駅前の虚無
仕事帰り、亀有駅の北口から歩いてすぐのところにいつも「アイツ」が座っている。毎日毎日、飽きもせずにいる。その姿を見るたびに僕は小さく舌打ちをして目線を違う方に向けながら通りすぎる。
「アイツ」は多分、20代半ばくらいのにーちゃんである。不愉快すぎて顔をしっかり見たこともないのだが、きっとぼんやりした感じの男なんだと勝手に思っている。「アイツ」はいつも亀有駅北口近くのロータリーに座りこんで、何やら色紙を売っているのだ。「あなたのためにインスピレーションでポエムを書きます」的な事柄が書かれたちっさい看板がいつもそこにある。その看板のそばにサンプルみたいなのが置いてあるのだが、そこには「キミはキミのままでいいんだなぁ」みたいな、相田みつをの真似事な文言がこれまた相田みつをの真似事な筆致で書かれた色紙があった。見かけるたびに踏んづけてやろうかなと思うが、踏んづけることができる距離まで近づいたことがないのでいまだに踏んづけることはできないでいる。
毎日そこにいる、それは大変なことだと思う。仕事とかはしてないの? などの疑問は浮かぶが、仕事をしてようとしてなかろうと毎日続けることは凄いことだ。その点は素直に評価したい。だが、そうして毎日出張ってきてまで出すものが劣化相田みつをなのだ。
わざわざ路上に出てきてお前がやりたいことがそれなのか?
ものすごく疑問である。「お値段はお気持ちで」とも書いてあるが、一体誰がこんなモドキに金を払うというのだろう。そのインスピレーションにいくらの価値があるというのだろう。金を貰っていいものではない。そこにあるのはポエムでもなければ作品でもない。ただの虚無だ。そんな虚無を振りまいて金を貰おうという魂胆に腹が立つ。人生を、人間を舐めているなと感じる。だからもちろん視界にも入れたくないのだが、アイツがいる場所を通らなければ僕は帰宅ができない。こうなるともはや嫌がらせだ。僕は毎日、帰宅するたびにちょっとイラっとさせられることになる。
ちなみに、誰かがアイツの虚無を買っているところを見たことは一度もない。当たり前の話だ。
以前、あれは新百合ヶ丘で見かけたのだが、路上でギターやら何やらをかき鳴らして音楽を演奏している連中を見かけたことがある。
駅を出て目的地に向かう道すがらのことだ。嫌な予感はしたが避けて通ることはできない。避けて通ったところで奴らの音楽は否も応もなく耳に入ってきてしまう。
わざわざ路上に出てきて表現をしたい。その意気は良しである。応援してあげたいと思う。しかし、応援などできない。できるわけがない。
アイツらの姿を見る前、というか新百合の改札を通る前からアイツらの演奏している音楽は聞こえてきていた。ボーカルの兄ちゃんががなり立てている。
「見えないものを見ようとして〜望遠鏡を」
やめろやめろ覗きこむんじゃない。もうそんなのはたくさんだ。
なんで駅前なんて人通りのある公共の場で自らを表現するという場面で、他人の曲なのだ。そこはお前が作ったお前のオリジナルをやれよ。わざわざ路上に来てまでやることがそれなのか? カラオケ屋でやっててくれよ。望遠鏡の有無は関係なくお前は肝心なものが見えない見えてない。
こんなのは騒音でしかない。足早にその場を通り過ぎようとした時、曲が終わった。まばらな拍手、その拍手にスカした態度で答えるバカたち。ここで僕はふと思った。
「みんなが知ってる曲で人を集めておいて、ここから本番をしようという魂胆かもしれない!」
その一縷の期待に縋って僕は足を止めた。まだ希望を捨ててはいけない。いけないんだ。
数秒後、僕は希望を投げ捨てた。ボーカルは目を閉じて陶酔した表情で歌いはじめる。
「夢な〜らばどぉれほどよかったでぇしょお」
本当にね。夢ならばどれほどよかったことでしょう。なんなら俺が隣に行って熱唱してやりたいくらいだ。
だから! なんでわざわざ路上でそれをやるんだよ!!
あなたの表現したいものは何ですか? それですか? それなんですか? それ、他の人の表現です。あなたは誰なのどんな人なの? ここはどこ? 私は誰?
怒り狂うあまり、訳のわからない地点に飛ばされそうになった僕は気を取り直すと慌ててその場を離れた。今日は仕事で新百合くんだりまで来ているのだ。こんな虚無にかまけている暇はないのだ。
だがそのすぐ後、僕は絶望することになる。その日の仕事現場は駅のほど近く、仕事中も延々と虚無が耳に入ってきてしまう場所だったのだ。
それから1時間ほども悪夢は続いただろうか。もちろん一曲たりともオリジナル曲はない。すべて僕でも知っているヒットナンバーばかりだ。せめて、すべてバンプの曲をやる、とかならまだ我慢はできただろう。そこにはある種の表現や文脈が存在するからだ。だがすでに僕はアイツラが米津に突入したという現実を目の当たりにしている。夢も希望もそこにはない。僕がそんなことをつらつら考えている間にもアイツラはレモンを食べ終えてドライフラワーを咲かせはじめている。まさに虚無だ。
そこから続く虚無リサイタルはまさに公害と呼ぶにふさわしいものであった。アイツラが何をしたかったのか、何で生きているのか、僕はその謎がいまだに解けないでいる。
亀有駅前のみつをモドキには誰も近寄りもしないが、新百合のいろんな人モドキの周りにはけっこうな人数の人だかりができていた。
その人だかりが何を求めてモドキに群がっていたのかは知らない。その人だかりを見てモドキたちはスカしながらも満更でもない空気を発散して僕をイラっとさせていた。
僕がイラつかせるのはともかくとして、彼らは虚無を世の中に提示して人や金を集めることができたとして、それで何かが満たされるのだろうか。自己顕示欲ってそういうものだったっけ。
とにかく人からチヤホヤされたい。そう思うなら、虚無を提示するということはその欲求を叶える近道なのかもしれない。だが、その近道を通って彼らがたどり着く先は彼らが望んだ場所ではないのではないだろうか。そんな余計なことを考えたくもないから彼らは虚無なのだろう。とにかく売れさえすればいい、そんな売上至上主義の人間が大手を振って歩いている世の中だ。
売れてれば正義、売れてなかったらゴミ。
中身はとにかく、いいねが付けばいい。フォロワーが多ければ偉い。そうじゃないやつはダメな虫けら。
そんなところで生きてれば虚無になってしまうのも仕方がないのかもしれない。ただ僕は彼らの安易な舐め腐った姿勢に嫌悪感を抱くばかりだ。
ところで僕にはお金がない。このnoteが少しでも売れたらいいなと思っている。
noteでお金を稼ぐ術、わからなくはない。それこそ、読んでる人に心地よい虚無を書けばいいのだ。どんな人が虚無に騙されてくれるかしっかり見極めてそこに向けて虚無を書けば…多少は売れる気がする。でもやらない。ていうか多分できない。
だからいつもの感じの文章ばかりだ。でもお金を恵んでほしい。「キミはキミのままでいいんだなぁ」とか言いながらお金を恵んでくださる方、どうかお願いします。僕にお金を恵んでください。下のサポートというところからお金を恵んでください。