
力と心を尽くしたか
こんにちは。とある人材開発系企業でひとり人事をしている朱夏です。
先日、自身のこれまでのビジネスキャリアを振り返る機会がありまして。
今の会社に来てから取り組んだこと、その中で培ってきた考え方などを整理しておりました(・ω・)
今日はそのお話。
私は人事担当として、社員の皆さんがこの会社に来る時、必ず入口に立って先導するような、そんな役回りです。
そして、皆さんが何らかの理由で会社を去るときにも、そのお見送りの最後にいる立場です。
先日、新人ちゃんに聞かれました。
「自分もサークルで人を束ねる立場にいたとき、メンバーがやめていくのが悲しかった。朱夏さんもそう思うことはあるのか?」と。
むかーしは「悲しい」の気持ちが大きかったですが、最近はそうでもないと言いますか、視点が変わった気がしています。
昔は、ただただ「退職する」という事象だけ見て悲しんだり憤ったりしていました。
ですが、その結果だけ見て何か良し悪しのようなものを測ってもあまり意味がないなとここ数年の入社・退職を見ていて気づいたんです。
その人が本当の意味で自己決定し、退職した先の人生をきちんと自分で責任取るって決められていれば、その決断の良し悪しは私たちが決められるものではありません。
一方で、その人の人生がより良いものになるよう、会社という立場でできることを精一杯やり切る努力はできるしやらなければならないなと思います。
例えば、その人が辞めたいと思ったきっかけや原因に手を差し伸べられないか、その決断は本当に納得できているのか投げかけることはできないか、といったことに考えを巡らせ行動するということです。
それができていないままに会社を去ってしまわれたなぁという時は、やはり悔しさ、申し訳なさを強く感じます(´ `*)
心と力を尽くして、その結果として会社を去る結果になっても、それはお互いに「自分で決めたことだから」と納得できる。
そういう去り方であれば、きっとその先もご縁って続くんじゃないかなって思います( ・ㅂ・)و ̑̑
それでは今日はこの辺で( ˘ω˘)