寄せて
11月23日は孫娘の七五三のお参りがあり、朝一番の羽田発の飛行機に乗って北九州空港へ飛び、小倉の神社に行って、妻と一緒にお祝いしてきた。
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当日は4時半起き、5時50分発のバスで羽田に移動、7時35分発の飛行機で羽田を発ったのだった
数え年でするか満年齢でするか最近はどちらでもいいらしい。孫娘は満年齢で3歳のお祝いとなった。
さて、七五三といえば、全て素数である。
素数といえば、だいぶん前に次の記事を読んで、しばらく考え込んでしまったことを思い出した。
佐藤さん:小学校高学年の彼らがどんな問題を解かされているか、実例を挙げてみましょう。
" 「1、3、4、5、7の5枚のカードから2枚を選ぶ。この時できあがる2桁の数字のなかに素数はいくつあるか? ただし同じカードは引かないこととする」"
正解は10個なのだが、皆さんはどのように考えただろうか。佐藤優は「1から100までには素数が25個あるのですが、いま中学受験をする子どもたちは問題を早く解くために100までの素数を全て暗記しておく必要がある」とコメントしている。
「いや、この問題はそんな暗記を要求しているわけではない、佐藤優のような人が何言ってるんだ」と、私はしばらく考えこんでいた。
私は、もう小学生ではないので、私の今の知識を使って考えると次のような道筋で問題を解くことになる。
(1) 1の位が4と5の場合は素数ではないから除外できる。
(2) したがって、73, 71, 57, 53, 51, 47, 43, 41, 37, 31, 17, 13 の12個のみが候補となる。
(3) ある数が素数であることを判定するには、その数の平方根の数まで割ってみて割り切れなければ素数である。最大の数字が73だから9までの素数 2, 3, 5, 7で割って試せばよい。
(4) 試す素数のうち2, 5 は除外できるので、3と7だけで割ってみればよい。
(5) 九九を覚えていれば、7で割り切れるかどうかの判定は、順番に睨んでいけばすぐにわかる。7で割り切れる数字はない。
(6) また、3で割り切れるかどうかは、10の位の数と1の位の数を足して3で割り切れるかどうかで判定できる。
(7) じろっと数字を順番ににらめば、51と57だけ3で割り切れることがわかるので、この2個は除外する。
(8) よって10個となる。
前提として素数とは何かを知っていないと問題は解けない。それがわかっていれば、偶数は2で割り切れるから素数ではないこと、15, 25, 35など1の位が5なら5で割り切れるから素数ではないことは自明なので、(1)と(2) は、問題を見た瞬間にちょっと手を動かして試してみればすぐにわかることだろう。
焦ってしまうと、(2)の段階で「解けた!」と思って 12個、と回答してしまうかもしれない。
あるいは、12個ととりあえず解答欄に記入して、他の解ける問題をしっかりと解いて解答し、そこで時間が余ったら戻ってきてじっくり考えよう、とするかもしれない。
(3)がキーになる。むやみと割ってみないとわからないとなるとツライ。平方根を知っていて素数についてちょっと深堀している人は知っている。しかし、そうでなければ、それこそ佐藤優の言っているとおり「全部暗記していないと解けない」となってしまうので諦めてしまうかもしれない。
しかし、これも最初に73を小さいほうから順番に素数で割って試してみると感触がつかめるはずだ。例えば73÷11=6余り7だから、73÷6=11余り7と同じ計算をしていることになることはすぐにわかる。だから100までの全部の素数で割ってみなくても素数の判定ができることは、Playing Around ちょっと手を動かしてみるとわかるものだ。
落ち着いて考えれば(4), (5), (6), (7) あたりでつまづくことはないと思うが、慌てていたり気が散っていたりすると、ミスするかもしれない。
だから、この問題は、
(1) 素数とはなんぞやと知っているか
(2) 素数の判定方法について知っているか
(3) わからない問題を解くにあたって「まず試してみる (playing around という)」習慣があるか
(4) 慌てずに落ち着いて問題を解くことができるか。思い込みやイージーなミスをしがちか、詰めが甘いことがないか。
というような点を試しているとも言えるだろう。回答によって(1)-(4)の能力を判定することができる。出題者の意図としては、 (1)は前提として、特に(3)を試しているのかもしれない。
ある大学の入学試験での数学は1問につき見開きの2ページ、左ページの上に数行の設問があり、残りは全部解答を記述するスペースとなっていた。採点する先生は消しゴムで消したあとも透かして見て、受験者の思考プロセスを確かめて採点をするという。
このように評価される場合、素数表を丸暗記している人は、正解は書けるかもしれないが、正解にたどり着けなかった人よりも得点が低くなる場合があることだろう。
どんな問題を作成してどんな解答を期待し採点基準をどのようにするか、というのはどんな生徒を選抜したいか、ということから決まる。どんな生徒が入学してくるかはその学校の将来のビジネスがかかっているわけなので、死活問題であるはずだ。
試験問題について、単に、問題を解けるかどうかを試していると人は思いがちであるが、それは違う。受験者を選抜するにあたって出題者が評価しようとする目的に応じて問題は作られているものなのだ。
そうでなければ出題者がアホなのだ。まぁ世の中にはアホな先生も多いようだし、問題を作ることが自分の創造性の発露であると勘違いしている先生もいるかもしれないが、そういう問題は解けなくてもよろしい。トップで合格しようというような野心がない限りは、みんなが解けない問題を解ける必要はないのだ。
企業の採用にしたって同じだ。だいたいてめえらが全然できてないことを得意げにWebで発信するな、候補者に要求するな。
話がそれた。
孫娘は 3月14日、円周率の日の生まれだ。だから数学が得意になるだろう、とこれまで何度も書いている。
数学が得意だと何か人生得することがあるだろうか。私は、実生活にも非常に役に立つだろうと思っている。それは、難しい問題に直面したときにどう対処するか、基本的な態度なのだ。
上に、素数の問題を題材に私なりの解を書いたが、つまりは、次のようなことだ。
丸暗記は大事ではない。しかし、基本的な正しい知識を十分に供えること。わからないことがあっても、まずは試してみること。試した経験から一般化・概念化すること。詰めが甘くならないように注意すること。そのことから、より根本的でより幅広く適用できる対処を見出すこと。もちろんスピードは大事だ。
これは、ますます複雑怪奇となっている現実の問題、あらかじめ正解のない問題、に直面したときに大事な基本的な態度だと思う。
きっと私よりもずっと頭がよくなって、私が理解できない人生の機微をも理解できる、そんなふうに成長することだろう。ロジックはない。単なる私の勘だが、私の勘はよく当たる。
七五三に寄せて、幸せを願う。