私の遺書日記①〜私とトータさん〜
僕は、傘村トータさんというボカロPがとても好きで
よく、トータさんの曲を聴いている。
トータさんの曲は、優しくて、でも切なくて、
心の奥に突き刺さるような、
そんな曲が多い。
ピアノ、バイオリン等のバラード系の曲が
大好きな僕には、ぴったりな曲風だ。
僕が、トータさんの曲と出会った時の話を
しようと思う。
これはまだコロナが始まってすぐの事で、
当時小6だった僕が、TikTokを見ていた時、
当時人気だった鬼滅の刃のイラストと共に、
トータさんの曲「贖罪」が流れてきた事が始まり。
初めて贖罪を聴いた時、
「ここまで気持ちを歌詞にかけるのか」
という感動と、切ないピアノの旋律に、
心を打たれて思わず涙がこぼれた。
多分、曲で泣いたのはトータさんだけ。
トータさんとの出会いの曲は、贖罪だったけど、
当時は、まだそんなにトータさんの楽曲を、
聴いていた訳では無かった。
本格的に聴き始めたのは、中一の冬。
当時リスカをして、病院へ緊急搬送された僕は
生きる気力を無くしていた。
まぁ、今もだけど。
結果的に8針縫うことになった。
家に帰ったのは深夜3時頃。
次の日に塾の冬期講習があったのを覚えてる。
家に帰ってから、トータさんの楽曲
「あなたの夜が明けるまで」に出会った。
もう、なんか感情移入しすぎて、涙しか出なかった。
干からびたんじゃないかってくらい泣いた。
そこから本格的にトータさんの曲を
聴くようになって、
自分でも歌いたいと思い、マイクやらPCやらを
お年玉で揃えた。
もう、トータさんの曲を歌う度に涙が溢れて
それはそれは仕方なかった。
「誰かのヒーローになりたかった」や、
「生きてさえ」は、泣きすぎて歌えなかった。
トータさんは、心の奥底にある物を曲にする
天才だと思う。
心の奥に眠る感情を沸き立たせるような、
そんなイメージがある。
僕はそんなトータさんの曲が大好きだ。
誰かのヒーローになりたかった。の歌詞に、
色々なものを裏切ってきた。親も友達も先生も、もう頑張れって言わなくなった。
というものがある。
その部分を自己投影しすぎてしまって、
鼻にツーンと来た。
自分の行い、人生、人間関係において、全て
罪悪感しか無い僕にとってはこの曲のこの部分は
触れてはいけない禁足地
だったのかもしれない。
そこを突かれて、胸の奥底にある物が
出てきたのだから、辛いのなんの。
目から涙が溢れて仕方ない。
でも、辛いとはいえ、苦しい訳じゃないし、
嫌な辛さじゃない。
私は15歳で男だから例え方が分からないし、
失礼かもしれないけど、この辛さは、
女性が赤子を産む時の辛さと同じなのかもしれない
本当に例えが失礼であったら申し訳ない。
しかし、それでしか例えられなかった。
それでしか思いつかなかった。
私はこれまでも、この先も傘村トータさんの曲を
聴き続けるし、Xもフォローし続ける。
トータさん新曲待ってます。