嬉しいのに泣く、悲しいのに笑う、辛いのに頑張る
ホントもう、お金が欲しいとか、良く分からなくなってきてるほどに働いています。そもそも、お金のために働いてるんだっけか。なんだこの責任感。いや、いいんですよ、働きたくて働いてるからさ、いいんですけどね。私がこんなに働き続けるのって、きっと何かが私の背中を押してるはずだから、それがなんだったっけな、ま、いいか、くらいの気持ちで働いているのであれば、むしろそれは健全なのかもしれませんよね。
何も考えずに、目の前の仕事に集中する。
ただこの文章だけを読むと、とても良い印象を受けます。それだけに集中してる。他のことには目もくれない。職人のような。
けど実際は、目の前にたっくさんの仕事、私の両手じゃ抱えきれないくらいの仕事があるから、集中せざるを得ない状態。馬車馬ですね。
いったい、楽しいのだろうか。楽しいと感じているのだとすると、いったい何に楽しみを感じているのだろうか。
いや、
うーん、
こんな目線でのnoteを書いていても、楽しくないんですよね。仕事の愚痴を書くために、noteをやっている訳じゃないので。noteを書くことで自分が今抱いている気持ちを客観視できるかな、と淡い期待をしつつ書いているので、その点ではプラスなのかもしれませんが。
辛いのに頑張る、っていうのは、無謀としか思えません。その先に何が待っているのか。「頑張って良かった!」というのは、私にとっては根性論でしか耳に入らず、あまりポジティブな印象を受けません。
同様に、悲しいのに笑う、とかね。感情をストレートに表情とか、涙を流すみたいな生理現象で表現できたらいいのに、理性という分厚い何かのせいでしょうか、どうも屈折してしまう気がします。時には本能を前面に出して、生きても良いのでしょうけど。理性ってヤツは。
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