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本当の[自分と向き合う]。

昔はとことん
自分と向き合った

むっちゃ自分を責めて
むっちゃ自分を嫌いになって
むっちゃ落ち込んで

それでも、
自分を見つづけて
自分と向き合って

家から出れなくなるくらい
自分を痛めつけて
たくさん泣いて。


昔はどんな自分からも
目をそむけなかった。


だけど、最近は
良くも悪くも大人になって
器用に目をそむける方法を
覚えた。


落ち込まないように
自分を責めないように
自分を嫌わないように


なるべく悪い自分をみずに
うまく自分を取り繕って

くさいものにはフタ。


ポジティブになった"つもり"でいた。
レベルアップした"つもり"でいた。
成長したと勘違いしてた。


(いや、でも、それも
私には必要な要素で
自分を守るために
必要な時期や方法だった
のかも知れない。)


ダメな自分を
肯定するには
まだ私の器が出来上がってなかった
目を背けることしか
自分を生かすのに
方法がなかったのかもしれない。


だけど、


くさいものにフタと言ってる時点で
自分をくさいものと思ってるし
むっちゃ否定してることに気がついた。


気づいてしまった。


私、変わった"つもり"でいた....


自分を好きになった
"つもり"でいた…


無理やり
それっぽい自分を演じて
それっぽく受け入れて
それっぽく振る舞って
それっぽい自分を
好きって思わせてた。


それは本当に
私は私を愛せていると
肯定していたと
言えるのか・・??



どんな自分からも逃げずに
向き合うのが私だろう



どんな自分も
決して目をそらさず
しっかりみてやって
見つめてやって
見つけてやるのが


私がやることなんじゃないのか?


ダメな自分の痛みも
自分が犯した罪も
嫌いな自分も


しっかり感じて
感じ切って
その向こうへ

その先を観て
その先へ
その先に新しい自分や
新しい世界が
広がってる

自分を超えた自分。


痛い目をみて
学ぶこと


自分を責めたり
いじめたりは
もうしなくていい。


それはただの無駄なこと
くだらない茶番でしかない。


自分を見つめることは
自分と向き合うことは


ダメな自分を責めるわけでも
ダメな自分に落ち込むことでも
自分を嫌いになることでもない


どんな状態の自分も
感じ切って
受け止めて
知って
見つけてあげて


その"まんま"を観る
ことだ。

そこに悪いとか良いとか
判断じゃいらない
ジャッジはいらない


失敗したのなら
その痛みをしっかり味わって。
噛み砕いて。

次に生かす
肥しにしたらいい。


何も装飾はいらない。


ごまかしも
まやかしもいらない。


ダメでも
ダサくても
どんな自分でも


今の自分から目をそらすな。


自分を忘れるな。



自分を見ることを
忘れるな。


自分を失くすな。


決して完璧じゃない
最高な自分を
自分自身を。


なんかこの歌が届けたくなった。










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風見のしーちゃん
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