醜い私を愛してくれた人たちへ

地元に帰りたい。
地元の友達に会いたい。
コロナ禍の私はそう願っている時間が多くなった。

私は自分の見た目が本当に嫌いだった。
今は好きになれたけれど、本当に大嫌いだった。
今振り返ってみても笑って誤魔化さないと気が済まないくらいには嫌いだ。
ただ、努力をした自己を肯定するために
肯定してもらいたいから記録には残している。
それだけ。

変化

私は19歳から20歳になる頃、
10kgのダイエットをした。
理由は体重が2kgくらい勝手に落ちて嬉しくて
そのまま趣味みたいにダイエットを始めた。
モテてみたかったのもあるし、
自分の見た目を好きになれたら楽しいだろうな、
自分史上最高!と
胸を張って言える瞬間が欲しかった。
「20歳の時の私可愛かったよ」と
言ってる40歳の私を想像したかった。
最高を目指してスタートを切ったが、
食事制限、運動、高音反復浴のダイエットは
無茶だった。
今思えば身体にかなり負担をかけていた。
お腹すいたという感覚もなくなり、
何も考えられない時間だけがすぎて、
100g増えただけで何も口にできなかった。
冷蔵庫の前でしゃがみ込んで、
ひたすら我慢していた。
ただその辛さよりも
体重が減る嬉しさが勝っていた。
楽しかった。
あの頃無理して良かったと心の底から思う。


可愛くなったわたし

痩せてからの人生は180度変わった。
言い寄ってくる男も増えたし、
優しくされることが本当に増えた。
世の中顔なんだなってことを痛いほど痛感した。
元々ブスでデブだった私は、
男性に優しくされたことなんてほとんどなかった。
中学1年の時は不登校で転校した。
高校の時もうまくクラスに馴染むことはできなかったし、
華のJKなんて言葉は程遠い高校生活だった。
仲良い男友達は多かったが、
男として扱われていた。
いま思えばいじめだったのかもしれない笑笑
大学でも入学当初は
オシャレには1ミリも興味なく
化粧もせず、太ったブスだった。
大学在学中にどんどん変わっていったから
きっと1番驚いてるのは大学の友達だと思う笑
優しくされることの嬉しさと
生きていく上で見た目がどれほど大切かを学んだ。
可愛くなった私は今やもう
「努力したんだから優しくされて当たり前」
と思っている。
(今の私が可愛いかどうかは人それぞれだと思うけど、私は私自身で肯定できるところまで来ました。嫌いなところはいっぱいあるけど、でも好きなところもできたよってくらいのレベルです)

そしてなにより、
自分の好きな服を着れることが嬉しかった。
化粧なんて無駄な抵抗だと思っていた私が
化粧を楽しめるようになった。
もう諦め切っていたのに、
可愛くなりたいと願っている自分がいて
勉強することが多くなった。
お金もかけるようになった。

変わったからこそ

見た目がすごく変わったからこそ言えることがある
醜い私を愛してくれた人たちへ
本当にありがとう。
ほとんど地元の友達。
あとはTwitterのフォロワー。
永遠に大切にしていきたい。
本当に。見た目とかじゃない、
私自身に興味を持って、
あの頃から私のことを大切にしてくれたことを
今になって本当に感謝すべきことだと強く思う。
ありがとう。
私自身のことを面白いと思って
一緒にいて楽しいと純粋に思ってくれている
そんなみんながいてくれて感謝しているし、
私もみんなのことが大好きで
みんなのことを誇りに思っています。
特に異性の友達。
下心もなく、可愛いと思ってもない私と
ただ純粋に友達でいてくれてありがと。
もちろん同性の友達も。
自身を好きになればなるほど、
嫌いだったときの自分への嫌悪感が増す。
そして思うんよね、
醜い私を愛してくれた人たちのことを。

見た目じゃないけど。

もちろん友達は見た目じゃない。
それはわかってる、
でもそれでも過去の自分が醜すぎて
一緒にいてくれた現実に感謝してしまう。
そして、全員に対して「努力すれば変われるよ」と
思うようになった。
「かわいいは作れる」
本当に可愛い子は努力しているんだなと実感した。
見た目が全てじゃないけれど、
見た目が変わると世界が変わる。

醜い私を愛してくれた人たちへ
変わらずにいてくれてありがとう。
この私から見た世界は全く変わってしまったけれど
変わらないみんなを誇りに思うし
本当に愛しく思っています。

これからも努力を続けて
内面も磨いて
自慢の友達でいられるよう、頑張るね。

ありがとう。本当に。

最後に醜い私と変わった私を載せておきます。
これからもよろしくね。


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