夏の過ごし方

とにかく引きこもる。
それがこの国の夏の正しい過ごし方である。なにせこの暑さである。外に出ようもんなら余裕で死ぬ。だから僕は休日などは薄暗い室内のすみっコで落ち着きながら本を読むとかTwitterを眺めるとかをしながら夏が早く終わるのをひたすら願っている。
そうして引きこもってTwitterを見ていた時である。凄まじいものを見つけてしまった。田端信太郎がリツイートしていた、よく知らない人のツイートである。よく知らないが田端信太郎にリツイートされるということは僕の人生には必要がない人だと判断し、とりあえずツイートのスクショだけ撮ってすぐさまブロックをしておいたのだが、凄まじいツイートというのは次のものである。





海外のよく知らないおじいちゃんの記事の紹介である。そのおじいちゃんはなんでも「4年間で400冊以上の自己啓発本を読んで得た8つの教訓」なるものを語っていたそうな。
…誰か、止めてやれよ。
それだけの年月を経てそれだけの量の本を読んでも、その愚行を止めてくれる友人の1人さえも得られなかったという事実には涙を禁じえない。しかも得られた8つの教訓にしても1時間かけて1冊読めば済むような、だいたいどの自己啓発本でも書いてありそうな薄っぺらな事柄が8つ並んでいるだけである。400冊読んだ末に「僕は何を得られたんだろうなあ!」とワクワクしながら紙に得られた教訓を書き出してみてこの8つが並んだとき、おじいちゃんはどんな気分だっただろう。自らの愚かさ、無意味に過ぎ去っていった時間、本棚に並ぶ大量のゴミ、目の前の紙に書かれた虚無…これは絶望と呼ばずして何と呼べばよいのか。
継続は力なり、と人は言う。だがその言葉は時に嘘になる。何にも力にならない継続というものもこの世には存在する。おじいちゃんはそれを身を持って証明してくれた。4年間もかけることはなかったと思う。その4年間をもっと有意義に使うことだってできたはずだ。だがおじいちゃんはそうしなかった。なんという自己犠牲の精神だろう。そこまでして誰もがわかりきってることの証明なんてしなくてもいいのに。

僕が学生の時、所属してたのが文学部だったから周りの人はみんな本をたくさん読んでいたわけだが忌避されるジャンルの本もあった。それがまさしく自己啓発本だった。自己啓発本を読んでいる、というだけでバカにされたものだ。「自己啓発本を読んでます」なんて恥ずかしくて言えたものではなかった。なんだかいつの頃からか書店でも目立つ位置に置かれるようになり市民権を獲得しているが、自己啓発本なんてのは昔は人目を憚って読むような、アブノーマルすぎるエロ本みたいなものだったのだ。
4年間、ちょうど大学生活と同じ長さだ。ためしに大学の4年間で読んだ本を思い浮かべてみてほしい。それは少なくとも自己啓発本ではなかったはずだ。どこの学部にいたにせよ、それなりに専門的な書籍を読んでいたはずだ。その読書の中で得られたものを総ざらいしてみた時、あんな愚かな8項目しか出てこないなんてことは絶対にないだろう。自己啓発本がバカにされる理由はまさにここにある。得るものが何もないのだ。


ここまで書いて気がついたのだが、4年間で400冊ってよくよく考えたら大したことでもない。どれくらい読書に時間を費やせるのかは人それぞれではあるが、薄っぺらな自己啓発本なら4年間もかければその倍くらいは読めるはずだ。
実は僕もおじいちゃんと同じようなことをしていたことがある。僕は幸福の科学の信者なので、一時期エルカンが書いた「経典」を頑張って読んでいたのだ。幸福の科学本はやたら文字が大きく、そしてやたら厚い紙で製本されている。その上、内容なんてないに等しい。だからあっと言う間に読み終わる。読む、というより目を通すといったくらいのカジュアルさで取り組んでも何が嗅いてあるかはきちんと把握できた。1冊読むのに下手したら20分くらいしかかからないものもあった。そんなものだから、たしか1年で200冊以上は読んだはずだ。その上で得られた教訓は何もない。頑張って8つほど挙げたところでさっきのおじいちゃんと同じような浅すぎる言葉が並ぶだけだ。

余談だが幸福の科学本を読んでみたい、という人におすすめなのは幸福の科学に嫌われてそうな人、リベラルだとか言われがちな人の霊言本をおすすめする。僕のお気に入りは蓮舫さんの守護霊対談なのだが、蓮舫さんの守護霊は対談中に舌打ちはするわ唾は吐くわでめちゃくちゃやっていてその破天荒っぷりは楽しかった。逆によく知っている人の霊言は読まない方がいい。僕が好きで愛読している作家(野坂昭如)の霊言本があるのだが、野坂昭如が絶対に言わなそうなことや嘘ばかりが書き連ねてあって思わず職員さんにクレームを入れてしまったほどだ。
アホ宗教の話は置いておくとして、おじいちゃんは薄っぺらな自己啓発本をたかが400冊読んだと自慢げにほざくが、それは別に誇ることでもなんでもないのだ。


このツイートを読んだ数日後、僕はフラフラと書店をのぞいてみた。自己啓発本はやはり目立つ位置に置かれその存在を強くアピールしている。
アホ本コーナーを華麗にスルーし僕は児童書コーナーに向かった。目立つところにあった1冊を適当に手に取る。それは言わずとしれた名作、『100万回生きたねこ』だった。パラパラと中身を見てみる。
いい。やっぱりいい。めちゃくちゃいい。何度読んでも感動する。この1冊の中に人が生きていく中で大切なものがどれだけ詰まっていることか。
自己啓発本やエルカン本に何かを求めるのもいいだろう。ここには何もない、という結論を出すためにはある程度は読んでおいた方がいい。でもやっぱり、せっかく読むのならちゃんと人生を豊かにしてくれる本を読む方がいいに決まってる。世の中の書店という書店がみんなアホ本コーナーを極小にまで縮小しちゃんとした本がちゃんと目立つところにある当たり前な書店になってくれる日が来るのを僕は待ち望んでいる。


さて、夏だし引きこもってるから本を読む時間が増えた。積読は積みに積み上がっているから読む本に困ることはないのだが、それにも関わらず僕は本を買いたい。買いたいがお金はない。困った。だからここまで読んでくださった方の善意に期待いたします。どうか、どうか私にお金を恵んでください。お金がなければ本を買えません。本の購入先がブックオフばかりなので、どうしても外文があまり読めないのです。日本の作家の本でもいいけど、やっぱり外文だって読みたいもの。だからどうか、どうか下のサポートというところからお金を恵んでほしいのです。恵んでもらったお金でビールとかタバコも買うかもしれません。そりゃあ多少はね。でも本を買いたいっていうのも嘘ではないのです。だからどうか、どうかよろしくお願いいたします。


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