君は神津恭介を知っているか
ようやく、高木彬光(作)『刺青殺人事件』を読み終えました。
本格推理小説、それもれっきとした“名探偵”ぶりが、探偵小説と呼ばれて久しい時代の面影も感じさせ、江戸川乱歩が推薦したのも頷ける気持ちでした。
戦後間もない人々の生活描写も、なるほどしっかりと描かれており、特に注釈などもなく、「カストリ」という言葉もでてきます。
何だそれはと感じる方は、時として読みづらいこともあるかもしれませんね。
ちなみに「カストリ」というのは、第二次世界大戦終戦直後の日本で出回った、粗悪な密造焼酎の俗称のことです。
食糧不足の時代に合って、人々が作ったこの焼酎とも呼べない代物は、飲むにはあまりに危険でもありましたが、かなり出回っていたようです。
なお、このお酒をうけて、「カストリ雑誌」という言葉も、現代文学史ではよく知られています。
時期は同じころで、紙不足や統制がなされていた占領下の日本。統制外の粗悪紙を用いて濫造された、低俗な内容の雑誌を、かつてそう呼んだのでした。
本作は長編ですが、冒頭から終盤前まで、名探偵役が登場せず、多少の観察力と、警察の捜査結果によって、様々な推測、そして憶測が検証されるのを、まずは楽しみます。
その過程こそが、言うなれば科学的な捜査であって、快刀乱麻を断つ名探偵という非実在性をかえって強めるよう。
しかし、だからこそ、名探偵である神津恭介が登場することで、それらの推理が、何も超人的・ご都合主義的なものではなく、高等数学を知り、天才と認められた男であるからこその、非凡な才能として、認めざるを得ない、巧みな論理を展開させるのを許すのでしょう。
本書でも登場している有名な一節。
神津の前に神津なく、神津ののちに神津なし。
これこそが、戦前に江戸川乱歩が生み出し、ヒーローとなった明智小五郎とも、あるいは戦後の冴えない隣人として現れては消えゆく金田一耕助とも異なる、天才にして科学者という特異な在り方なのです。
日本三大名探偵というものに、明智小五郎、金田一耕助、そして神津恭介が含まれていることに、このデビュー作のみで納得せざるを得ない、巧みな推理力が発揮されているのです。
本格ミステリーらしく、エラリー・クイーンのように、いわゆる[読者への挑戦]もあります。全ての事実・証拠は揃えられたため、名探偵が登場し、推理を発揮せずとも、答えは分かるだろう、というもの。
ドラマ「古畑任三郎」でも、解決編の前にあるやつです。
ネタバレはしませんが、「犯罪経済学」や「心理の密室」という概念が興味深いです。
加えて、これまで考える事のなかった、入れ墨の美というものを意識させもする、まさにいろんな意味で目から鱗が落ちるような作品。
この感想文を書くにあたって、坂口安吾『「刺青殺人事件」を評す』という文章が、青空文庫にあるのを見つけました。
そこそこ不評なのと、横溝正史の評価が高いことに驚きました(笑)。
ちなみに僕は横溝作品では『本陣殺人事件』が一番気に入っています。こちらも同じく、密室ものです。
それも、密室は元来、不可能とも思われる、日本家屋における密室ミステリ。古谷一行さんのドラマ版も良いですね。
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