また書く 力
「何のために?」
これまで書いていたけれど
それが書けなくなって
その後にどうやってまた書き始めたのか
その理由として
新たな要素が加わったような気がしているので
そのことを書いておこうと思います。
仕事でのホームページのコメントや
広告に掲載用のPR文章や
娘の高校の季刊誌に載せる保護者の作文とか
どうしても書かなきゃいけない となると
自分はこんなに「書く」ことが苦手だったのかと思うし、
苦痛だ と思う。
それは、しなくちゃいけなくて、投げ出せもしない。
時間をかけて何パターンも作ったり、何回も見直して提出はするのだが
全然ダメで
それに比べて
他社さんや他の保護者さんたちはなんて文章が上手なんだろうと思う。
AIを使ってみたりもしたけれど、
結局なんか違うってなってなり、いちから自分で書く。
こんなに思っていることが書けなかったか
こんなに書くことに不自由だったか
社会学者・心理学者の加藤諦三さんいわく
「自己実現して生きている人には少数の親しい人がいる」
とのこと。
このnoteでお互い記事を読み見合っている人たちとは実際にお会いすることはないけれど、
全く他人なんだけど、自分が書いてない、書けない時期にも
「あの皆さんは今どうされているだろうか」とふと思ったりするようになった。
コメント欄でそんな交流しているわけでもないのに
なんとなく皆さんはそれぞれこんなことに興味があって、、、くらいは分かって
そして時々、お互いが書いたものを見合っている。
その関係が、一旦書けなくなってもまた書けるきっかけのひとつのようになっている。
私の人生にちょっとだけ係わって下さっているのです。
だって、また書ける力 になって下さっているのですから。
ということで、本当にありがとうございます。いつも。
今年もどうぞよろしくお願いします。