怒るのでなく叱ることの話


リスクをとって失敗することは,多々ある。リスクを犯して行動(意見)して,リターンがほとんどない場合もあるし,クレームをもらったりして失点を犯してしまうこともある。そんなことを先輩や上司に報告すれば当然,怒られる。なぜこんなことになったんだ!とか,なぜあんなことをしたんだ!とか,とかとか。


で,こういった怒られている間に適切なコミュニケーションを取れない場合は結構あると思う。一方的に声を大きくして怒鳴られたり,相手が喋ってばっかりで発言する機会が全くなかったりと。特に失敗に対して結果論を論理的に組み立てて追及するのはナンセンスですよね。


やっぱり,相手を叱ることのできない大人が増えていると思う。相手をちゃんと叱ることは勇気のいることだから,無理もないと思うけど。やっぱりそれは良くない。


僕が思う怒ると叱るの違いについて。怒(おこ)るというのはちょっとヒステリックで,相手に追い詰められてダメージが残るのみって感じ。叱るというのは部分的に怒るを含んでいるんだけれども,あくまで視点は前を向いていて悪かったところを指摘して,さらに分析させていく作業だと思う。

失敗したやつになんで気を使わなきゃいけないんだ!みたいに考える人もいるかもしれないけれど。失敗を追及する行為と時間を、失敗者のためと考えるか,追及者のためと考えるかの違いだと思います。あと,追及されてる時に意識を切ってしまう人については問題外。


でもまあ,なかなか相手を正しく叱ることって難しいですし,そもそも何が正しいのかはわかりませんけれど。そのへんの違いって紙一重だと思うんです。自分は叱ろうと思って行動をしているんだけれども怒る側にズルズルいくこともあると思う。(僕自身も一方的に怒るだけにならないように出来るだけ気をつけるようにはなりました。いちおう。)


でも,世の中では正しく叱る意識がない,それ以前に怒ると叱る(あくまで僕のイメージ)の違いがわかっていない人が結構いると思う。ただヒステリックに悪いところを指摘するだけ,といった感じ。


失敗したとき,そういう人に直面すると本当に最悪です。まくしたてられるように自分の非を指摘してきて,指摘するほどヒステリックになっていくわけですから。ちょっとでも口ごたえでもしようものなら5倍くらいになって帰ってきますからね。絶対に勝てない戦です。



で,そういう人に遭遇してしまった時に大切だと思うのは,ヒステリック砲撃を被弾し続ける中で「自分のどこが良くて,どこが悪かったのかを能動的に考える」ということだと思うんです。誰しも否定されまくっていると,やっぱり思考もネガティヴに,縮こまってしまうので,あくまで能動的に考えていかないとそっち側に戻れないんですよね。



へこまされている時だからこそ,叱り方について考えられるものだろうし,コーヒーでも飲んで気分を整えてからゆったりと分析することが大切なんだな〜とか思ったわけでした。



今日はこのへんでー。では。

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