臆病者の生存戦略
はじめに
「個人の時代」だと散々言われ、「好きなことだけして生きていける」という類のことばが無責任に横行している時代を、いまぼくたちは生きている。
それでもまだまだ「好きなことで生きていく覚悟」を決めた若者は少ないように思う。少なくともぼくのまわりにはほとんどいない。
そして、「好きなことだけして生きていける」と断言している人はホリエモンを筆頭に、世間てきに天才と呼ばれている著名人ばかりだ。でもまぁそれはあたりまえのことで、なぜなら「好きなことだけして生きていける」を断言する資格があるのは「好きなことだけして生きていけている」人間だけだから。
だからぼくたちは、それは特別な才能がある人だけでしょ?と、どうしても感じてしまう。いくら本田圭佑が「ぼくは凡人だ」と言おうが、嘘つけwと思ってしまうのだ。
でも、それでもぼくたちは、“凡人でも”好きなことだけして生きていける、というわずかな可能性を捨て切れられずにいる。そしてぼくも、そのうちのひとりだ。
この記事を開いてくれたあなたも、もしかしたらそうかもしれない。
それならば、そんな人たちに何かできることはないのだろうか。それを真面目に考えてみたことがこの記事を書くきっかけだった。
いたってふつうで凡人のぼくがだ。
もしその他大勢の人たちと、少しだけ違うところがあるとしたら、ぼくには小5のときから大きな夢がある。
有名な表現者になりたい。という夢だ。
それなのに、ふつうに大学に行って、ふつうに就職をして、現在社会人2年目に突入している。
ぼくは間違いなくその他大勢の人たちよりも、めちゃくちゃ臆病者なのだ。
やりたいことを仕事にできるほど世の中甘くない。
我慢、苦労は美徳。耐え忍んでこそ一人前の大人になれる。
望んでもいないのに、親や教師からそんなことばのシャワーを浴びせられた。「好きなことを仕事にしたい」と感じてしまう罪の意識を、そのシャワーで洗い流してぼくは大人になった。まわりから浮くことを極端に恐れ、個性という個性をとことん削ぎ落とすことに注力した。
ぼくはまわりの目をめちゃくちゃ気にする臆病者だった。
だったというか、いまでも気にしている。昔よりはましになったが。
でも、自分には夢があるという優位性にかまけて、まわりの人間に対する違和感がいまだに消えない。
やりたいことがない。夢がない。と言っている人があまりにも多いことだ。
大学の受験勉強をしていたとき、就職活動をしていたとき、なんでこの人たちは特に何がしたいでもなく、偏差値や給料が高い場所へ行くためだけに頑張っているんだろう。とずっと思っていた。
と、思いつつも結局はまわりに流されながら、ぼくも同じように受験や就職をした。
だからぼくは凡人なのだ。マジで行動のともなわない口だけのドリーマーだった。
でも、そういう環境でそういう人生を生きてしまった以上、ぼくは「やりたいことがない現象」に問題意識と当事者意識を感じずにはいられない。だから過去のnoteでも「本音に気づこう」とか「やりたいことをやろう」という発信をずっとしている。ていうか自分に向けて発信している。それは「やりたいことがあっても一歩を踏み出せなかった過去の自分」に問題意識と当事者意識を感じているからだ。
お前はいったい何者になりたいの?
そう聞かれたらあいかわらず、有名な表現者になりたいですと答える。
表現者とは具体的に何なのか。それに関して、ひとことで言い表すのはとても難しいと思っている。
むかしだったら表現者という概念が、作家であったりアーティストであったり役者であったり映画監督であったりするのではないかと思うけど、
なんらかの媒体を通して発信をすれば、それは立派な表現者だ。
ユーチューバーのジョーブログのようにアメリカ無一文横断という挑戦をして、その挑戦を配信するだけでひとつの物語ができあがるし、25歳くらいまで童貞だったやつが恋愛について研究に研究を重ねてめちゃくちゃモテるようになったエピソードをブログに書くだけでも物語ができあがる。
まさに人生をコンテンツ化。とか人生が作品。を実現できる時代だ。誰かの感情を動かせたのなら立派な表現者だといえるだろう。
そしてぼく自身もそうなりたいわけで、その時々でつくりたい作品をつくりまくりたいのだ。
本であれ、芝居であれ、YouTubeであれ、映画であれ、音楽であれ、その時々でやりたい表現に挑戦する。
そしてまずは、作家として実用エンタメ本を出版する。これが直近の夢だ。
その作品を通して、過去のぼくが救われてきたような、感動や勇気を届けることができる人間になる。もちろんそれらの作品の根底にも「やりたいことをやろう」というメッセージ性は持ち続けるつもりだ。これこそがぼくにとっての「好きなことで生きていく」ということなのだ。
そしてここからが本題である。ずいぶんと長いはじめにで申し訳ない。
では実際に、ぼくの夢を実現するために何をしていくのかという戦略をこれから記していく。
ぼくの活動のターゲットは、さっき説明した理由から、
やりたいことが見つからない人。やりたいことがあっても一歩を踏み出せない人だ。
発信力を磨く。
まず、ぼくの夢を叶えるために絶対的に必要なものは、ぼく自身の発信力であり影響力でありフォロワーの数だ。これはぼくに限ったことではなく全員にいえる。
やるべきことは作家としての腕を磨くことではない。ネット上での発信力を磨くことなのだ。
ぼくは学生時代、関西で劇団を立ち上げて活動していた。そのとき関西演劇界で役者としてがんばっている人たちの演技に触れてきたが、なかには「芸能人より演技うまくね?」みたいな人がいたりする。でも事実として、彼らのことなどだれも知らない。役者としての知名度をあげたければ、やることは演技力を磨くことだけではない。発信力を磨くことなのだ。ドラマの主役を下手くそなジャニーズがつとめることがよくあるが、それはもちろん視聴率をかせげるからだ。そしてこれから、フォロワーの数が多い素人が勝つ時代はどんどん加速する。
それならば、いまのぼくが発信力を向上させるためにできることは何なのか?そもそもターゲットに対して価値を提供できなければ当然フォロワー数は増えない。
さっき設定したターゲットを振り返ってみる。
・やりたいことが見つからない人
・やりたいことはあっても一歩を踏み出せない人
ではまず・やりたいことが見つからない人に何ができるのか?ということを考えてみた。
やりたいことの見つけ方。
これの方法としてぼくは、とにかく少しでも興味があるものに手を出してみることだと思っていた。でも、それってはたして本当なのか?と、ふと思った。いや、正確には間違ってはいないのだが、とにかく手を出せと言われても何から手を出したらいいのかわからない人がけっこういるのではないか?と思ったのだ。
ぼくは小5のころから表現者になりたいということを思っていた。なので、夢がないという人の気持ちが正直わからない。じゃあ、ぼく自身どうやってその夢を見つけたのかということを思い出してみた。すると、ぼくが何かに手を出す際に共通する入り口がしっかりとあった。
ぼくの場合、すべてにおいて誰かに憧れることからはじまっていた。
小5の時、はじめてぼくが憧れた人物は、BUMP OF CHICKENの藤原基央だった。
心に沁みる歌声…というよりは圧倒的に彼が生み出す歌詞に衝撃を受けた。小5ながら。約3分という時間にまとめられた物語やメッセージ性にとても共感した。
歌詞でこんなにも人を感動させられるんだ!
と衝撃をうけたのをいまでも忘れない。それが彼に対する憧れの入り口だった。そして次に、実際に自分もやってみるという段階になってくるのだと思う。ぼくはバンドを組むためギターを始めたw
まぁこれは結局続かなかったのだが、ぼくは並行して他の表現手段を探していた(ブログを書きまくって高校で話題になったりもした)。
その次に衝撃をうけたのはスラムダンクの井上雄彦だった。
スラムダンクを読んでバスケを始めたというアホな男子はたくさんいると思うが、これもいわゆる桜木や流川に憧れたということだと思う。ぼくの場合はその憧れの対象がいつもその作品を生み出している作者なのだ。
もちろんぼくはマンガ家になることを決意したw井上雄彦のプロフェッショナルも100回くらい見た。
そしてこれも続かなかった。うすうす勘づいている人もいるだろう。ぼくは極度の飽き性なのだ。でもそんな飽き性のぼくでもどハマりするものが見つかった。それが大学時代に始めた演劇だった(ハマりすぎて神戸大学を2留した)。
いまでは飽き性でほんとによかったと思っている。おかげでいろんなことに手を出すことができたし、その結果自分が1番好きだと確信できる演劇と出会えたからだ。
そもそも、「やりたいことがない」ということは絶対にありえない。とぼくは思っている。ひとりひとりにとって好きなことは必ずある。
例えばマンガを読むことが大好きな人がいるとする。でもほとんどの人は、マンガを読むことを仕事にしようとは思わない。
それはなぜというと、まずマンガを読むことを仕事にしている人を知らないからだ。そんな人いっぱいいる。その人に憧れればいい。
つまりだ。つまり何が言いたいのかというと、やりたいことを見つけるためには、まずは憧れの対象を見つけるべきだとぼくは確信している。
そしていまはむかしよりも圧倒的に見つけやすくなっている。むかしはその憧れの対象を見つけるためには、ぼくのように音楽やマンガに触れることや、実際に誰かに会うとかそういうことでしか見つけることができなかった。でもいまは違う。
ネット上に憧れの対象が溢れかえっているのだ。
これは別に著名人に限ったことではない。このnote上でもあらゆる一般人が発信をおこなっていて、あらゆる一般人の人生に触れることができる。
それをぼくは届けていきたい。だれかがやりたいことを見つけるためのきっかけを、ぼくはTwitterを通してジャンルを問わず全力で紹介していくことにする。これが現在のぼくができることのひとつだ。
①憧れの対象になりうる人を紹介する。
ただ、まだまだ人が行動を起こすためには壁がある。いざ、だれかに憧れてやってみたいことが見つかったと。それですぐに一歩を踏み出し、そして継続できる人なんて1%にも満たない。自分にはできないと無意識に決めつけてしまっている。これはなぜかと考えたときに、ぼくは単純に自信や勇気の問題だと思っていた。しかし、その自信や勇気の一歩手前にこそ真の課題があることがわかった。
一歩の踏み出し方。
その答えは、キングコングの西野亮廣著『革命のファンファーレ〜現代のお金と広告〜』のなかで的確に記されている。
あなたが行動を起こさないのは、勇気を持ち合わせていないからではなく、情報を持ち合わせていないからだ
そう。一歩踏み出す勇気をつくっているのは、まぎれもなく好きなことで生きている先人たちが発信している情報なのだ。実際ぼくもその情報をもとにこの戦略を書いている。西野さんの言葉を引用させてもらうと、
「右に行ったら、壁がありましたよ」「左に行ったら、深い谷がありましたよ」「右斜めに行ったら、道が続いてましたよ」「その先に谷があったのですが、幅が狭かったので、丸太を倒したら渡れましたよ」
という彼自身の体験談。つまりそういった情報(ノウハウ)を得て、自分の夢を叶えられる可能性をできる限りあげてからでないと、99%の人は行動を起こすことができない。
(自信に関しては、実際に行動をおこして、そこで小さな成功体験を積んでいくこと以外ない。ていうかぼくはそれしか知らない。)
例えば飲食店を出したい!という夢があったとして、それを躊躇する人ってあんまりいないんじゃないだろうか。なぜならそういう人は身近にたくさんいるからだ。つまり身近に情報がある。
じゃあぼくが・やりたいことはあっても一歩を踏み出せない人にできることは何なのか?もちろんぼく自身の体験にもとづいてそういった情報を発信することはできない。なぜならぼくはまだ何者でもないからだ。知名度という成功をまったく持ち合わせていない。「何を言うかではなく誰が言うか」なこの世の中、いまのぼくがどれほど「やりたいことをやれ!」とか「一歩踏み出せ!」とか言っても説得力がない。
それならぼくにできることはひとつ。先人たちが発信している情報に、ぼく自身がいち早く触れて、それをそのまま紹介することだ。
②先人の発信する情報を紹介する。
これももちろん著名人に限ったことではない。そこそこのインフルエンサーが発信しているSNSのフォロワーを増やす方法や、好きなことで生きていくためのそもそもの考え方や生き方など、そのような情報もネット上に溢れかえっている。それもぼくはおしげなくTwitterで紹介していくことにする。
そして最後に。以上①、②をやるだけではただの他人が発信する情報屋さんにすぎない。ぼくがやりたいことはそれではない。あくまでも表現屋さんとして活動していきたいわけで、プレイヤーになりたいのだ。
少し話がそれるが、人が感じる価値には2種類ある。
・人にとって役立つこと
・人の感情を動かすこと
の2つだ。
さっきの①、②は・人にとって役立つことで、ぼくが届けたい価値は・人の感情を動かすことだ。
そこの発信はnoteやYouTubeでやっていく。これがぼくが会社をやめるまでの期間で、発信力の土壌を整えるためのざっくりとした戦略だ。
③オリジナルの作品を発信する
・人にとって役立つことの提供によって発信力を向上させながら、・人の感情を動かすことのスキルを並行して磨いていく。これをぼくは、会社で働いている以外の時間で徹底的にやっていくことにする。
さいごに。
『臆病者の生存戦略』とたいそうなタイトルをつけたことには理由がある。
これからの時代は、マジで好きなことを仕事にしないと生きてはいけない。「できたらいいね!」ではなく「しないとやばい」のだ。
これをすべて説明するとかなり長くなるので簡単に書くと、ほとんどの仕事がテクノロジーによって代替される未来で、もしあなたが社長ならば仕事だと割り切って働いている人を採用しますか?ということだ。ぼくなら優秀なロボットを採用する。
だからこそ、生存戦略なのだ。
そしてまだまだこの生存戦略は未完成だ。もちろんぼくのインプット量も全然足りていないし、なによりもぼくはまだ何者にもなれていない。ぼく自身の実体験で語れる部分がかなり限られている。これから行動によって学んでいくしかない。
でも、ぼくはこれから人生をかけて必ずこの『臆病者の生存戦略』を完成させることを約束する。
未熟で臆病で、自分の夢からひたすら逃げ続けてきた凡人のぼくだからこそやらなければならないのだ。
会社に入社してからこの1年間、ぼくは「ほんとに心からやりたいことは何なのか」ということを自分に問い続けた。
ほんとにこれが1番やりたいことなんだろうか。もう少し会社で力をつけてから考えたほうがいいんじゃないか。失敗したらどうしよう。家族をもって幸せに暮らせたらそれでいいんじゃないか。でもまわりと同じはいやだ。もっと本音で生きたい。自分をさらけ出したい。やっぱり怖い。人に迷惑をかけたくない。嫌われたくない。バカにされたくない。もっと挑戦したい。好きなことをやりたい。自由に生きたい。ちゃんとできるんだろうか。お世話になった人に申し訳ない。親にもしめしがつかない。
いろんな感情が渦巻くなか、ぼくはひとり暗がりのなかでもがき続けた。
ほんとに心からやりたいことは何なのか。
自信がくだけ散った日もあった。能天気な自分に無性に腹が立った日もあった。不安で眠れない夜もあった。
それでもどうしてもワクワクしてしまう夜があった。想像しただけでドキドキして眠れなくなる夜があった。
「はやくいこうよ!」
その答えは、小5のぼくがすでに知っていた。
「ぼくはやってみたいんだ!」
ずっと知っていた。あらゆる理由は、夢から逃げる自分の背中を押すための理由でしかないことを。「やりたいからやる」どうしてこんなに簡単なことが、大人になったらできなくなるのだろうか。いろんな理由をつけて、やらない自分を正当化して、どうしてぼくたちは本音に耳をふさいでしまうのだろうか。
それでも、そんな臆病者を、小5のぼくは待ってくれていた。
藤原基央に憧れたあの日からずっと。
現実を知らない、無鉄砲で純粋な、幼い少年はずっとそこで待ってくれていた。
何回追い払ったことかわからない。それでもいまだに目の輝きを失わずに、そこにちゃんと立っているのだ。
大人のぼくを信じて立っているのだ。
やっぱりぼくはどうしてもこの一回きりの人生で、この少年の夢を叶えてあげられずには死ねない。
そいつに誓った約束をちゃんとはたすまでは。
やるんだ。
ビビリだけど、ヘタレだけど、ロマンチストなぼくを見失いたくはないのだ。
下手くそでも、未完成でも、カッコわるくても
夢中になるんだ。熱狂するんだ。まわりの声など聞こえなくなるほどに。
泥臭く、地道に、いっこずつ
ハッピーエンドの物語を更新していくんだ。
未来に恋せよ!
いまどこかにいるあなたと、握手ができる日を夢見て。
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基本的に記事は喫茶店で書きます。その時のコーヒー代としてありがたく頂戴いたします。