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推し活を始め、推しに認知され、SNSをブロックされるまでの1年半


はじめに

僕は2022年1月頃から今まで、約1年半にわたって、お笑いコンビ・ラニーノーズが組んでいるバンド"Runny Noize"を応援してきた。
僕は1年半の中で、
好きになり、ライブに通い始め、メンバーに認知され、ファンに嫌われ始め、さらにはメンバー本人にも嫌われ、そしてSNSをブロックされ、ライブ会場出入り禁止になりかける という経験をした。
一体なぜそんなことになったのか、順を追って説明する。

ラニーとの出会い

僕がRunny Noizeを好きになったのは、YouTubeで
”The Name”という曲のMVを観たときであった。
当時僕は高校3年生で、大学受験直前であった。The Nameを聴いたのは共通テスト前日のことだ。
試験前日で、プレッシャーや焦りで疲弊していた僕は、洲崎さんの甘い歌声に癒されて、Runny Noizeのファンになった。というか、洲崎さんのファンになった。
僕はボーカルの声の好みが狭く、売れている歌手の歌を聴いても「この人の声、あんまり好きじゃないなぁ…」となることも多いのだが、
洲崎さんの声はめちゃくちゃ好みで、心に刺さった。
楽曲、メロディも好きで、一気にRunny Noizeの沼にハマっていった。
そして、そこから共通テスト、私大入試、国公立入試まで、洲崎さんの歌声を聴きながら乗り越えた。
洲崎さんに助けられた。

そして、僕は、入試で疲弊していたこともあってか、
今まで女の人にしか恋をしたことが無かったのに、
洲崎さんのことを正式に男として好きになってしまった。
洲崎さんの声に癒されすぎて、そして普通に顔が女の子くらい可愛かったせいで、
リアコ、ガチ恋になってしまった。
その結果、入試が始まる直前、試験会場で洲崎さんの画像と参考書を交互に眺めるなどの奇妙な行為をしていた。
この頃のことは、以下の記事に詳しく書いたので、興味のある方は是非読んでみてほしい。

入試が終わると、ラニーノーズのYouTubeメンバーシップに入会したり、ラニーノーズの京都ローカルのラジオを聴くためにradikoプレミアムに入会したり、とにかく洲崎さんに夢中だった。
ラニーノーズ・Runny Noizeファンの方々とSNSで繋がって、本格的にラニーを追いかけ始めた。
ラジオに毎週メールを送り、洲崎さんに名前を覚えてもらった。

ライブに通い始めた

好きになって約半年後の2022年8月。
僕の住んでいる名古屋で行われるフェスに、Runny Noizeが出演することになった。
迷わず観に行った。
初めて洲崎さんの生歌を聴いた。
(以前もラニーノーズとしての寄席出番は見たことがあったが、バンドで歌っているのは初めて見た。)
スマホの薄いイヤホンで聴くよりも何十倍も何百倍も素敵な生歌に聞き惚れた。終演後には直接お話しさせてもらえたり、ツーショットを撮ったり、この上ない幸せを感じた。
「これからは、大阪にたくさん遠征して、たくさんライブを生で観よう」と決めたのであった。

その翌月、さっそく大阪に行った。Runny Noizeと他ひとくみのツーマンライブを観た。ライブが夜遅かったのでホテルで一泊した。翌日、よしもと漫才劇場にラニーノーズを観に行った。その日は、漫才のDENDOというTV番組の公開収録であった。TVカメラが入る中、若手芸人が順番にネタを披露していく。
ライブを観終わった感想は、
「ラニーノーズも意外と面白かったな」という感じであった。
「意外と」というのはどういうことかというと、
僕はRunny Noizeのファンであり、ラニーノーズの漫才が好きなわけではなかった。
YouTubeでネタを観たり、名古屋の演芸場での寄席でラニーノーズの漫才を生で観たこともあったが、
「他の人のほうが面白いな。」というのが素直な感想であった。
余談だが、
僕はお笑いが好きでライブによく行くものの、好きな芸人はベテランがほとんどで、若手のライブにはあまり行かない。
学生でなかなか遠征ができなかったこともあり、
僕が今まで単独ライブを観に行ったことがある芸人は、全国ツアーを周ることができるレベルの人たち。ツアーで名古屋でライブをして、そこそこ集客ができるような人。
僕が漫才劇場に行ったのはこのときが初めてだった。
僕は、ラニーノーズにはあまり期待していなかった。
しかし、この日観た音曲漫才は僕の知っているネタよりも面白くて、
「こんなに面白いなら、ラニーノーズとしての活動も応援しよう。ライブに通おう」と思った。
そしてさっそく、この日の約1週間後、もう一度、大阪に遠征した。こんどはRunny Noizeではなくラニーノーズを観に。

ラニーノーズのライブを観て感じた絶望

ラニーノーズが音曲漫才を3本試すライブ「音曲」、
ラニーノーズがコントを3本、同期の芸人もう一組がネタを3本披露するライブ「ユニットライブ~名前はまだない~」が同じ日に開催された。
この日に大阪に遠征した。
ラニーノーズの音曲漫才3本、コント3本を観た。
そこで観たラニーノーズのネタは、どれも全然面白く感じられなかった。
舞台が明転し、おもしろくないネタが繰り広げられ、暗転し、
「なんで?これで終わり???なにこれ?」と不思議に思い、キョトンとしながらも一応拍手をし、
また明転し、面白くないネタが繰り広げられ…。
こんなはずじゃなかった。僕は、こんなものを観に大阪まで来たのか?
ライブのチケット代こそ1500円とかなり安いが、交通費はその何倍もかかっている。
嫌だ嫌だ。時間とお金が無駄になっているのを感じた。
先週観た面白い漫才は何だったんだ?
焦りが募った。
ネタ中、頑張って面白いポイントを探した。
しかし、僕には笑えない。
洲崎さんの顔は可愛かった。リアコだから、それなりにときめいた。
しかし、そんなことはどうだっていい。そんなことよりお笑いライブなのだから面白くないと困る。こっちは笑いに行っているのだ。
漫才が1本だけ結構面白かった。それに救われたが、
ライブ全体の満足度としては、今まで僕が観たお笑いライブの中で断トツ最下位だった。
洲崎さんは、何一つ面白いことを言わないまま
「ありがとうございました~」と言って一礼し、ニコニコして客席に手を振りながら、舞台から消えていった。
帰りの新幹線で、僕は泣いた。
こんなはずじゃなかった。
「全然面白くなかった!楽しみにしてたのに…」などと、Twitterに書いた。
そして、焦りが募るあまり、「ネタを書いてる山田さんにDMで連絡してみよう」と思った。
そのことと、DMに書こうとしている文面をTwitterサークルに載せると、
「これなら思いは伝わるはず。送っても大丈夫」との意見を他のファンからいただけた。
そして、めちゃくちゃ失礼ではあるけれど、山田さんにライブの感想DMを送った。
DMの内容はもう消してしまったし、内容はあまり覚えていないが、
めちゃくちゃ丁寧な文章で回りくどく「漫才の1,2本目は全く笑えませんでした。3本目は面白かったです」みたいなことを書いたと思う。
山田さんはハートを押してくれた。
一連のツイートを見ていたひとりの方が、
「私もラニーノーズ好きですが、面白くないと思うネタ結構ありますよ~!ファンなのにそんなの酷いかな?と思ってたけれど、あなたのツイート見て、なんか安心しました。」と返信をくださった。
他にもリプライやDMで慰めてくださる方が数人いた。その一方、
「そんなツイートは不快だからやめろ。ファンにも本人にも見えないところで書け!笑いのツボは人それぞれだ!面白くないこともあるだろう。わざわざ言うな!」という意見も来た。
僕は、思ったことは言わずにはいられない。
自分みたいな感想を持ったファンは他にいないのか?
今日のライブ全然面白くなかったの、俺だけ???と不安になってしまう。
だから、ファンにも本人にも見えるTwitterで呟いたのだ。
ラニーノーズを知りもしない知人に「全然ライブ面白くなかった~」と伝えても、慰めてはくれるかもしれないが、そのライブが本当に面白くなかったのか、僕に笑いのセンスがないだけで本当はめちゃくちゃ面白いライブだったのかどうかはわからないのだ。
実際、ファンでも面白くないと思うネタが結構あったりするということがわかったので、僕はツイートして良かったと思っている。
そして、僕を否定する人はよく「笑いのツボは人それぞれ」と言う。それならば、「面白くなかった」という意見があっても、それも受け入れるべきではないか。だって、「笑いのツボは人それぞれ」なのだから。なぜそういう意見は言ってはダメなのか。
「面白くなかった」というのは、「僕は面白くなかった」と意見を表明しているだけで、「面白くないから皆ラニーノーズなんて見るな!」と言っているわけではない。「僕は面白くなかったんですけど、皆さんはそうではないですか?面白くなかったという人は、少なくともここに一人いますよ」と伝えているにすぎないのである。「面白い」「面白くない」というのは明確に決まるものではないのだから、僕が「これは面白くない」と言ったならば、それはそれを言った僕の意見に過ぎないことは、いちいち「これは個人の意見で、他の人は違うかもしれないけれど…」と書かなくてもわかるはずである。「押し付けるな」などという人もいたが、僕は自分の感想を述べているだけで、押し付けているわけではない。

洲崎さんに嫌われ始めた疑惑

このころから、徐々にラニーノーズファンに嫌われていった。
ラニーノーズファン数人にTwitterをブロックされた。
そして僕は、ラニーノーズのライブに行くのはやめて、
Runny Noizeのライブにだけ足を運ぶようになっていた。
そして、11月頃、いつも通り大阪に行き、Runny Noizeを観ていた。
そのとき、ある異変に気付いた。
洲崎さんと目が合わない。
洲崎さんが全然こっちを見ない。
洲崎さんは、いつも客席をとにかくよく見る。
ひとりひとりと目を合わせる。僕はいつもライブで何回も洲崎さんと目が合い、そのたびにときめいていた。キュンキュンしていた。
しかし、今回、それがない。洲崎さんの目線の動きを見ていると、
お客さんに目を合わせにいっているのはわかる。客席を全然見ていないわけではない。傍から見ればいつも通り。
しかし、俺には洲崎さんの目線は来ない。
「まぁ、偶然か。たまたま客席の中で立った位置が悪かったかな。」ぐらいに思っていた。
終演後に洲崎さんと喋った時は、特に違和感なく、いつも通り優しくしてくれた。
思い過ごしだ。今までたくさん目が合いすぎただけだ。
この時は、そう思っていた。そう言い聞かせていた。

ファンと大喧嘩

ラニーノーズを観ることはやめた僕だったが、
応援して1年がたち、2023年に入ると
ラニーノーズは音曲漫才からコントをメインにシフトチェンジすると発表した。
僕は、ラニーノーズの活動内容にかなり疑問を抱いていた。
せっかく漫才を頑張ってきたのに、いきなりコントにチェンジするのもおかしいし、
世界進出に向けたという謎の全然面白くないYouTubeチャンネルを始めたりもしていて、困惑した。
本当に何がしたいのかわからなかった。
迷走していると感じていた。
大好きな人たちが変な活動をしていると、不安になる。
不安が募ると、「ファンの中で不安を感じてるのは、僕だけかしら???」と焦る。そして、Twitterにつぶやく。
すると、案の定ファンの人たちに嫌われていき、Twitterをブロックされていく。嫌われていく。
元々は仲が良くて、ライブ会場で会ってお話ししたことがあるような人にも嫌われていった。
その一方で、DMで「私も思ってました!!」と共感してくれた人も少なくなかった。
しかし、そういう人達は、表立ってツイートすることはしない。ツイートすれば、一部の熱狂的なファンに怒られるからである。
「ラニーのファンは狂信的で怖い」「マイナスなこと書くと吊るし上げられる」などと言っている人たちもいた。
表立ってツイートする人間が僕だけだと、
ファン全体から見ると、
僕だけが頓珍漢な意見を言っているようにみえてしまう。
なかなか厳しい戦いが続いた。
「ラニーノーズのファンなんて、ワーキャーばっかりで、ネタなんかどうでもよくて、イケメンな顔が観れてたらもうなんでも笑うんじゃないか??」と思ったりもして、ツイートして死ぬほど反感を買うこともあった。
確かにこれは言い過ぎな気もするが、ラニーノーズの活動は、僕がそう思ってしまうのも無理もないほどだったのである。

「若手芸人を応援する」とは何か?

ラニーノーズは、コントだけの単独ライブを開催すると発表した。
「久しぶりの単独ライブだから、絶対観てほしい!」と、かなり気合が入っている様子だった。そこまで言うなら、、と思って観てみた。
コント単独ライブは2月と3月に行われた。
2月は配信で、3月は劇場で観た。
2月は全然面白くなかったが、3月はそれなりに面白かった。
安心した。面白いコントもつくることができる人たちなんだ、と思えた。
観に来てよかったと思えた。
僕は、面白いライブと面白くないライブ両方観て一喜一憂するなかで、
「若手芸人を応援する、というのはいったいどういうことだろう」
と考えた。
先に述べたように、僕はベテランのライブばかりに足を運んできた。
若手芸人を応援したことは無い。
僕の出した結論は、
「若手は、まだ全部のネタを面白く作ることは不可能である。ネタの出来にはムラがあるが、仕方がない事なので客はそれを受け入れなければならない。」というものだ。
ラニーノーズはまだ芸歴10年程度。僕が普段観に行く、20年以上芸歴を重ねたベテランのように、新ネタの単独ライブが毎回当たり前のように全ネタ面白い、ということはないのだ。だからチケット代も格段に安いのだ。若手芸人のライブというのは、「面白いネタを観に行く」ものではなく、「ネタが、芸人が、回を重ねるごとに面白くなっていくのを見守る」というものだったのだ。
それに気づかされた。
では、なぜその構造に、1年もの間、気づくことができなかったのだろう。

若手芸人の応援の仕方に気づけなかった理由

ラニーノーズのファンは、というか若手芸人のファンは、好きな芸人を過剰なまでに褒めたたえる。褒めまくる。ライブの後、Twitterで感想を観ても「面白かった!!」「最高だった!!」というものばかり。
すごく気を遣っている様子が見られる。ラニーノーズは特に、エゴサーチをするタイプの芸人であるから、本人に見られることを想定して、気を遣って書いているのかもしれない。
もちろん、ライブが本当に心の底から面白かったと感じている場合もあるだろう。
僕は、芸人に限らず、好きな人に対する考え方としては、二通りの考え方の人が居ると思う。

好きな人に対して、好きすぎて狂信的になり、全肯定人間になる人
好きすぎて、どんなところさえも、その人の悪い部分でさえも、いとおしくなる。もう、どんな部分も全部含めて好き好き~~~~!!!となる。ライブの後の感想も全肯定。

②好きすぎて、愛を拗らせて文句ばかり言ってしまう人
好きすぎると、その人のことばかり考えてしまう。
考えてみると、「あの人って、こういうところあるよな…」「こんなはずはない!この子、もっとやれる子なのに!」と、愛を拗らせて、好きすぎるがあまり嫌な部分が見えてきてしまうことがある。
このことに関しては、以下の記事に詳しく書いているので是非読んでみてほしい。

この2パターンの人間がいる。そして、ラニーノーズのファンをはじめ、若手芸人のファンは、①番のタイプが圧倒的に多いのだと思う。
だから、絶賛する意見ばかりが見られる。
だから、②番のタイプの人間から見ると、「あれ?みんな、すごく褒めてる…。なんで???」となってしまうのだ。
①番の人間からすると、好きなのに文句を言うなんて、意味が全く分からないのだと思う。「好きなら全部愛せ!文句言うなんてもってのほか!」と思ってしまうのだ。
しかし、②番の人間からすると、「好きすぎる…考えすぎちゃう…だから、嫌な部分も見えちゃう…うわあああ。この思い、どうすればいいの??誰かに言って分かってもらいたいーー」となる。好きでよく見ているはずなのに、嫌いな部分が全く出てこないという①番の人の考えは理解できない。
①と②の人間は、わかりあうことができないのだ。
ラニーノーズのファンの大半を占める①の人間と、②の人間である僕はわかりあうことができない。
なぜラニーノーズのファンの大半が①なのかというと、
①のタイプでなければ若手芸人のファンが務まらないのだと思う。
若手芸人はまだ未熟で、先ほど述べたように、ネタの出来にムラがあったり、活動が迷走してしまったりする。
そうなると、②の人間からすると、「この人たち、大丈夫かな?」「私の大好きなこの人、本当に芸人としてやっていけるのかな?」と不安に押しつぶされそうになってしまう。
①のように全肯定できないと、ファンをやっていけないのだ。
そして、①は絶賛ばかりする。だから、「若手芸人のネタは、プロだからと言って最初から当然のように面白いわけではない。徐々に面白くなっていく過程を楽しむもの」という事実に気づけないのだ。
(①と②、どちらかの人間が悪いとか、どちらの人間が正しいとかそういうことは無いと思う。どちらも本当に好きな人のことを愛しているだけであり、愛の形が2通りに分かれているだけだ。)

嫌われているという確信

2023年に入って、Runny Noizeを3月に1回、5月に2回観に行って
「洲崎さんと目が合わない」という疑惑が徐々に確信に変わっていった。
最前列に居ても、2列目に居ても、少し後ろのほうに居ても、全然目が合わない。僕は洲崎さん推しなので、基本的にずっと洲崎さんのほうを見ている。
洲崎さんもずっと客席のほうを見ている。なのに、僕とは目が合わない。
嫌われているのだろう。
ライブの後、いつも会場ロビーで喋れるのだが、
5月のライブでは、2回連続で洲崎さんだけ出てこなかった。
話せず、嫌われているかどうかの確認もできなかった。
だが、目の合わなさ、視線の逸らされ具合は異常で、嫌われていると確信した。もう、ライブ終演後にロビーに出てこないのも俺が嫌いだからじゃないのか?と被害妄想してしまうほどになった。
そして、嫌われていると確信したのは、洲崎さんと目が合わなかったときだけではなかった。
ラニーノーズのYouTubeチャンネルで、僕のコメントにだけハートマークが押されないことが増えた。
4動画連続位で押されなかった。
他のコメントにはハートが押されている。
「たまたまコメントを見落としたのではないか?」と思う人もいるだろう。
たまたまではないと思う理由は何故かというと、
YouTubeから「あなたのコメントにハートが押されました」という通知が来て、コメントを見に行ったら、押されていなかったことがあった。間違えて押して取り消していたのである。
YouTubeのハートを意図的に飛ばされたり、絶対にライブ中目線を合わせなかったり、そんなことから
僕は洲崎さんに嫌われたと感じるようになった。

他のファンの企み

僕は他のファンにめちゃくちゃ嫌われていた。
先ほど述べた②のタイプの人間や、薄っすらファンである程度の人間にはDMで共感してもらったりして仲良くしていたが、
大半のファンには嫌われていた。
すると、僕のことを嫌うファンは、
「アイツが居ると、ラニーノーズが可哀相だ。ファンをやめさせたい」と思うようになる。
ある時、僕と仲の良いファンの人からDMが届いた。
「他のファンの人たちが、しゅんきのTwitterサークルのツイートを洲崎さんへのセクハラとして訴えようとしてるみたいだよ」
先に述べたように、僕は洲崎さんのリアコでもあった。
Twitterサークルのなかでは、僕は洲崎さんのリアコ丸出しのツイートをしていた。「洲崎さんになら抱かれても良い。というか抱かれたい」とか、ここでは書けないようなことも。
Twitterサークルには、僕のように誰か芸人さんにガチで惚れていて付き合おうと頑張っている女の子や、BLが好きでラニーノーズの関係性をBLとして捉えている人、ラニーノーズをはじめいろんな芸人さんとの恋愛小説を書いてネットに載せている人、リアコではないけど顔ファンの人など、そういう人達を集めて、サークル限定でリアコ系ツイートをしていた。
リアコや顔ファンも全然悪い事ではないと思うし、限られた仲間内で「あの子に抱かれたいよね~~」とか「あの人と付き合いたい~~」とか言って共感しあって楽しむのは何も悪い事ではないと感じていた。
だから、「セクハラで訴える?サークル限定だし、別に、大丈夫だろ」と思ってシカトしていた。

洲崎さんにブロックされた日

7月のはじめ頃、東京の下北沢でRunny Noizeが出演するイベントがあり、観に行った。
その時は久しぶりに洲崎さんと終演後話すことができた。
めちゃくちゃ狭い会場だった。狭いので、洲崎さんと話す時も距離が激近。
僕にだけ、洲崎さんは何度か「近いって!離れろ!触んな!」というようなことを言ってきた。僕の記憶だけで、何の記録も残ってないが、
確か何回も「近い」と言われた。
会場の狭さ的に、近づかなければ仕方がないような気がするが。
そして、僕意外に「近い」と怒られていた人はいなかったように思える。(もちろん全員との対応を見ていたわけではないのでわからないが。)
そして、ライブ中は相変わらず目線は逸らされる。
なんだか、「嫌われているなぁ…」というのを感じた1日だった。
そして、僕は不満が溜まり、このようなツイートをした。

差し入れを渡すような厄介なファンより、俺みたいな批判的なことを言うファンの方が嫌いなのだろう と。
すると、
このツイートを洲崎さんは引用RTし、
「俺らのことはおもんないとか好きに言ってもいいけど、俺のことを応援してくれてる人を悪く言うのは許せない。ブロックします」というようなことを書き、僕のTwitterをブロックした。
(該当ツイートは削除されている。洲崎さんも、読まれたくないと思うから削除したのであろうから、該当ツイートのスクリーンショットは掲載しないでおくことにする。)
差し入れを渡すファンを「厄介」「変なファン」と言ってしまったのは、悪い事なのであろうか。

差し入れを渡す人を「厄介」と称すのは誤りか

洲崎さんはYouTubeチャンネルかラジオだったかどこかで、
「差し入れは本当に無理しないでいいですからね。チケット買ってくれたらそれで充分。」
「足のサイズとか聞かれることあってさ、そういうとき、俺もう答えないようにしてる。」
「ドラゴンボールのフィギュアくれる人が居るんだけど、DMで『このリストのなかでどれが欲しいですか?』みたいな感じでたくさんフィギュアの画像送ってくるから、俺『かっこいいです』って返事してる」
というようなことを言っていた。
さらに、相方の山田さんに関しては、「差し入れはいらない。今後差し入れは、ペライチの入浴剤のみ許可する」というようなことを言い、入浴剤以外の差し入れはいらないと公言していた。
ふたりの発言から、差し入れはいらないということは明らかであろう。
洲崎さんは優しいので、「差し入れなんていらねぇよ!」とは言わない。「無理しなくていいですよ」と優しく言ってくれる。だが、明らかにいらなそうにしているのがわかるだろう。
でも、ライブ会場で洲崎さんの対応の様子を眺めていると、
差し入れを渡している人に「ありがとうございます」と受け取り優しく対応している。
僕は、差し入れを買うお金があるならば、1回でも多くライブに行き、ひとつでも多くグッズを買うべきだと考え、ひとつも差し入れ・プレゼントは買うことなく、バイト代を貯めては大阪や東京までライブを観にいっている。
差し入れを渡すより、ライブにたくさん行くほうが、演者側も客側も両方にとって良いと考えている。その考えは、洲崎さんも同じであろう。
その考えは同じでも、だからと言ってそんな否定的な言い方は良くないと、洲崎さんは思ったのだ。
しかし、
僕のことを悪く言うファンなんて、今まで山ほどいたが、
洲崎さんがその人に文句を言っているのは見たことが無い。
やはり、洲崎さんは僕のことは嫌いなのだ。
こっちは洲崎さんが大好きだから、洲崎さんが喜ぶ選択をと思って、差し入れよりライブに行く回数やグッズの数を選んで、なるべく洲崎さんに貢献できるようにしていた。
普段、焦って不安になって文句を言ったりもしてしまうけど、
そのぶんたくさんライブに行って、Runny Noizeのライブを、音楽を楽しんでいる姿を見せて、「俺はいろいろ文句言っちゃうこともあるけど、根本はあなたたちのことが大好きなんだ!!!」と示しているつもりでいた。
しかし、僕の思いは洲崎さんには届かなかった。
洲崎さんは、ライブ中僕から視線を逸らし、終演後の対応も悪くなりはじめていた。
悲しくて悲しくて、洲崎さんに好かれている他のファンのことを悪く言ってしまうのも、無理のないことだった。
そしてあのようなツイートをした。
ブロックされた。

しかし、数時間後、洲崎さんはブロックを解除し、ツイートを削除した。
僕は、再度洲崎さんをフォローした。

Twitterサークルの流出

ある日、僕は名古屋で行われた兵動大樹さんのトークライブに行った。
終演後、帰ろうと劇場の客席を出ると、よしもとの社員に「○○(僕の本名)さんですね?お話がありますので、来てください」と呼び止められた。
そして、社員から、僕がTwitterサークルで書いていた、洲崎さんに対するリアコ系のツイートを大量に印刷した紙を見せられた。
「Twitterサークルのツイートをセクハラで訴える」という計画が、しばらくして実行に移されたのだ。
社員から、「このような発言は、性的侮辱やストーカーにあたる。」と言われた。
「まだ未成年だし、警察に言ったりはしないが、二度とそのようなツイートはしないと反省し、誓約書にサインを。」と言われて、言われるがままサインした。
マネージャーも来ていて、「これにサインだけして、もう書かないということでしたら、また是非ライブお越しください。いつもありがとうございます」と丁寧におっしゃってくださった。
僕は、Twitterサークル限定であり、洲崎さんに見えないようにツイートしているわけだから問題ないと思っていた。しかし、流出してしまうと、結果として「書いたほうが悪い」ということになってしまうのだろう。
流出させてしまうようなメンバーをサークルに入れてしまったこちらが悪いのだ。よしもと側がこちらの責任だと判断して動いたわけだから、僕が悪いのだろう。
僕は、言われた通りサークルでのツイートはやめた。
Twitterサークルから、入れていた全員を外し、サークルでのツイートはしなくなった。

ラニーノーズふたりにブロックされた

誓約書を書いた日の夜、洲崎さんに再びブロックされていた。
そして、山田さんにもブロックされていた。
サークルの件でマネージャーか社員が、僕が誓約書を書いた件をラニーノーズに報告したのだろう。
そして、「リアコすぎて怖いし、やっぱりブロックしよかな~…」となったのだろう。
悲しい。
仲間内だけで言ってたのに。
リアコの友達とワーワー言って「この洲崎さんかわいい~~~すき~~~抱かれたい~~~~ひゃ~~~~」と言って楽しんでたあの頃、楽しかったなぁ。
リアコ仲間や、顔ファンの人たち中心に、
多少は人の入れ替えもあったが、常にサークル人数は一桁の小規模で楽しんでいた。
リアコとか顔ファンではないがサブ垢でフォローしてくれた人や、ただただ仲の良いだけの人も数人入れていたので、そういう人達が実はあまり良く思っていなかったのかもしれない。
誰が流出させたかは気になるけれど、突き止めたところで
こちらの責任なのは変わらない。
仕方ない。
「そんな限定された中で言うのもダメなら、ジャニーズのファンとか全員犯罪者になるんじゃないか?ジャニーズファンとかみんなリアコだし抱かれたいとか言ってるだろ」など思ってしまうけれど、
結果としてバレてしまったら、書いた側が悪いということになってしまうのだ。
そして、ぼくの正直さ故、ツイートの内容がかなり直接的すぎるのが良くなかったらしい。反省。
考えてみると、確かに、LINEが流出して謝罪させられている人とか、よく居る。
人間は、そんな全員に対して綺麗事ばかり言って生きていけるような生き物だとは思えない。
限られた範囲だからと考えて、話す相手の範囲を考えたうえで、多少不適切なこと、偏った考えなどを話すことがある。限られた範囲だからと考えて言っていても、それが全体にバレたら、バラした人よりも、不適切なことを言った本人が悪い、ということになってしまうのだ。
これが社会の仕組みなのだから、
それには抗えない。
今回の件は、僕が悪かったと認めるしかないのだ。

アカウントの作り変えと、DMの在り方

他のファンに散々嫌われ、Twitterサークルを流出させられてしまい、
ラニーノーズふたりともにSNSをブロックされてしまった。
Twitterをブロックされたので、
新しくアカウントを作って、「ブロックされたので今後はこっちでラニーに関するツイートするかも。」と書いたら、そのアカウントもブロックされた。なぜだ。
新しくしたアカウントでは、まだ新たなツイートはしていないし、
古いアカウントはブロックしているのだからわざわざ見ることはないだろう。ラニーノーズが、僕の新しいアカウントの存在に気付くことは、まだないはずである。もしかしたら、ファンの人が「アイツ、アカウント作り変えてましたよ!」と報告したのかもしれない。
僕は、他のファンが納得のいかないことを言っていたりするときに
いちいち本人にDMで告げ口するのはどうかと思う。
僕は、去年初めてラニーノーズのライブに行ってつまらなかったとき、山田さんにDMしてしまったが、その後反省して、DMは控えるようにした。
そして、ツイートのみにとどめるようにした。
DMは、置きチケなどの連絡もあるから、読まざるをえない。
しかし、ツイートをエゴサーチするのは、
自分で「批判的なツイートも肯定的なツイートも当然あるが、それを受け入れて検索する」ということであるから、ツイートに書くのは問題ないと思う。だから、僕はツイートだけにしている。
気に食わないファンが居ても、わざわざDMで告げ口することなく、
「こういうファンの在り方もあるのだな」と受け入れられるようになってほしいものだ。
僕がさんざん「批判とかしてもいいんだ!大丈夫だよ!」ということをツイートしたりするのは、
先に述べた①のタイプの人たちに押されて、僕のような②タイプの人間が居心地が悪いのを防ぐためである。
①タイプの人もいていいし、僕のような人も当然ファンでいる権利はあるのだ。

さいごに。洲崎さんとはもうお別れです

僕は、洲崎さんにTwitterもインスタもブロックされ、Twitterはアカウントを作り直してもブロックされた。
そんなに嫌われているのなら、僕はもうライブに行くのはやめようと思う。
僕はまだ洲崎さんのことが大好きだけど、ライブに僕が居るだけで洲崎さんが嫌な思いをするのなら、
もうライブには行かないようにしておこうと思う。
1年半、洲崎さんのおかげで本当に楽しかった。
Runny Noizeのライブをたくさん観てはしゃいだこと、
ファンの人と一緒にライブ前に食事に行ったりたくさんお話ししたこと、
ライブの余韻に浸りながら初めて夜行バスに乗ったこと、
洲崎さんと目が合ってキュンキュンしたこと、
ネタが面白くなくて帰りに泣いたことまでも
全部楽しかった。
でも、洲崎さんは僕がライブに来ても嬉しくないみたいだし、目も合わせてくれないし、SNSも見てほしくないみたいだ。
悲しい。いつか洲崎さんに僕の思いは伝わると信じていたのに。

僕は、人を推す、応援するというのは
ただ推しを肯定し続けるだけではないと思う。
推しを見て、
推しが創り出す音楽やお笑いや、様々な活動に魅了されて、楽しんで、感動して、興奮して、笑って、泣いて、推しに恋をしてみたり、
時には推しが変な活動をし始めてしまって
自分の好みとは違う方向に歩き出してしまうのを見て
悲しんだり、怒ったり、悔しさで胸がいっぱいになったり、
でも いろいろあっても
やっぱり好きだって思ったり、やっぱりこの人に着いていきたいって思ったり
俺は、そういうのを全部ひっくるめて「推す」「応援する」だと思う。
想いが行き過ぎて、推しを傷つける日もあるだろう。
推しと喜びを分かち合う日もあるだろう。
「なんでこんな奴応援してたんだ?」と思う日もあるかもしれない。でも、
「やっぱり好きなんだなぁ。」と思える日が来る。全部が推し活なのだ。
僕はそう思っている。
だから、日々洲崎さんを見る中で思ったことは全部正直にnoteやTwitterなどに書いてきた。
同じく洲崎さんを応援している仲間たちと分かち合ってきた。敵対する人も多かったけど。推し活仲間と、推しへのいろんな想いを分かち合うことも、仲間同士で揉めたり、推しをめぐって対立することも、それもまた推し活なのだ。

でも、僕の推しにはそれが伝わらなかった。
分かってもらえなかった。
もう、洲崎さんとはお別れです。
お別れの挨拶さえもできないのは悲しいけれど、
お別れを伝えにライブに行く気力もない。
マネージャーは「また是非お越しください」と言ってくださったけど、
洲崎さん本人が明らかに来てほしくなさそうにしている。
もう、僕は洲崎さんに会いには行けません。
1年半、自分なりに、初めて若手芸人を応援した。洲崎さんを1年半自分なりに愛し続けた。しかし、思いは届かず失敗に終わってしまった。
誰が悪いわけでもない。
洲崎さんも、先に述べた②の人間の考えは理解できないタイプの方だったのだろう。洲崎さんは、他の肯定してくれるファンが好きで、その人たちを喜ばすために活動していたのだ。僕のような人間は受け入れたくなかったのだ。まだまだ若手で、僕のようないろんな意見を言う人間のいうことを受け入れるほどの器は持てなかったのだろう。無理もない。仕方のない事だ。僕も必死に応援したし、他のファンの人も、洲崎さん達のことを思って、僕を排除しようとした。僕も、僕に共感してくれるファンの人も、僕のことを嫌いなファンの人も、みんな必死にラニーノーズ・Runny Noizeを応援していた。それぞれの応援の仕方があって、洲崎さん本人も含めて、いろんな人の想いがぶつかってしまった。人間社会では、このようなことが起きてしまうのは仕方がない事だ。どこかで誰かが諦めなければいけない。
ここは、僕が諦める番だと思う。
僕が諦めて、ファンをやめることにする。
本当にやめたくない。
まだまだライブに通いたい。
ここで、読んでいる皆様にお願いです。
僕に同情してくれた人、共感してくれた人、もし居ましたら、
どうかこの記事を自分の感想とともに拡散してください。
皆様の意見が力になります。
洲崎さんとその仲間、取り巻き、僕を良く思っていない人たちに僕の想いをわかってもらって、僕がもう一度ファンとしてライブに通えるようになるには
皆様の協力が必要です。
どうか、力を貸してください。
お願いします。
洲崎さんに、僕と、これを読んだ皆様の想いが伝わりますように…。


洲崎さん、ライブに行かなくなっても、僕はずっとあなたのことが大好きです。
1年半、たくさんの思い出をありがとうございました。
洲崎さんと過ごした、楽しかった日々は一生忘れません。
さようなら。
いつか絶対、また会いましょう。

洲崎さん。僕はずっと大好きです…



追記
皆さんの反響を受けて新たに記事を書きました


https://note.com/syunki0910/n/nb29b3c56ecff

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