能登散歩 平凡な祈り

金沢に到着して「ここが金沢だなあ」と中身のない感慨にふけること約15分、僕は慌ただしく金沢駅に向かい七尾線に飛び乗った。金沢観光も何もあったもんじゃない。着いたと思えば速攻でまた移動である。
折よくホームに停まっていた七尾行きの電車に飛び乗り、窓から代わり映えのしない景色をあくび混じりに1時間ほど眺めていると僕の乗った電車は七尾駅に到着した。ここからさらに能登鉄道に乗り換えてその終着駅、穴水まで行こうという魂胆だ。

ご存知の通り、能登半島は新年早々に震災に見舞われた。大きな被害があったわけだが、政府が令和に御代にあるまじきほぼ棄民政策と言って差し支えないような支援しか打ち出さないため被災地の復興は遅々として進んでいない、という情報をネットなどで見聞きしていた。その惨状はこの目で見ておかなければならないだろう、と穴水行きを決めたのだ。
ちょうど僕が能登に向かう数日前に能登鉄道が全線復旧していた。僕は自動車免許を持たないので、どこに行くにしても電車が通っている場所に限られる。そんな僕が行ける範囲では穴水が能登半島の一番先端となるのだ。本当に被害が大きかったのは輪島や珠洲といった場所なのはわかっているが、そこには行くことができない。それでもとりあえず行ける範囲内の状況は見ておこう、という発想だ。


七尾駅では乗換えの待ち時間が30分ほどあったので駅の周囲をブラブラと歩いてみた。駅前のドンキホーテの存在は旅情からへったくれもない無粋なものではあるが、そこに人の生活があることになんだかホッとしてしまった。地震や災害があっても、そこには人が変わらず生活を営んでいる。
この辺りではそう大きな被害はなかったようだが、歩道のアスファルトがところどころ隆起していたりして少し歩きづらい。これが地震の被害なのかどうかはわからない。

しばらくして七尾駅に戻ると一両のこじんまりした電車がホームに停まっていた。鉄オタさんたちからすると羨ましがられるのかもしれないが、あいにく僕は電車や乗り物には一切興味はない。つまらなさそうな顔をして電車に乗りシートに座ってスマホでいじるなどをしていた。ふと周りを見てみると、七尾駅構内もいろんなところで工事が行われていた。養生シートが被せてあるところや、ネコ車や何やらの工事道具がそこかしこに置かれている。たしかに半島の先端に比べれば被害は小さかったかもしれない。でもここも被災地なのだ。



動き出した電車に乗っていたのは全部で10人くらい。おそらくはみんな観光客なのだろう。ちょうど桜も満開の季節だった。
僕は野暮なので電車にも興味がなければ桜にも興味はない。電車が走っている間、ぼんやりと窓の外を流れる景色を眺め続けていた。穴水には約40分ほどで到着する。
咲き誇る桜や静かな海岸など、美しい景色の合間合間にときおり視界に入るのは倒壊した家屋の数々だ。穴水に近づくに連れ、少しずつその数は増えていく。そのほとんどはおそらくは古い家屋なのだろう、だいたいは瓦屋根の日本家屋だった。のどかな景色とその無惨な廃墟のコントラストは、不謹慎かもしれないがひどく美しいものだった。



穴水駅。駅を降りてすぐのところに崩れ落ちた建物がある。ほとんどの建物は震災前と同じ姿を保っているが、やはり古い建物は地震に耐えられなかったのだろう。僕が穴水へ行ったのは4月半ば。地震が起きたのは1月1日。3ヶ月以上も放置された廃屋はもはや風景にとけ込んでいた。
崩れ落ちた建物の1つに近づいてみる。瓦礫の隙間から何冊かの本が落ちているのに気づき、それを引っ張り出してみた。



長部日出雄『津軽世連れ節』
江藤淳『夏目漱石』
シュールヴェルヌ『地底の探検』
とりあえず見つけたのはこの3冊だ。長部日出雄さんの本は読んだことがないのでよくわからないが、時代小説で有名な方だというくらいの知識はある。主な読者は年配の男性だろう。江藤淳の『夏目漱石』もあることから考えると、日本の歴史や文学に造詣がある方なのではないかと思われる。シュールヴェルヌの『地底の探検』はお子さんかお孫さんのものだろうか。でもヴェルヌってけっこう難しくて読み手の力量は試されるので(ちなみに僕はさっぱりわかんなかった)これも同じ方が読んでいたのかもしれない。
倒壊している家屋の映像はテレビでもネットでも見ることはできる。そこに「人間」を感じることはない。あくまで映像であり画像でしかない。でも、こうして実際にそこにその人が暮らしていた痕を見つめ「人間」の存在を認めてその体温や息づかいを感じてしまう時、それは純粋な他人事ではなくなる。
この人は今どこでどんな生活をしているのだろう。

穴水駅から歩くこと数分、そこに神社がある。いや、「あった」と言うべきかもしれない。灯籠も塀も倒れたまま、とても参拝客が入ってこられる状態ではない。

僕はどこに行っても神社を見つければ入ってみる男ではある。だがこの惨状を目にしてさすがにここに入って行くのは躊躇いを覚えた。そして一度は踵を返した。
でも、見たい。見ないわけにはいかない。見なければいけない。
別に誰に強制されてるわけでもないのだが、そんなことを思って一度返した踵をどうにか神社に向け直した。見なくてはいけないものが、ここにはある。
いつものように絵馬の撮影だ。お誂え向きに絵馬をかける柵は無事なままだった。そこにはおそらくは初詣で来て奉納したものだろう、震災当日に書かれた絵馬もあった。



「無病息災で一年過ごせますように」
「大変化の年 夢に向かって前進!」
「全ての人が幸せでありますように」
ありきたりな、悲しくなるほどありきたりな内容の絵馬だった。この絵馬を奉納した人たちはただ、幸せでありたいだけだった。何も変わらない日常が明日も続くことを当然のことだと思っていた。数時間後にその日常が一変するなどとは知る由もなかった。



震災前に書かれたものもある。これは2023年11月25日に書かれたものだ。
「平穏な日々送れますように。お願いします」
これを書いたのは60代の女性だ。大それた願い事なんてない。平穏な日々。望むのはそれだけだった。この人はどんな人だったのだろう。どんな想いが彼女にこの文言を書かせたのだろう。この1ヶ月後、震災が起きる。

「天皇が来る」ということが決まって能登鉄道の全線開通が急がれた、みたいな話をネットで目にした。真偽の程は定かではないが、ありそうな話だなとは思う。上野の都美なんかを天皇が視察するときには公園内のホームレスが追い出される。「山狩り」なんて呼ばれたりもするが、同じような発想が被災地であったとしてもおかしくはない。
天皇が来るから復興が進む、端的にイヤな話だと思うが「それでも復興が進むなら…」と悪感情は呑み込んでいた。だが実際に穴水を見てみればそこかしこで建物は倒壊している。倒壊こそしてなくても、とても住めるような状態ではなくなっている建物もたくさんあった。
天皇が来るにも関わらず、こんな体たらくだ。
石川県の知事はオリンピック関係者にカレンダーを配ることには長けている優れた方なのに災害からの復興にはとんと存在感を発揮してくれない。無能だからそうなってしまっているならまだ納得はできるがそういう感じでもない。一種の悪意を抱いていて復興を妨害しているのではないかと訝ってしまうほどに現状はひどいのだ。先ほど「棄民政策」という単語を用いたが、意識的に棄民政策を取っているとしか思えない現状がそこにはあった。
穴水は輪島や珠洲に比べればまだ被害は小さい。僕はそこへ行くことはできないが、穴水でさえ僕は何度も「酷い…」と思わずこぼしてしまったほどだ。そこに人の生活があり暮らしがあり人生があること。そんな当たり前のことを行政権を行使できる立場にある人が理解しているとはとても思えない。それが穴水に行って2時間ほど辺りを歩いた僕の抱いた感想だ。

また能登鉄道に乗って、今度こそ金沢に向かう。
金沢は地震の影響はない。観光客もたくさんいた。
美味しい物を食べ観光スポットを巡り。そうやって過ごす人はたくさんいた。かくいう僕もその1人だ。
だがその場所から電車で2時間あまりのところには、3ヶ月が経過しても十分な支援もなく打ち捨てられた人たちがいる。
「平穏な日々送れますように。お願いします」
その願いは日々切実さを増していく。この国は、その叫びにも似た声に耳を傾けない。


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