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優勝翌日のデイリースポーツを校正
今日会社に出勤したら、営業の年上後輩さんが新聞を買ってきていた。デイリースポーツだった。確かに阪神が優勝した翌日の新聞は将来レアモノになるだろうと思い、仕事終わりに僕も買った。
人生で初めて、金を払って新聞を買った。最後に新聞を読んだのはいつだろう? 多分1年半前だ。編集長が日経を購読していて、参考になるから読んでみ、と毎日出勤したら読んでいたのだが、それもいつからかなくなった。
それから1年半が経ち、僕も自分で文章を書いて写真、見出しのレイアウトまでちょっとずつできるようになってきた。今、新聞を読むと、これまでとは違った見方で読んでしまう。
まず写真。これ、1面の胴上げの写真のために何枚撮ったんだろう。夜遅くに会社に戻ってbridge(アドビのソフト)開いて、ピンボケしてないか拡大しつつ選別して、「胴上げTOP–eps」と名前を付けて保存したのだろうか。他社がこういう写真を選んでくるから、ウチは逆張りでこの写真を使ってやろうとか。
次に見出しのこと。岡田監督のインタビューの記事で、見出しが「何か少し変えれば勝てるんじゃないかと。それは間違ってなかった」。
このセリフを引き出した時、記者は心の中で「よし、これで見出し決まり!」と思ったろう。
大山のインタビュー記事。見出しが「必死に1日1日考えてきた」。これはちょっと弱い気がする。早く帰って寝たいからサボったか?
けど本文を読むと、岡田監督ほど面白いというか、ビビッとくるようなことを言っていない。だから僕でも結局考えて、デイリースポーツ記者と同じような見出しをつけるんじゃないか、とか。
つまり、雑誌記者になることで、他人が書いた記事を校正してしまうのだ。そして逆に言えば、僕が書いた記事も読者に校正されていることになる。そう思うと、きっと自分が思っているよりも恥ずかしい記事を書いているんだろうな、とか思ったり。