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「阿波説」で興味深いこと

「日本神話の舞台=阿波説」
「邪馬台国=阿波説」
の動画を拝見していたら、
①渡来人は四国に多い。阿波忌部はユダヤ人か?→「日ユ同祖論」
②阿波の人口が一気に減った時期がある。→奈良盆地へ移住して建国
という話が出てきました。

①について:渡来人の中には、アジア人以外の人がいても不思議ではない。
②について:稲作が入ってきて広い平野を求めて安房へ移住した。
のような気もしますが・・・。

 御存知のように、中国の史書には、女王・卑弥呼が統治する邪馬台国が登場しますが、日本の記紀(『古事記』と『日本書紀』の総称)には登場しません。これは、神武天皇が日本を建国した辛酉年1月1日を西暦の紀元前660年2月11日と設定したからです。ですから、卑弥呼の時代は、記紀では神功皇后(仲哀天皇灯にして応神天皇生母)の時代になってしまいます。日本の建国は、実際はそんな昔ではなく、第10代・崇神天皇の時とされ、卑弥呼の時代は、記紀の「欠史八代」の第7代・孝霊天皇の皇女・倭迹迹日百襲姫の時代に当たるといいます。
 孝霊天皇や卑弥呼についての記述を記紀がしていないのは、卑弥呼がいたのは別の国だからであり、私は、
日本神話=福岡県史。神武天皇以降=奈良県史。崇神天皇以=日本国史。
と考えているのですが、阿波説では、
日本神話=徳島県史
としています。
 どちらが正しいか、もしくは正解は別にあるのかは、
①考古学者による発掘と出土品の研究
②邪馬台国や卑弥呼が登場する正確な史書の発見
にかかっています。

 徳島説の論・者は、①に触れ、「徳島=邪馬台国だと信じてもらえないのは、徳島県内の発掘調査が進んでいないからだ」としています。(卑弥呼がもらった「親魏倭王」の金印が古墳に収められたと古文書にあるのに、「神陵だから」という理由で、その古墳の発掘許可がおりない」とか。)この点でいえば、邪馬台国だとされる奈良県の纏向遺跡の発掘も20%しか進んでいません。考古学者の健闘を期待しますが、
──一体、何が出土すれば、そこが邪馬台国だと認定されるのか?
という問題もあります。「卑弥呼の鏡」なのか、「親魏倭王」の金印なのか、埋葬者名が彫られた墓碑なのか。

 ②については、偽書とされる古史古伝がありますが、多くが日本中心史観で書かれ、「人類は日本で発生し、世界各国に広まった」と書いてありますが、これは科学が解明した「人類(ミトコンドリア・イブ)はアフリカで発生し、世界各国に広まった」(「出アフリカ」)とは異なります。

──そう、科学!!!

 ①も②も、私が生きているうちに不可能なのであれば、科学に、DNA分析に期待するしかない!
 これまでは、(品種が改良されるまで)寒冷地では稲は育たないので、

<二重構造説>
縄文時代の日本人=縄文人100
弥生時代の日本人=東日本や沖縄に縄文人100、西日本に渡来系弥生人100
現在の日本人=縄文人50+渡来系弥生人50の混血

と考えられてきましたが、DNA分析により

<三重構造説>
縄文時代の日本人=縄文人100
弥生時代の日本人=縄文人50‘+渡来系弥生人(北東アジア人)50の混血
現在の日本人=縄文人15+渡来系弥生人15+?人70の混血

だということが分かり、現在の日本人と同じ遺伝子構造を持つ人間は、古墳時代まで遡れるようで、第三の人種「?人」(下の学術論文に載せられたグラフの青=東アジア人)は「古墳人」と名付けられました。

 現在の日本人の血の70%も占める「古墳人」、弥生時代を古墳時代に変えた「古墳人」の正体は分かっていません。様々な人種の混血だからです。

──大陸に住むいろんな民族との混血が日本に大量にやってきた。

 私は、この「いろんな民族との混血」を「高麗人」と考え、北九州経由で日本に入ったのではなく、日本海岸(出雲、丹後、越)に着き、近江→山城→大和(→淡路→阿波)と伝播したと考えています。

 偽書「古史古伝」の『正統派竹内文書』の話で面白かったのは、「日本を出た日本人がシュメールへ行って戻ってきた」という話です。戻って来た人たちは縄文人ではなく、混血だったことでしょう。
 学術的には「原日本人は縄文人で、弥生時代と古墳時代に大陸からきた大量の渡来人と混血して現代人になった」が正解でしょうが、大陸から日本へ来るだけではなく、大陸へ出て行って混血し、子孫が帰朝したケースもあるのでは? 「古墳人」とは、「倭国大乱」を避けて大陸へ渡って混血し、「倭国大乱」後に帰朝した人なのかもね。


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