火曜日しばらく雑記帳・28:note 雑感
物質にせよ精神にせよ、事象はつねなる生成として私たちに現れた。それは出来るか壊れるかしていて、とにかくある出来あがったものではけっしてない。
(ベルクソン「創造的進化」p.320)
■あっという間に10月に入ってしまい、今年も残すところあと3か月だ。note にポツポツと記事を書き始めたのは2019年の10月11日なので、ちょうど4年目に入った。
以来、少し滞るときもあったものの、一週間に 2 - 3 本の記事をだいたいコンスタントに書いてきているので、まぁまぁ自分をほめてもよいか、と思ったりしている。ただ、ちょっと力が入りすぎかもしれない。もっと軽やかに要点をついてわかりやすくカッコよくお洒落に、といきたいところだが、やはり文章には地が出てしまう。
ある主題についてまとまった文章を定期的に書くことで表現力をあげようと期待し、会社のミーティングでも「軽やかに要点をついてわかりやすくカッコよくお洒落に」発言できるようになるはずだ、と思ったけれどもこの3年の間どちらかというと逆になって、余計に話が長くなり紋切型のわりには要領を得ない、そんな発言が多くなったような気がするのも気になるところだ。
特に工夫もせずに書きっぱであるうえ、それをわかっているくせに努力しないのが問題、わかっているならちゃんとしろ、とつっこまれるところだろう。
そして、先週、ここまで書いたところで下書き記事を保存しようとしたところ、間違って公開ボタンを押してしまったうえ続けて「投稿する」ボタンまで押してしまい、一瞬だけ公開されてしまった。今までやりそうでやらなかったミスだが、3年目を終わろうとしているところで、ついにやってしまった。
note の UI のせいではない。どちらかというと、そういうミスが発生しにくく出来ていると思っていて、その点も note の好きな点だ。つまるところ、自分がそそっかしいだけだが、それだけに恥ずかしくちょっと動悸が激しくなった。
■アクセス数の多かった記事
note の運営に媚びず、クリエーターフェスなど無関心、ひたすらマイペースで書いていて、写真も自前で共有もせず、マネタイズは興味なく、目次もつけず、「スキのお礼メッセージ」をはじめとするリアクションへの設定もサボったまま、そっけないスタイルを続けているが、やはりダッシュボードが気になってしまうのは人の子だし、数字をKPIとして見てしまうのは、仕事柄のクセでもある。
気にしないように努めても、アクセス数やスキの数が多ければやはり嬉しいし、少なければ気になる、フォロワー数が増えれば嬉しいし、減れば自分が否定された気分になりガッカリしてしまう。
今年は、おや、と思うほどにアクセスがあった記事が、2本あった。
「西アフリカのギターの響き」が 27000 アクセス強、「サントゥールの響き」が 21000 アクセス弱あった。両方とも人気のあるマガジンに取り上げていただいたことによる。通りすがりの人がほとんどだろうと思うものの、悪い気分ではない。
マッテオ・マンクーゾの記事も、ヤマンドゥ・コスタの記事もアクセスが比較的多く、少しづつだが長くアクセスが続いている。
実は、「マッテオ・マンクーゾ」とgoogleで検索するとトップに私の記事が上がって来るし、「ヤマンドゥ・コスタ」も上位5位くらいに上がって来る。驚きだ。
ちゃんと調べてないが、そのようなミュージシャンが他にもいくらかいるようだ。試しに「エダ・ババ」と検索したらやはり私の記事がトップにあがってきた。
私が取り上げるミュージシャンは、日本ではあまり知られていない人が多いのだろうか、そんなことはないはずだが、責任を感じ始めていて、もっといい充実した記事にしなければと思いつつ、自分の耳や知識、そして文章表現力にも限界を感じてしまうところだ。だいたい本人に取材していないのだからそもそも限界があるのは当たり前である。近いうちに私の記事などは、これから書かれていくだろうプロの音楽評論家による素晴らしい記事の後方に、どんどん埋もれていくはずだ。
とはいえ、私の傍らで私の人生を華やかに彩ってくれている音楽とミュージシャンに感謝と愛を書き留めておきたいという思いで書いているので、アクセス数や検索上位などは気にせず、その初心をこれからも忘れないようにしていきたい。
■他に、読書を中心に毎週日曜日に投稿している「日曜哲学愛好家」としての記事も、比較的よく読んでいただいているようだ。プラトン、デカルト、カント、そしてマッハ、ゲーデル、中村雄二郎、小林秀雄、最近ではベルクソン、こちらも、今のところ、専門ではない気楽さはあるものの、もっと読まれるようになってきたら過去記事の書き直しも含めていずれ見直さないといけないな、と思っているところだ。
ポツンポツンと投稿している世界史関連や物理数学系も比較的読んでいただけているようで、アクセス数よりもスキ数が多い傾向があるので嬉しいかぎりである。
■SFやミステリーなど小説、では、P.K.ディックの「ティモシー・アーチャーの転生」が自分でも特に気に入っている。
上に書いたとおり、私の note は VALIS で始まった。原点はやはりそこにあるのかもしれない。いずれまた何度かディックの不思議な世界について書くことになるだろう。
■今年になって始めたことといえば、地球を2周して終えた「世界の歌姫たち」の後を埋めている雑記帳シリーズだ。
ちょっと思い出したことや気になったこと、雑多、料理、音楽、ジョギングの記録など。それこそ軽くメモしておくくらいの感じのつもりで始めたが、なぜか力が入ってしまう。
毎回、書き足りない思い、もっと編集してまとめたい思いもありながら、時間切れで書きっぱなしで投稿している、そのうえ前に何書いたか忘れがち、というのが実態で忸怩たる思いもある。
タグだけ丁寧目につけておいて、あとは検索で、というのは現代風、それもいいかなと思いつつ、連休が来るごとに自分のためにインデックスを作ろう、と思うのだが、結局、とりかかれないまま、どんどんこうして書いている。
火曜日のテーマについては、もう少し試行錯誤しながら続けてみて、年があけたところを目安に、コンセプトを明確化して新装開店したいところである。
今回も 5000文字を越えてしまった。
■その雑記帳のなかでは料理のセクションを作ったのがちょいと目玉だ。
料理は好きで、世界中のいろいろなスタイルの料理に興味があるので、たくさんの料理好きの方をフォローさせてもらっている。読んで写真見て楽しんでいるばっかり、スキを残すけれどもコメントもつけないばかりなので、少々悪い気がしていた。そこで少しでもアイディアの提供くらいはできるかと思って始めてみた。
料理のコンテンツ化は難しい。旬の野菜や地域特産のちょっと珍しい食材をある程度カバーしながら季節が一巡してしまうと、ほとんど繰りかえしになってしまう。あまり大々的にする予定はないが、まぁ、「私は今週も元気ですよ」「料理って楽しいですよね!」というメッセージだと受け取ってもらえればいいかな、と思っている。
そういえば、「次週は種々の唐辛子を語る予定」といつか書いた覚えがあるが、サボっていたら季節外れになってきてしまい、いまだに語っていない。20年前、「自分のした約束くらい自分で守れよ」と会社の先輩が同僚に言っていた言葉を思い出し、ちょっと精神的負担になっている。いずれ書く。
■さて、いつもどおり、先週にひっかかった音楽について書いておこう。
1.フラメンコの伝統と様式を生かした新しい音楽を探ろう、というのは新しい試みではないし、最近でもホセ・メルセの曲はちょいと新鮮だった。
そして、先週リリースされたニーニョ・ホセレがチック・コリアと共演した "Galaxias" は力強い演奏が心地よく、なかなかはっとする出来だった。
2.レバノンの歌手、Hiba Tawaji と Lui Fonsi のデュエット "Que Sera Sera"は、二人の掛け合いも雰囲気よく、アラブ・ポップスのメロディとリズムに身を任せて、なかなかよかった。
3.イスラエル出身でありながら自身のルーツであるイランの音楽をも探求するミュージシャンにしてハリウッド女優でもある Liraz の新しいアルバム "Roya" がリリースされた。
リラズに関しては、「世界の歌姫たち」に収録してあるので、興味ある方はどうぞ。
4.西アフリカのヒョウタンが胴になっているハープのような楽器であるコラの奏者・モミ・マイガ (Momi Maiga) と、スペインのシルヴィア・ペレス・クルス(Sílvia Pérez Cruz)のシングルを聞いた。哀愁のこもったメロディと二人の声、そしてつま弾かれるコラの音色がマッチしてなかなか聴きごたえがある。
この曲が収録されている "NIO" は、Momi Maiga のデビューアルバムということだ。
official site: Momi Maiga | 22 strings from Senegal
コラに関しては何度か書いているが、最近も記事にした。
5.ウード奏者 Basem Darwisch のエジプトのインスト・グループ Cairo Steps の新しいシングルがふと耳に入ってきた。比較的単純ながらも、民俗楽器の笛・ネイとともに、キーボード、エレクトリックベース、バイオリンやチェロといったストリングスも入れて、目新しいサウンドながら口当たりよく仕上がっていると思う。
ちょっと Wikipedia で見たところでは、2002年にスタートしたグループらしいく、何枚かアルバムがリリースされているようだが、Spotifyでは 2枚、2017年の Flying Carpet と2020年の Arabiskan が聴ける。
■火曜日の雑記帳では、ジョギングのログも入れている。なくてもいいようなものだが、季節の移り変わりを表現するにはいいだろう。以前は、過去の海外出張時の写真なども使いながら、読書の記事の箸休め「閑話休題」の記号のように入れていたが、最近は、あまり意味なくかえってジャマかなと思い、入れなくなった。テーマに合っていながら、数枚の写真で独立したストーリーを感じさせる、というように選ぶのが面倒になったというのもある。
素直にキャプションをつけて、テーマに直接あった写真を入れるのが楽である。
さて、note の気に入っているところは、書きやすい、編集しやすい、後からのメンテも容易、スマートフォンでも綺麗なフォントとレイアウトで読みやすい記事が自動で出来上がる点だ。さらには記事の検索も速いし的確なのも好きなところだ。「あれ?このテーマで前にどんなこと書いたっけ?」自分自身の過去記事の検索はとても大事なので、ありがたいところだ。
フォローしている方やフォローしていただいている方が少しづつ増えてきて、たびたびコメントを交換させてもらうなど、SNSならではの楽しさも増えてきた。多くの方の感性あふれる記事を楽しく読ませていただき、参考になることも多く、その点でもますます充実してきて嬉しいかぎりだ。
私は、全部読んで楽しませていただいたらそのお礼に「スキ」をつけるようにしているが、なかなか皆さんのペースについていけないところもある。読みもせずコメントもせずに足跡のようにスキだけ残していくヘンなおじいさんだと思われているかもしれないな、と思うが、ちゃんと読んでるし、まぁその辺は暖かく見守ってほしい。
一方で、リアルな友人のように近しい感覚になった方がいつの間にか発信が途絶えたり、スキを毎回つけてくれていた見知らぬ人が最近見かけなくなったり、そんなことが増えた。私たちの軌跡は、ひょんなことから互いに交わり、そして離れていく。
私たちはどこから来てどこに行くのだろうか。
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