幸せになると描けなくなるもの
ドキッとする言葉に出会いました。
この詩を読んだ時、“あぁ…ワカル!”と共感し、自分の中の共感ポイントを言語化したいなぁと思っていました。
“幸せの反対側に埋もれているもの”
10年前の私は、ちょうど幸せの反対側に居ました。
今思えば、ちょっとした躓きだったんですけど。当時のわたしには深刻で、人生のレールから外れたと絶望していて、自虐的で、何で生きているんだろうと思ってました。
外にも出ず、衝動的な気持ちを持て余して、そのドロドロトゲトゲしたエネルギーをどうにか昇華させていたのが絵でした。
光を探している女を描いています。
ダークですね。アクリル絵の具。
これは…病んでますね😅色鉛筆。
うらに書いてあったポエムらしきもの。クレヨン。
一見、お花や猫がいて明るい絵ですが、すごくビビットで強いイメージです。
ぶつける様に思いついたまま描いているので意味はありません。長くみていると何故か酔った気持ちになって気持ち悪くなります😅(注意)
これも気持ちの悪い絵です。
自分でもよく分からない気持ちを詰め込んでいたんだと思います。
たくさんの色、強い色、訳がわからない形。
今は描けません。
そのエネルギーが無いんです。
絵で昇華しなければいけないほどの苦しさが無いんです。
まさか幸せになると出来なくなることがあると思っていませんでした。
マイナスのエネルギーって、絵を書いたり文を書いたりするのにすごく力を与えている気がします。芸術家って何かしら絶望してるんじゃないかしら?(←偏見)
今は今なりの、淡白で軽い絵が1番合っているのですが、
なんだか、おとなのふりさんの詩を読んで、あの頃のエネルギーを懐かしく感じたのです。
“幸せになりたいけど、忘れたくはないんだ”
今だから共感できるいいタイミングでこの詩に出会えて良かったです😊
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