「わかりあえなさ」との距離感を味わう ~トラNsれーショNs展~
0.ぼくが「翻訳」に込める感覚
「翻訳」という言葉にとても興味があります。
もともとSF小説も読んでいたし、英語圏の本が翻訳されたものを読んで仕事に使ったり、文学を読んで「日常と何か違う」感覚を味わったりという経験を思い出します。そこには楽しさやとまどい、新しいことを知れる喜びがあった気がします。
また、かつて翻訳の仕事をしていた先輩がいて、翻訳文を作るまでの手間が「そこまでしなくても・・・」という時間のかけよう。(常識だったのかもしれませんが)片っ端からディズニー映画のDVDを買い始めたのを聞いた時は「なんだかわからないけどすごいぞ」と感じたのを覚えています。
それ以来、翻訳とは「文章を変換する」以上の意味があると感じていました。(残念ながら、先輩は早くに亡くなりもう話を聞くことはできないのですが)
1.足の向くままに向かってみた
今回、友人がfacebookで投稿していて気になった展示がこちら。
「わかりあえなさ」は日々ぼくのそばにいて、その中で頑張ったり諦めたりしている。楽しみや悲しみを感じる。もしくは感じないようにしている。
その、身近であり身近でないものとデザインはどう親和していくのかということに興味があったし、何より「21_21 DESIGN SIGHT」は展示が楽しい。
それらが足を運ばせる原動力になりました。
久しぶりの六本木は穏やかな暖かさ。(人が少ないこともあり)非日常へ入る感覚もありつつ足を運ぶぼく。
館内に入ったぼくを迎えたのは、ディレクターであるドミニク・チェンさんの文章。それを読んで、なんだかとても感動したんです。
ディレクターズメッセージの中から、ぼくの心を動かした文章をいくつかピックアップしてみます。
わたしたちは常に、精一杯の語彙や身体表現を用いて、沸き起こる様々な感情をなんとか他者に伝えようとしますが、そもそも自分でも完璧にその感情を翻訳しきれることはないのです。
人は幸いにして、表現のしづらさをバネにし、新たな「言葉」をつくり出すことで、それまでできなかったような翻訳を行えるようになります。
そして、人同士のコミュニケーションにとどまらず、微生物や植物、動物、そして無機物と対話しようとする営みの数々もまた、「翻訳」の射程を押し広げます。
メッセージを読んでいて、ふっと自分に降りてきたんです。
自分の中の「伝えたい」「知りたい」という衝動に。
存在していること自体が、世界を翻訳しているってことに。
今のルール(言葉など)でうまく伝わらなかったら、新たなルールを考えればいいってことに。
そして、その文章はもうひとつ展示されていて、そちらは複数の言語をちりばめた記載になっていました。
(例)
私はペンを持っています。
↓
私(日本語) have a(英語) 钢笔(中国語)
ぼくにとって、この文章は「自分が感じていることをなんとか表現しようとする試行錯誤」に見え、ぼくが日々やりたいと思い取り組んでいることもこの感じだ、と気づいたときに、試行錯誤は自分だけじゃなかった、と泣きそうになってました。
2.展示を味わってみた
展示は、あらゆる人があらゆる手段で「翻訳」に取り組むものでした。
ただその中には、遊びや緩さの要素があったり、関係性の中でhappenしたものであったりと「社会問題の課題解決」というフレームには収まらない内容で、いたるところから「伝えたい!」「知りたい!」という興味・関心・好奇心が感じられ、そこにいるぼくもワクワクしたりニコニコしたりするような場になっていました。
展示の中から、特に記憶に残っているものをピックアップしてみます。
■Google Creative Lab+Studio TheGreenEyl+ドミニク・チェン「ファウンド・イン・トランスレーション」
マイクに向かって言葉を言うと、音声認識した上で多言語翻訳し、各語同時に読み上げてくれます。
ひとつの言葉は他の文化ともつながっているんだな、ということを感じつつも、言語・文化によって言葉に持たせている意味・思いは異なるんだろうな、と感じる体験でした。
■本多達也「Ontenna(オンテナ)」
音を感じるデバイスとして開発されたもの。
音は振動で体感できるものということを思い出したし、音を「聴く」ことができない人とも共通体験ができるかも、と希望を感じました。
■エラ・フランシス・サンダース「翻訳できない世界のことば」
言葉は文化の中にあって、その文化の中でしか理解できないこともある。
言葉の限界と、でもだからこそ違いが生まれ成長していくということを感じる展示でした。
■永田康祐「Translation Zone」
「チャーハン」を起点に、アジア諸国の同様の料理から共通点・違い・文化的背景を語り、言葉と文化が不可分であることを感じさせる動画展示でした。
(vimeo上に、期間限定で動画公開されているみたいです)
展示のボリュームは、ぼくにとっては大きすぎずちょうど良いサイズで充分楽しめました。
3.改めて:「翻訳」ってなんだろう?
鑑賞前はぼんやりしていた「翻訳」のイメージが、今は少し輪郭を持つようになっています。
翻訳とは、伝えたいことがある誰かに「これで伝わるかな?」と試行錯誤しながら伝えること。
翻訳とは、誰かが「そういうことだったのか!」と気づくサポートになるもの。
翻訳とは、日々の関わりの中で誰もがおこなっている営みのこと。
ぼくが誰かの翻訳者にあることもあれば、誰かがぼくの翻訳者になってくれることもある。気付かないうちに、誰かが誰かの翻訳者になっていることもある。
今なら、先輩が翻訳にあれだけ手間と時間をかけていた理由が少しわかります。
それは「伝えたい!」という気持ちの強さでもあるだろうし、伝えることの喜びでもあったんだろうなあ、と。
そして、日常でその手間をどれぐらいかけているだろう、ということも振り返ることができました。
日々是翻訳。そんな気持ちで、日常を翻訳しよう(≒生活しよう)と今は思っています。
「わかりあえなさ」を体感する展示はとてもよい時間を過ごせました。
興味を持たれた方は是非行ってみてくださいね。