トランジスタ75周年
IEEEの発行している Spectrumという雑誌があって、オンライン版は会員でなくてもアクセスできる(*1)しいろいろな最先端の電子情報工学系情報が解りやすく読めるのでお勧めだ。
それで昨日、今月でトランジスタ発明75周年だと知った。
特集で8本の記事があってそれぞれ読み応えがある。
ベルラボは、ベル・システム社の研究開発部門として1920年代に発足し、AT&T、ルーセント・テクノロジー、アルカテル・ルーセントを経て、現在、NOKIAの傘下にあって最先端の通信関連技術の研究開発拠点となっている。
ベルラボはその長い輝かしい歴史の中で、通信関連の基礎理論やデバイス、コンピュータやインターネット、そして製造における品質管理や製品の品質保証といった幅広い分野で多くの発明がなされ、7つのノーベル賞を受賞している。トランジスタの発明もその中の一つだ。
トランジスタは、1947年に ウィリアム・ショックレーのチーム、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンによって点接触型で初めて世に示され、翌年に ショックレー自身によって接合型が発明された。点接触型はトランジスタの元祖ではあったが、構造としてはバルキーで安定性に欠けるため早々に消えて行き、今、その動作原理を教わることはほとんどないということである。発明者も原理を少し誤って理解していたらしい。特集記事の中の1本で点接触型と接合型の原理についてわかりやすく解説してある。
私も点接触型の構造と原理は知らなかったので興味深かった。
発明をめぐる3人のノーベル賞受賞者の軋轢やその後の人生などエピソードも面白い。
ショックレーは生まれはロンドンだが、カリフォルニア州パロアルトで育ったということだ。パロアルトといえばゼロックスのパロアルト研究所、1970年代に現代のパーソナルコンピュータとインターネットが産声をあげた場所なのだ。そこで発明されたグラフィカルインターフェースとマウスをジョブスが用いてマッキントッシュとなったのはだいぶん後の話だ。
ベルラボを退職したショックレーは、カルフォルニア州に設立されたショックレー半導体研究所に所長として迎えられる。ところがショックレーのもとで働いた研究員がショックレーの拙いマネジメントに嫌気がさして飛び出して、フェアチャイルドを設立、インテル、AMDと繋がっていく。
トランジスタの発明のみならず、シリコンバレーの創始者ともいうべき人である。
1950年のころ手のひらに乗るサイズだった一個のトランジスタが、1960年代初頭に集積回路になり、最初のマイクロプロセッサ 4004 が世に出たのが1971年だ。なお、4004はインテルと日本のビジコン社の共同開発によるものだが、日本人の嶋正利氏が設計し開発をリードしていたことは有名だ。嶋正利氏はインテルで 8bit の 8080 の設計開発も担当し、その後、 Zilog社で Z80の開発にも携わった方で、現代のマイクロプロセッサの礎を築いた方だ。
16bitの8086の開発となると、すでに、天才の発明と常人を超える努力による個人技では開発が不可能な規模となっていた。今のインテルの Core プロセッサは8086の直系の子孫だ。
そういえば、去年はマイクロプロセッサ誕生50周年の年でもあった。
当時の4004のプロセスは 10um、トランジスタ数は2300、4bit のデータを扱い、動作周波数は750kHzだった。2021年の第12世代Coreプロセッサファミリーは 10nm プロセス、数十億個のトランジスタ、64bitのデータを処理し、動作周波数は最大 5.2GHzだ。
まさにトランジスタ無しでは私達の今の生活は成り立たない。そして、その75年の歴史を振り返れば、どれほど多くの発明と努力と投資の積み重ねで築き上げられてきたものなのか、先人の積み上げてきたものに私達がいかに頼っているのか、思いを馳せてみるといいだろう。
トランジスタ100周年は2047年ということになるが、どうなっているだろうか。特集の中の記事にある。
興味のある方は読むべし。
さて、ベルラボは、アメリカはニュージャージーのマレーヒル、木々に囲まれた緑豊かな静かな敷地にある。アルカテル・ルーセント時代には私達のお客様でもあったので2012年から2014年の間に何度か訪れた。広いロビーの壁際に、ノーベル賞受賞者たちの胸像とともに、たしか発明された最初のトランジスタのレプリカが飾ってあった憶えがある。記憶があいまいなので間違いかもしれない。
以前に書いた記事の中でほんの少しだけ触れたことがある。
この記事の、次の部分は、ベルラボでのお客様ミーティングで窮地に陥りつつ現地営業のファインプレーで救われたときの思い出だ。
当時、私はパナソニックの基地局事業部門にいてお客様がアルカテル・ルーセントだった。2015年に私が所属していた事業部門をNOKIAが買収し、翌年アルカテル・ルーセントもNOKIAが買収し、今ではマレーヒルのベルラボのメンバーは広い意味で私の同僚だ。2013年前後に私と喧々諤々やっていた先方のメンバーは全員辞めてしまったけれども。
ところで、上にリンクした記事「私が愛したアンドロイド・・」のトップ画像は、NOKIAの無線機開発の総本山があるフィンランドのオウルの写真だ。
記事を書いたときにはあまり意識していなかったが、今、見直してみれば記事の内容とともに暗示的だ。不思議なことだ。
■注記
(*1)私はいちおうIEEE MTT-S (Microwave Theory and Technology Society)の会員なのだが、今年は年会費で泣かされた。
ドル建てなのだ。
これまで毎年10月に一回、日本円で2万円程度だったが、今年の請求額は3万円強。。。では、それだけエンゲージして活動しているか?というとまったくそうではなく、せめて有効に活用しているか?というとそれほどでもない、そんな現実を意識させられ、気分的にダウン。おまけに、妻に思わずこぼしたら小遣いをせびっていると勘違いされて「お酒を飲むのを控えたらいい」とお言葉をもらう始末。
世の中厳しい。
■関連図書
以前に "The Idea Factory"という本を読んだが、ベルラボの栄光の歴史とそのマネジメントについて詳述されていて面白い。
インテルの創業者の一人、アンドリュー・グローヴの本、"Only The Paranoid Survive"は、インテルがいかにマイクロプロセッサビジネスを成功させたのか、当事者の語りでスリリングで面白い。
■関連 note 記事
ベルラボの成果の一つとしてシャノンの通信理論がある。
ちなみに去年の1月に購入した私の愛機は 11世代Core プロセッサ i7-1185G7でクロックは3GHz。次の記事の後半で自慢のPCをひとくさりしている。