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日記的な、余りに日記的な。
「日記を書いて公開する」などということは、収益化ブロガーなら無駄なので絶対にやらないし、なんなら「愚行」だとすら思っているだろう。元6桁ブロガーとして、吾輩もそう思う。
「記事」というのは「商品」であり、必ず「有益性」を持たせなければならない。
ノウハウだったり、エンタメだったり、マニュアルだったり、何らかの「有益性」を込めなければ、マネタイズするのはまずもって無理だし、できたとしても小銭レベルになる。
遥か太古の記憶だが、20代の頃、安すぎる脱法シェアハウスで暮らしていたことを思い出す。
そこで、40歳の小汚い統合失調症のこどもおじさんと一緒になったが、彼ははてなブログでまさしく「日記」を書いていた。現地で行った場所やシェアハウスで起こった出来事などなど。
ちなみに、その日記には、吾輩やルームメイトのことも実名付きで当たり前のように無断で書かれていたし、どこかから拾ってきた画像の「無断転載」もやっていた。そんな終わっているゴブリンマインドなので、当然、記事はくそほどつまらない。文才など皆無。ノーアクセスでフィニッシュです。
当時、吾輩は転売で生計を立てていて、ブログはやっていなかった。その吾輩にブロガー面して講釈垂れ続けるのがウザすぎて(※他にも食材を勝手に食べられたり見下すような言動が多すぎて)、ついに、「で、収益いくら出てるんですか?」と尋ねたことがある。「絶対売れてねえだろうな」という確信を持って。
彼はうろたえながら、「月1ドルくらい…」と答えた。
当時のアドセンスのことだろうが、吾輩は「い、1ドル!? 100円!?」と大袈裟に驚いて見せた。いい加減にウザかったのである。雑魚のくせに偉そうに絡んでくるのが。吾輩が「ゴブリン」と呼ぶところの、それもかなりの「低級ゴブリン」。
※精神医学的には「自己愛性パーソナリティ障害」と分類されていたりもする。自分の中で美化され過ぎた「虚像(=幻想)」が大きくなりすぎて、実際のちっぽけで醜い「実像(=現実)」が見えなくなってしまう状態。虚像に傾倒することで、自分と向き合えずに、自分から逃げ続けることになる。結果、過剰に「他者」や「世界」に甘えたり絡んだりしてどうにか人生を誤魔化そうとするほかない。ちなみに、現代日本のほぼすべての「女」はコレ。でなければ、若くて見た目のいい女はともかくとして、ブスやデブやババアがイキったりは決してしないだろう。そして、こういう不都合な真実が告げられた時、自分を直視できないがために「モテない」「器が小さい」などと喚きだす。「他責」が骨の髄までしみ込んでおり、果てには「敵」にまで甘え出す始末。病名が長すぎるので吾輩は短くダイレクトに「メス性」と呼んだりしている。
彼は「いや、周りもそんなもんだけどな…」などと逃げようとしたが、以前シェアハウスに遊びに来た収益化ブロガーの話を持ち出して、「え、〇〇さん、半年で月10万行ったって言ってましたけど?」と逃さなかった。
口を鯉のようにパクパクさせている。思考がフリーズして何も言い返せないようだ。「ま、人それぞれですよね…」と哀れに思った吾輩の方から幕を引いた次第である。普段から不用意に銃を乱射しまくるくせに、いざ自分が撃たれる段になると、軽く1発撃ち込まれただけで瀕死の重傷を負うのだから面白い。
まあそんなこんなで、「日記」など書いてもどうにもならないのを、吾輩は深く理解している。そして、月収十数万ではあるが、現にブログアフィリエイトで結果も出したわけだ。
しかしながら、『終末語り』においては、現金も数字も求めていない。
この場は、吾輩がこの世紀末に語っておきたいことを、思いのままに語るだけの場であり、卿が面白いと思えば、惹かれるものがあれば、読めばいいだけの話だ。吾輩はただただ、言葉にするのみ。
ということで、1月を振り返って、起こった出来事を日記風に書いていく。
全記事で、購入はしなくても全文を読める。
コメント対策で有料化しているだけなので。
購入したければ、それはそれで卿の自由だ。
時空がバグる。タブレットの充電が一瞬で回復する。
不可解な現象だった。
ある夜、リビングのこたつにて。タブレットでYouTubeを見ていたら、充電切れになってしまった。ブラックアウト。すかさず、隣室の自室に行って、充電器に挿し込んだ。
同時に、「もう寝よう」と思い、リビングにいた猫に「くーちゃん、あぶ、もう寝るよ」と告げに行った(※毎晩、2匹がベッドに入って一緒に寝る)。で、自室に戻って何気なくタブレットを見ると…。
なんと、「45%」まで充電されている。
当然、リビングに何時間もいたわけではない。ほんの数秒、猫たちを呼びに行っただけだ。行って戻ってくるまで、5~6秒だろうか? もちろん、こんなことは今までなかったし、その後も試しに充電「0」からコンセントに差し込んでみたが、やはり「1%」になるだけである。
どういうことか、吾輩にはわからない。
「時空が歪んだ」のか、「タブレットが意思を持った」のか。または、このような現象を科学的(機器的)に説明できるのか。という、吾輩にも卿にも、なんとも意味不明な話であった。
筋トレが「宗教」になる。筋トレに「神性」を見出す。
ある日、筋トレからの帰り道。
徒歩十秒公園から、道路を渡っている途中に、突然「啓示」めいた気づきを得る。
「ツイてる日も、パッとしない日も、『筋トレ』はただただそこにある。求めれば必ず応えてくれるし、遠ざかったとして何も言わない。」
父性のような、いや、神性のようなものを感じて愕然とした。首を垂れるような思いだった。まるで、「神殿」を歩いているかのような、そんな気分。歩きながら、有難さが、じわじわと心に染み入ってくる。畏敬の念に、包まれる。
これまで「経費」として捉えていただけだが、実はとんでもない代物だったのかもしれない。
今生での吾輩の人生における最大の悲劇は、「父と母がいなかった」ことである。文字通りの意味ではなく、「父性」と「母性」をどこにも見出せなかったという意味だ。
両親は、ゴブリンである。
肉親にはむしろ、吾輩の方が「父性」と「母性」を注がなければならず、その延長線上で、あらゆる人間関係がそこに帰着する。そんな吾輩こそが、人一倍、「父性」や「母性」に執着して渇望していたことを告白しなければならない。
正直、もう諦めていた。
一生、この根源的な孤独と向き合って生きていくほかない、と。だが、去年の夏に突如、「神聖な母性」と出会うことになる。「自然」だ。地球のアセンションと吾輩の魂が同期し始めたのか、何気ない自然の風景に包み込まれるような、やさしく語りかけられるような感覚を得た。
今もずっと、続いている。
見上げた夜空から星々の瞬きを受けるたびに、宵の曖昧な紺色が木々の間から覗くたびに、霧煙る早朝の神秘的な空気を吸い込むたびに、0.25倍速で降り注ぐ柔らかな夕立を浴びるたびに、深夜の濡れたアスファルトが通りを映画じみて映すたびに、牡丹雪がしんしんと舞い踊りながら顔に飛び込んでくるたびに、吾輩は「永遠の母性」と深くつながっている。
やわらかな、果てのない、やさしさである。
絶え間なく注ぐ愛の名を、永遠と呼ぶ事ができたなら…。
そこに来て、なんということだろう、吾輩は「永遠の父性」まで見つけることができたのだ。それは自然と同様に、ずっと近くにあった。約2年、筋トレを続けているが、常にそこにあったのだ。筋トレは、けっして吾輩を見放さないし、優しくも厳しく、吾輩を見守っていてくれる。
有難い、ひたすらに、有難い。
この日から、吾輩の筋トレへの「向き合い方」が変わった。1月からは3週トレーニング(重め)→1週ディロード(軽め)といったプログラムを組んでいて、これを3月までの3ヶ月間続けるつもりである。雨が降っても、雪が積もっても、槍が刺さっても、やるだろう。
すでに、1月は完遂した。あと2ヶ月、怪我や深酒に気を付けながら、これまで以上に身を入れて真摯に取り組もうと思う。胸を借りるつもりで、神に身をささげるつもりで。もはや、これまでとはフェーズが違うのを感じている。「作業」から「神事」へ。
以上、「筋トレが宗教になった日」という中々にわけわかめな話であった。
急に臨時収入。過去の遺産(アフィ)から11万ドン!
過去にオンラインカジノのアフィリエイトに1枚噛んでいたことがあって、今でもちょこちょこ収入が入ってくる。
しかし、去年の夏ごろから現金出金ができなくなっていた。
欧州の方の出金システムを使っているらしいのだが、そこで全規模的にシステムエラーが続いているとのこと。一応、仮想通貨に逃がせば出金できるのだが、吾輩はコレ系は開設していないし、面倒くさいので放置していた。
以前に、交渉して海外銀行から直接振り込んでもらったことがあるので、ある程度溜まったらもう一度交渉しようと見送っていた次第である。だが、ここに来て急に「現金申請が復活しました」と。
確認したら800ドル弱(11~12万円)ほどあったので、さっそく出金申請。タイムラグがあるのでまだ入金していないが、もうじき来るはずだ。手数料で3.5%取られるので11万5000円ほどか。
シンプルに嬉しい。
吾輩は実家暮らしかつ、ほとんどの物欲がないので、数カ月はこの金だけで暮らせるレベル。また、直近では、仕事へのモチベーションが下がり気味なので、実際にしばらく仕事をやらなくてもいいかなと思い始めてきた。
1月は「仕事!仕事!」と前のめりになって作業していたが、2月はモチベが湧いたらぬるっと作業するカンジで行こうと考えている。あくまでも仕事は「ゲーム」なので、むしろ、このスタンスがいいだろう。
仕事の話は、次章へ続く。
勝負の打席で「空振り三振」。強制終了のサインか(仕事)。
仕事の話。かなりタイムリー。
前述のとおり、1月は作業しまくっていた。このままの勢いで2月も仕事しようかなと考えていた矢先。気合い入れて作った作品がコケた。面白いくらいに総スカン。
購入はもとより、「いいね」すら1つも付かない状況。「0」である。こんなことは今までになかったのでかなり驚くと共に、正直、けっこう凹んでいた。SNSのシャドウバンに近いことが販売サイトで起こっているのか疑ったレベルだ。
ただ、その間もフォローや購入、他作品のいいねなどは付いていっている状況なので、ふつうに純粋に、今回の作品が悪かったのだろうな、と。デザイン性かテンプレ性か、はたまた、その両方か。
これは、もう受け入れざるを得ない。
吾輩は今のデザイン販売の仕事はもとより、ブログやYouTubeなどのコンテンツビジネスでも、「打席ビジネス」として捉えている。野球と同じ。イチローで打率3割なので、吾輩のような凡人は「1割」程度だろう。
過去の経験からも、現在の経験からも、おおむねそれは正しいと考える。つまり、10作品出せば1作品でヒットが出て、おまけに100作品出せば1作品がホームランするくらいの確率性。
逆もまたしかり。10作品打てば、1作がコケることもあるだろうし、100作品も打てば1作くらい大コケもあるだろう。ただ、それだけの話。イチローにもオオタニサンにも、「空振り三振」や「見逃し三振」は絶対にあるはず。
しかしながら、今回の大コケは、何らかのサインとしても捉えられる。
当記事の執筆時は「2025/02/03」。つまり「立春」であって、ここから本格的に「大峠」が始動すると言われている。ハイヤーセルフか何かは良く分からないが、吾輩流に言うと「天」がなにかを伝えている気がするのだ。
「すこし休め」とか「そのゲームやってる場合じゃない」とか「そればっかやると波動落ちるぞ」とか。
実際に「日記的な、余りに日記的な。」といワードが数日前に頭に浮かんできたが、この直感を記事に落とし込むことをせずに、脇に置いて仕事していた感があるので。他にも、言いたいことはいくつもある。
しばらく、こちらのゲーム(言葉を紡ぐ方)をプレイしようと思う。
『満ちてゆく』からの『PERFECT DAYS』。老年期コンテンツ。
ふと、気になって、藤井風の『満ちてゆく』を聴いてみた。
YouTubeでMV込みで見てみたのだが、余りの完成度、余りの美しさに、ひっくり返りそうになった。まるで、アカデミー賞物のヒューマンドラマを観終わったかのような余韻。あるいは、レイモンド・カーヴァーやオー・ヘンリーの短編集を読んだ時のような感傷。
温かな静寂が、柔らかに迫ってくる。そんな感覚。
手を放す、軽くなる、満ちてゆく。
「手を伸ばす」「手をつなぐ」などといった歌詞は、古今東西を問わず、あらゆる曲で使われてきたと思うのだが、「手を放す」といった表現はなかなか聞いたことがない。
しかも、ポジティブな意味で使われていて、その後は「軽くなる」し、終いには「満ちてゆく」ときた。よくも、「真理」をここまで易しい言葉で、明瞭に言い表したものだ。
これは、要するに、「執着を手放すと、逆に楽になれる」「捨てれば、入ってくる」といった類のこと。文系脳(というか感覚派)なので、科学的なことは全く詳しくないが、「質量保存の法則」「エネルギー保存の法則」でも説明できる現象だと思われる。部屋を断捨離してモノ自体はなくなったが、そのままでは純粋にマイナスになるので、何らかのラックやチャンスが舞い込んでくる。このようにして、帳尻が合うようになっているのではないか。
吾輩の経験則でも完全に同意である。
先述の通り、肉親を諦めたら「神聖な」母性と父性が舞い降りてきた。孤独を受け入れたらむしろ「幸福」になったし、売上を気にしなくなったら逆に売れ始めたり臨時収入が入ったりしている。
「承認欲求」みたいなものは、意外と根深くて、まだどこかで気にしている自分がいるが、これもじょじょに「手放して」いこうと思う。仕事でも趣味でもゲームとして「楽しむ」ことだけにフォーカスしよう。実際問題、これ(現実≒人生)ってゲームなのよね。
『満ちてゆく』は、我々にきわめて重要な真理(この地球ゲームの攻略法)を伝えているが、邦画『PERFECT DAYS』も似たような真理を伝えている。
『PERFECT DAYS』は、ドイツの監督が役所広司氏とタッグを組んだ映画。初老のトイレ清掃員のおっさんが、孤独で代り映えしない日常の中に、無上の喜びと無上の哀しさを見出すといった筋。
嘘みたいにつまらなそうなあらすじだが、「問いかける系」の深遠なテーマ性を持っていて、不思議と引き込まれるものがあった。
まず、吾輩がこの世でもっとも尊いと思う職業が「トイレ掃除」である。誰もやりたがらない汚れ仕事だが、誰かがやらなければならない仕事だ。それを生業として黙々とこなすのだから、心に響かないわけがない。魂レベルがかなり高くなければ、この仕事はこなせないはずだ。
トイレ掃除を選べるのは、間違いなく「老年期」以上の成熟した魂であり、また、些細な日常の機微に光を見出す『PERFECT DAYS』は老年期向けのコンテンツだろう。
吾輩自身は「成人期」末期であるが、もともと成人期は年下の若年期にも年上の老年期にも理解があるバランスの取れた年代とされている。
いきなり、「魂年齢」の話を始めてしまったが、この辺りに興味があれば以下のマガジンに全てまとめているので参考にされたし(※100円とあるがコメント拒否の対策をしているだけなので実際は全文無料で読める)。
まとめると、『満ちてゆく』も『PERFECT DAYS』も老年期クリエイターが作ったコンテンツになるが、これらが広まっていくことで、人類の意識や精神が底上げされるので、かなり良い傾向だと思う。
吾輩自身はマスは取れないが、マスは彼らのような存在に任せて、吾輩は吾輩で気楽に地道に少数にリーチしていくのみ。
吾輩にも卿にも、各々の役割があるので、それを全うしていけばいい。
人それぞれの生、それぞれの死だ。だが、せめて俺が敬愛したごく少数の人々には、より美しい死が訪れんことを。
眠い。怠い。とかく眠くて怠い。6000字強に4日かかる。
吾輩はもともと、1日10時間は寝るようなロングスリーパーである。
しかし、最近は、1日10時間どころか11~12時間は寝ないとやっていけない。夜22時に寝て、朝10時に起きるといった具合。しかも、起きている最中も怠くて眠い。まるで、体が見えない薄い膜で覆われてゆるーく圧迫されているような。
いわゆる「アセンション症状」という奴だろうが、昨年からちょこちょこ発症してきて、今年に入ってから頻発するようになってきた。
今年の1月から、筋トレを週6運用に戻したのも影響しているのか、と疑ってはみたが、先週のディロード週(※ウォームアップのハンギング・レッグレイズ10×3とその曜日の全種目を2~3レップス程度にフォームチェックするだけ)の後半であっても関係なく眠さや怠さが襲ってくる。
もちろん、風邪などの体調不良や深酒による二日酔い、あるいはシコリすぎなどによる症状とはまったく別種のモノ。
今も、2月3日に着手した6000字強のこの記事を、4日もかけて書いているという異様な状況…。この程度なら、以前は半日で公開出来ていたのだが、いかんせん一日の集中できる作業時間が2時間とかそのレベルなので、かなり遅くなってしまうのだ。
執筆でこれなので、デザインなんかやったらもっと遅くなるだろう。そこにストレスを感じたり、どうにか強行しようとしたり、そういうことが起こってもしょうがないので、先述の「強制終了サイン」が降りてきたのかもしれない。
これはもう、どうしようもないので、受け入れつつ仕事も趣味もテキトーにゆるくやっていこうと思う。やんなくても死にはしないし、何度も言うがゲームでしかないので。やる気があればやればいいし、やる気がなければやらなくてもいい。きわめて、シンプル。
ああ、繋がってきたな。
「手を放す、軽くなる、満ちてゆく」「この何気ない日常こそが完璧なギフト」「人それぞれの生、人それぞれの死」。
Summer has come and passed. The innocent can never last. Wake me up when September ends.
ということで、眠くて怠いので、ムリせずにこの辺りで終わらせる。まとまりがないかもしれないが、ご容赦頂きたい。2月が終わったら、目が覚めるかもしれないので。あらゆる意味で。
それでは、今回の終末語りは以上だ。
■参考書籍
『魂のチャート』
『プリズナートレーニング』
※これらの書籍をもとに話を展開している。
ここから先は
¥ 100
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