火曜日しばらく雑記帳・35:
■ボケとボケナスは違う。ーそう言われてみて、なるほど、爆笑してしまった。
一般の方が歳とってボケたことをしてしまうのはボケてきたからしょうがないのだが、私が日々ボケたことをしてしまうのはボケナスだからであって決してボケたわけではない、それは許されざる所業だ、と指摘されたわけだ。
ボケていても少々不便なだけだ。慣れてしまえばある程度対処はできる。例えば、たった一品の買い物であっても二品だけのお使いであっても買い物メモを作る、一日のチェックリストを作って管理する、頼まれたら即実行、それでもボケたら笑ってごまかす、などでボケの程度によりけりではあるけれども。
とはいえ、私は慣れているが、もともと出来ている人にとっては以前やすやすと出来ていたことが出来なくなるということが気持ちとしてはちょっとツライに違いない。
あるいは私がいつも笑ってごまかすところが許されていないのかもしれない。
■そんな私であっても周囲の人に恵まれて勤労しているし、11月23日は勤労感謝の日で休日だ。木曜・金曜日も休みにしてしまえば5連休、しかも US だってThanks Giving で休みだし、京都の自宅でゆっくり5連休でもいいのではないか、と思ったら案外仕事がつまってしまい22日の移動は無理、23日の晩の新幹線で京都に移動した。サツマイモの天ぷらにベーコンの焼いたの、出汁巻き、ごはんにカブの茎を混ぜ、冷蔵庫に余っていたフキの炊いたのをとりあえず使い捨てのプラのパックに詰めて行き、新横浜の駅でシウマイを買って追加で詰めることで全体を整えた。
木曜金曜は、実質休日あるいは半分土曜日の予定だったが、やはりいろいろ立て込んで、結局フルに京都からリモートでバタバタと仕事していた。まったく今の時代に感謝である。
土日をゆっくり京都で過ごし、日曜日の晩遅くの新幹線で新横浜に戻り、23時からフィンランドの友人 Keijo Salmivaaraと月一のZOOM 飲み、翌月曜日は朝早起きして弁当持って川崎のラボに出勤。
ところで、私がタピオカが流行するだろう、と唱えたのは1985年、パクチーが流行るだろう、と唱えたのが1990年。そして、これからクスクスがトレンドだと唱えたのは2015年だったと思う。比較的最近だ。タピオカやパクチーなど、これまでの数々の経験からすると、世間一般のクスクス大流行まで道のりはまだまだ長いかもしれない。
しかし、最近、note界隈を見ていると、その兆しは見えているような気もするがどうだろうか。
■最近ひっかかった音楽を少しばかり。
1.Do Montebello (ドゥ・モンテベロ) という南フランス出身のジャズ・ボーカリストを知った。フランスのアコーディオン奏者のMarc Berthoumieux(マルク・ベルトゥミゥ)が「11月26日に共演する」とFacebookで発信してきたからだ。
調べてみるとなかなか魅力的ではないか。2014年リリースのアルバム "Adamah" お洒落な軽い音作りでありながら力のある張りのある歌声で、フランス語の響きも心地よい。
2018年のアルバム "Birdy Heart"も心が休まる。日々の緊張がゆっくりと解きほぐされていくようだ。
2.私にそんなミュージシャンを紹介してくれたMarc Berthoumieux(マルク・ベルトゥミゥ)だが、しばらく前にひょんなことからレーダーにひっかかって時折聴いている。
2018年の"Le Bal Des Mondes"はジャケットも綺麗でよく聴いている。アコーディオンとガットギターの哀愁を帯びた音色、オリエントの雰囲気がたっぷりのボーカルとメロディがいい感じの楽曲を聴かせてくれる。
3.以前に「世界の歌姫たち」でとりあげた、アフリカのマリから元気のいい歌姫・Fatoumata Diawara(ファトゥマタ・ジャワラ)のシングル、Nsera、強いメッセージも感じるビデオクリップも印象的だ。
4.アルゼンチンの女性シンガーソングライター、シルヴィア・イリオンド。どういうわけでアンテナにひっかかったかわからなくなったのだが、素朴で美しい歌声で地域のフォルクローレの要素がありながら現代的な音作りで打たれてしまった。例えば 2003年のアルバム Tierra Que Anda。
2006年のアルバム "Ojos Negros"から、"Flor Moradita"。
2019年のアルバム "Antiguo Rezo"
TOWER RECORDS ONLINEの紹介文を引用しておこう。
もう惚れてしまった。
■今週も先週も、日曜哲学愛好家の投稿はしなかった。ポアンカレの「科学と仮説」について書きたいし、第一篇から第四篇まで一篇ずつ読んだところでまとめとして少しづつ投稿する予定だったのだが、面白く読み進んでいるところなので、もう少し自分の中で消化してから書こうと思ったからだ。
すでに学んで親しんでいる内容ではある。しかし、やはりポアンカレの視点と視線の先の射程の長さは印象深い。そして数学と物理の当時の最先端を誰よりも深く理解しつつ、その拠って立つところを洞察し、それでいながら自らの概念を絶対視せずに相対的に見ることのできる懐の深さを随所に読み取ることができる。
事象を独立の要素に分けたうえで瞬間瞬間で切り取った断面同士の関係を求める思考と、連続の概念や近接作用の概念が分かちがたいということは、不思議なことではないだろうか。
それにしても、ボケナスだから、と笑ってごまかしているうちにあっという間に11月の末、ぐんぐんと日が短くなってきた。
私達はどこから来てどこへ行くのだろうか。
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