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ファンタジーと男心

「そんな男心もわかんねぇなら官能小説書くのなんてやめちまえよ。」

先日年上の知人男性から頂いたお言葉です。詳細はお聞き苦しいことなうえに長いので省略致しますが、全ての元凶が私の判断ミスであり、それに関わった男性の男心を私が理解出来ていなかったことが全て悪いのだと言うのです。

久しぶりに憤りを感じました。爪が拳に刺さるほど怒りが脳みそに上り詰め、しばらく腸がグラグラと煮えていました。しかし、数回日の出日の入りを見送り、じわりじわりと言葉や場面を色々な角度から眺めた結果、

「男心も何もかも完璧にわかるなら、私は物書きを辞めて教祖になる!」

という答えに行き着きました。その方が楽に生きられるし、みんな幸せですから。

しかし私はわからない。わからないからこそ、考え、妄想し、構想を練り、物語を書くわけです。物語、そうファンタジーを。
官能というのはあくまで作中と現実にある共通点のひとつに過ぎないのです。私達にも十分起こりうるしかし確実にファンタジーでしかないのです。これにリアルを求めるならば、宇宙小説を書いた人は宇宙に行っているし、サスペンスの有名作家は連続殺人犯になるわけです。
まぁ、これをお読みしている方々の殆どは「物語は物語でしかないだろう。」と鼻で笑っていることと思いますが、私は不運にも熱狂的な小説は現実だ信者にぶち当たったのでしょう。官能小説を書く私を「お前はいやらしい軽い女だ」とほとんど初対面の時点で決めつけた人なので、そういうとなのでしょう。

大体、その方が宣う男心とは、果たして世の男性全てが抱える男心なのでしょうか?
仮に彼の男心=世間全ての男心なら、私は一生男の人とは心を通わせずハムスターとかドジョウにでも囲まれて暮らしている方がよっぽどマシだと思うわけです。もちろんどちらも大して好きではありませんが。
そりゃあ、私も物書きの端くれでありその前に人間ですから、それなりに他人が何を考えているかと、思いを巡らせた経験はあります。しかしこれも官能小説は所詮ファンタジーと同じく、人の気持ちは考えたって正解はないのだというのが私の結論です。もちろんそれで「考えたって無駄!」と放棄するのではなく、思いを馳せるくらいが丁度いいと思うわけです。世界平和を願いみんなが笑顔になることを考え、隣にいる誰かに優しくすることは出来ても、毎日誰かの不幸を想像して泣いて暮らすことはないのです。

さて愚痴にも近いこんな文章を書いて、しかも今ここまでお読み頂いているひとがいらっしゃる時点で大変恐縮です。有難い話です。
どうか皆さまも、現実とファンタジーを混同する人々にくれぐれもお気をつけください。事実は小説よりも奇なり、ということですね。

#大鳳万 #エッセイ #官能小説 #男心 #オリジナル

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