日本史上最悪の熊害「三毛別羆事件」の現場へ行ってみた!
事件はいまから約107年前、1915(大正4)年12月9日に発生した。その現場は旭川から北西へおよそ130㎞先の日本海に面した苫前町で、現在の町役場が建つ場所から25㎞ほど山に入った六線沢の村落であった。
ここでは小説の詳細を述べないが、『羆嵐』を読んだときからその現場はいったいどんな所なのか一度は訪れてみたいと思っていたところ、6月の旭川〜名寄周辺の取材のおりに1日ぽっかり時間ができたので苫前まで足を延ばすことに。情報収集すると、どうやら事件現場を復元して公開しているようなので、そこを目的地にした。ちなみに、『羆嵐』のほかに三毛別羆事件を扱っている書籍には木村盛武氏のノンフィクション『慟哭の谷』(文藝春秋)や、戸川幸夫氏・作/矢口高雄氏・画の『野性伝説 羆風/飴色角と三本指』(山と溪谷社)もあるので、合わせて読んでおきたい。
スタート地点は巨大なヒグマのオブジェがある苫前町役場だ。そこから国道232号(オロロンライン)を留萌方面へ南下し、古丹別川を渡ったらすぐに左折して、国道239号(霧立国道)を添牛内方面へと走る。そのまましばらく走って古丹別の町に入りしばらくすると、行き先を示す青い看板の下に「三毛別熊事件復元現場」という文字が見えた。そこを右折すると道道1049号に入り、三渓方面へと向かう。
道道1049号に入ったとたん、いたるところに「ベアーロード」の看板が目につくようになった。しばらく走ると三毛別川を渡る橋に着く。ここでもクマをかたどった看板が見られる。
そして、しばらく走ると「とままえベア・ロード入口 羆事件現地この先13㎞」という看板。そして、「ようこそ三渓へ 羆事件の跡地はあと10㎞」のように徐々に現場へと近づいていくことを知らせてくれる看板があるが、絵のタッチがほのぼの系からホラー系などいろいろあるのが面白い。
さらに進むと三渓神社に着く。クルマから降りて立ち寄ってみると、熊害慰霊碑が建てられていた。それを見ると、亡くなった7名のお名前が刻まれていた。合掌。
再び進むと「ようこそ羆嵐へ現地まであと2㎞」「三渓羆事件現地まで約200m」という看板がある。最後の看板が立っていた地点から先は未舗装路になり、左右の藪からはいつヒグマが出てきてもおかしくない気配が濃厚な鬱蒼とした雰囲気だった。が、付近にいたのはエゾシカだったことにホッとした。
町役場から約25㎞、クルマでおよそ30分で現地に到着した。事件当時は徒歩で道もよくなかったと思うので、半日以上はかかる距離だろうか。目的地には開拓小屋が復元されていて、その裏には巨大なヒグマもいる。
撃ち獲られたヒグマは体長2.7m、体重340㎏とか380㎏などといわれているから、相当に大きい。開拓小屋は稲藁に覆われた簡素なもので、中に入ってみるとこれで北海道の冬を越せた当時の開拓者たちの強さに驚く。クマがこの藁でつくられた開拓小屋に入ることは造作もないだろう、と思った。
復元地にある記念スタンプを押してから、しばらくの間ひとりで周囲を散策しているとオープンカーに乗ったカップルがやってきた。男のほうはビーサンに短パン、女のほうはミニスカートにハイヒール。蚊に刺されないのかなと勝手に心配しながらも、それを見て一気に現実に引き戻されてしまい、一路、苫前町郷土資料館へ向かうことにした。
郷土資料館には苫前町を知ることができる貴重な資料を展示していて、当然ながら羆事件のことも展示されていた。それを見ると、熊害が起こってから12月14日に山本兵吉に撃ち獲られるまでの経路などが書いてある。ひとつ失敗したのは、現地を見に行く前に資料館を見ておくべきだったということだろうか・・・。先に資料館でクマの足取りなど羆事件の基礎知識を頭に叩き込んでおけば、現地に行ったときにさらにしっかりとイメージできると思う。資料館に行って収穫だったのは、あの「北海太郎」や「渓谷の次郎」の剝製を見れたことだ。
北海太郎とは頭胴長2.43m、体重500㎏、推定年齢18歳の国内最大級といわれているオスのヒグマのことで、1980(昭和55)年5月6日に苫前町の北隣の羽幌町内築別(通称シラカバ沢)で仕留められたという。巨大な体躯から繰り出されるこの前腕のひと振りだけで、人間はなす術もなく倒されてしまうんだろうなぁ・・・。
「熊嵐」はクマを仕留めたあとに吹き荒れる嵐のことをいうが、北海太郎を撃ち獲ったときにも起こったのだろうか? ふと、そんなことを思いつつ、このようなすばらしいヒグマたちが生息している日本は改めてすごい国だなと思った。
北海道苫前町:
※当記事は『狩猟生活』2017VOL.2「三毛別探訪」の一部内容を修正して転載しています。