火曜日しばらく雑記帳・2023 CW21
この間の土曜日 5月20日 は、町田へ父母を訪ねて来た。久しぶりだということもあり、庭木の剪定を頼まれていた。業者に頼むと高いからということで、素人丸出しの仕事で虎刈りもいいところだが、そのへんは大目にみてもらっている。
新しい枝が伸び放題で見るからにボサボサなのだが、作業を始めようとすると、せっかく成長した新しい綺麗な新緑の枝葉を切るわけで、どうしても気がひけるし腰がひける。しかし、左側を遠慮勝ちに切れば右側が気になる。右側をそろえると左側ももう少し。前をある程度刈ると奥が気になる。奥をそろえれば前ももっと切らないと釣り合わない。こんなものかな、と父母に意見を聞けば、あそこはもっと風が通るように切るべし、まだあの辺がピョンと出っ張っている、雲が空に浮いているような形をイメージするといい、少し離れて下からよく見ればわかるだろ、という具合である。
そんなこんなで2時間以上、高枝切用の柄の長い剪定鋏を手に、脚立に上ったり下りたりして「もうこの辺で勘弁してもらおう」というところまで作業をして、あとは道路に落ちた枝や葉を綺麗にしようと、塵取りと箒を持ってかがんで掃除していた、そのときだった。
「どちらから来られた方ですか?」
かがんだまま、見上げると上品な黒い服を着た丸顔に眼鏡の小柄な女性がニコニコとしていた。
「え、えーと。新横浜です。」
我ながら、アドリブがきかず間抜けな答えをしたなぁと思ったけれども後の祭りである。
「えーと、実は京都に自宅があるんですけど、単身赴任で新横浜に来てまして。。」
何を答えているのか、アホ丸出しである。
「・・・あの、もしかして。。島村さんの親戚の方なんですか?」
「はぁ、。。。息子なんです。」
「ええ?そうなんですか!私、お隣の中村(仮名)です。」
あれ?中村(仮名)さんのとこってこんな娘さんいたっけ?と思いつつ、「はぁ、お世話になっております」とわかったようなわかんないような返事をする羽目になった。笑顔で挨拶程度の短い会話はすぐに終わったが、内容は覚えていない。
きっと、最初に声をかけたとき、私のことを、腕は悪くても格安で庭木の剪定をするモグリの業者だと思ったのだろう。
それで、自分のところもお願いできないか、ということで尋ねたのだろう。あるいは道路の清掃がぞんざいだと文句をつけようとしたのかもしれない。
とはいえ、声をかけられたら、どんなにそれが不意であっても予想外の質問であったとしても、落ち着いて立ち上がってしっかりと挨拶する、そんな基本的なことが 56 歳になっても出来ていないとは恥ずかしいことだ。
いつでもどこでも人に見られているものである。そのことをいつでも忘れずにふるまえるようになりたいものだ。
いつになったら一人前の大人の男になれるのだろうか。
■だいぶん前、たぶん2月の初めだったと思う、シリア産のアーティチョークの瓶詰を買っていた。すぐに使うつもりでいたのだけれど、蓋が固くて開けることができず、ぼやぼやしているうちに今になってしまった。季節的にはちょうどよいかもしれない。
つぼみの底の部分だろうか、筍の根本を厚めに輪切りにしたようなのが、ゴロっと4個入っていた。これを適当に切って、まずはグラタン。
そして、火曜日の弁当は、残ったアーティチョークを使い、オリーブオイルを多めに鶏と玉ねぎと炒めて雑穀ご飯に混ぜて、アーティチョークのリゾット風まぜご飯。
世界広しといえど、アーティチョークをメインにした弁当を作って仕事に持っていく Telecom Industry の R&D マネジャーは私くらいであろう。庭木の剪定職人では皆無であろう。
使ったのはこちらだ。
アーティチョークもだんだんポピュラーになってきたかもしれない。いずれ、生のものが入手できれば使ってみようと思う。
胡麻和えは、「胡麻和えのもと」というのが売っていて、実際、野菜を茹でて和えるだけで見た目も麗しく、味も美味しくできるので具合がいい。人参葉や、インゲンを和えるのをよく作る。
先週から今日までにちょっと変わったところで思いのほかうまく行った料理といえば、22日の夕食。ラム肉とブルグル、中近東・中央アジア風の一品。
クミンシードをオリーブ油で熱して香りをだし、人参 1/2本と玉ねぎ 1/2のみじん切りをじっくり炒めて、ラム肉の切り落とし 200g を投入して炒め合わせ、塩で調味し、ブルグル 3/4cup を入れて軽く混ぜ合わせる程度に火を通して、倍の分量の水で15分ほど炊いて15分ほど蒸らせば出来上がり。
最初ちょっと人参が多いかなと思ったけれども、中央アジアのプロフとか見ると多目に入れているのもある印象、これがなかなかよかったかもしれない。香辛料はいろいろ入れずにクミンだけでシンプルにしたほうがいいように思う。
■先週にひっかかった音楽を少し。
1.Kris Dayanti というインドネシアの歌手がいると最近になって知った。イニシャルで KD とも呼ばれているそうである。先週にリリースされたシングルは "Ku Tak Sanggup" が耳にとまった。
1999年のアルバム "Menghitung Hari" の中の一曲で、アレンジも新たに再録音したものではないかと思う。大河ドラマのようにゆったりと身をゆだねるように聴くことができる。
そういうと、インドネシアの歌姫、シティ・ヌールハリザとの2020年のアルバムもある。
声質がよく似ていて二人とも魅力的だ。KDのほうが、シティ・ヌールハリザよりも4歳だけお姉さんらしい。
2.カタロニアのミュージシャン、Guillem Ballaz のシングルを聴いてひきこまれた。拍子をとりにくい曲に平板な感もあるメロディがよく合っている。楽器の素朴な音と和声に伝統音楽の泥臭さを残しつつ現代的な整った音が新鮮に響く。
まだあまり聴けていないが、これはかなりクセになりそうだ。
3.アメリカのバンジョーの演奏家のベラ・フレック (Bela Fleck) と、インドのタブラ奏者の大御所ザキールフセイン、アメリカのベーシストのエドガー・メイヤー (Edgar Mayer)、そしてインドの笛の奏者ラケーシュ・チョウラシア (Rakesh Chaurasia) が参加したシングル "As We Speak." なかなかいい。異色の編成でのレコーディングにありがちな押しつけがましいところがまったくなく、それぞれの演奏が楽しく聴ける。
特に、インドのバンブーフルート、バンスリーの音が全体の雰囲気を柔らかく楽しいものにしていると思う。
4.ロンドンのミュージックシーンから、ギタリストのマンスール・ブラウン、 "Desta - The Memories Between"。バリバリ・ゴリゴリ弾く場面は一切なく、広い空間を感じさせる音作りがなかなか好きだ。
5.ブラジルのギタリスト、ペドロ・マルティンス (Pedro Martins) の "Polos"、得意の浮遊感あふれる音作りで、これも気に入った。
この若者は、気取らない立ち居振る舞いでまったくガツガツしたところがないが、ギタリストという枠に収まらない才能あふれるミュージシャンだと思う。
6.モロッコのウード奏者、ドゥリス・エル・マラウミ (Driss El Moloumi) のシングル "Jradaa"、教会音楽のような静かで荘厳な歌がいい。
今月 "Aswat" というアルバムをリリースしていてその中の一曲だ。2013年以来のソロ・アルバムということである。一曲目のパーカッションとウードの タイトル曲 "Aswat" もいい。
ウードは中東に広く分布するギターやリュートの元祖ともいえるだろう古い歴史を持つ楽器だ。涙粒を半割にしたような共鳴胴のバックは寄木細工で作られている。弦は5 - 6コースの複弦で、バチで弦を弾く。
これまでの何度か紹介したが、マダガスカルのヴァリハ奏者ラジェリと、モロッコ出身のウード奏者 ドゥリス・エル・マラウミと、コラはバラケ・シサコの、"3MA (Madagascar, Mali, Maroc)"というユニットがあって気に入って愛聴盤だ。
■ジョギングはたいてい土曜日にすることにしている。月曜日の仕事に支障がないようにしたいからだ。とはいえ、この間の土曜日の午前は天気が悪く、午後からは町田に行ったため、日曜日に走ることにした。
前日の疲れもあったし、翌日に疲れを残すのも嫌だったが、負けん気だけが勝って普段のコースを 13.8km を走った。
先週は、火曜日の雑記帳が金曜日に、木曜日の最近よく聴いている音楽も日曜日にずれた。日曜日の記事は、一か月前の予告どおり、ポール・サイモンの "Seven Psalms" (7つの詩篇) だった。個人的な思い入れが強すぎて、抑制がきいていない記事となってしまった。しかし、これをきっかけにポール・サイモンについてはもう少しシリーズのように書いてみようかと考えながらも、構成や内容を考えあぐねて逡巡している。
"Something So Right" を貼っておこう。
少しいろいろ考えすぎかもしれない。