私の遺書日記①〜僕と特性とブログと〜
突然だが、僕は発達障害を持っている。
ASD(自閉スペクトラム症)だ。
しかし、母のスパルタとも言える教育のおかげで
ほとんど日常生活に支障はない。
しかし、母の教育のおかげ(せい)で、
得たものもあれば失ったものもある。
得たものとしては、
空気を読む。
人の顔色を伺う。
無難な受け答え。
そんな所だろうか。
逆に失われたものは、
自信。
勇気。
本音。
だろうか。
得たもの失われたものを天秤にかけたら、
どちらが傾くのだろうか、
気になって夜も眠れない。
僕がASDと診断されたのは中二の春だったと思う。
発達検査を行った時の事で今でも覚えているのは、
言葉の意味の違いの検査と、
検査を行ってくださった方がとても美人だった事。
なんでやねん。ほんとになんでやねん。
としか思えない。
もっと他に覚えていることがあったのだが、
時間が経つにつれ、忘れてしまった。
話を戻そう。僕はASDだ。でも日常は送れている。
特に問題もない。
しかし、母の教育のせいで、失われてしまった、
「自信」と、「本音」が
足を引っ張ってしまい、1人反省会をする事が多い。
恐らくみなさんは、
「なんであの時あぁしてしまったんだろう。」
「次はちゃんと言おう。」とか、
前向きに考える事が多いと思われる。
しかし僕は違う。
僕の場合、
「なんであの時ああしてしまったんだろう。」
「自分は出来損ないだ。」
「あぁ、死にたい。消えたい。」だ。
前向きのまの字すら見当たらない。
マクドナルドで言う、ビックマックセットを頼み、
その足でこってりラーメンを頼んで食べている。
そんな所だろうか。
そんな生活が続いたら、胃もたれしてしまう。
僕は精神的に胃もたれをしてしまったから、
このブログを始めた。
今はもう大丈夫、今はブログを書くのが楽しい。
いつか1冊の本にしたいと思っている。
話が逸れてしまったが、
ASDだから前向きに考えられない訳ではなく、
そもそもの僕の性格が関わっていると思うので、
あんまり真に受けないで欲しい。
そして、あまり良いとは言えないが、
昔の僕は、
障害者に対して苦手意識があった。
怖かったからだ。知識が無かったからだ。
知識がないというのは決して悪いことでは無い。
しかし、人生に大きな影響を与える。
大きな偏見に繋がるからだ。
僕は障害について勉強を始めた。
ADHD/ASD/SLD等様々な発達障害を調べた。
ダウン症に関しては、
体の細胞の21番目の染色体が1本多くあるらしい。
それを知った時、「何それ得してるじゃん。」
と苦手意識とはかけ離れたところにいた。
苦手意識が無くなるまでに、
時間はあまりかからなかった。
僕は去年から放課後等デイサービスに通っている。
通っていると言っても、僕が児相から出所する時、
母が出てきた条件を飲んだだから行っている。
決して行きたくて行っているわけじゃない。
放デイにも、ダウン症の子がいる。
とても楽しそうに過ごしている。
そこから思った事は、
やはり、周りの人からは色んな目で見られると思う
だけど、本人は楽しそうに過ごしている。
周りの事など微塵も気にしていないのだ。
知らんけど。
それを僕は羨ましいとまで思う。
自分が欲しくても手に入れられない。
そんな物を持ち合わせているのだから。