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僕の人生は導きの旅

最近、いろいろな情報が入ってきていて、一旦まとめようかなと思って書いてみます。つらつら書くので読みにくいかもしれませんが、もしかしたら僕と同じ境遇の方もいらっしゃるかなと思いますので(それこそ導かれてここにやってくるかも)、なんとなく読んでいただけたら幸いです。

自分の人生は自分のものではない

僕は28歳の時に会社をおこし、現在40歳で不惑になりました。
思えば、起業してからというもの、自分の人生を生きていないような気がしています。何かに生かされているような気しかしないのです。なぜなら、僕はそもそも起業をするような人間ではないと思っていました。
会社を興す寸前までは、「社長になりたい!」なんて一度も思ったことはありませんでした。学生時代はとにかく人前に出るのを嫌っていました。子供の頃、ピアノを習っていましたが、人前に出るのが嫌だからという理由で、コンクールには一切出ませんでした。大学時代も発表なんてしたことないので絶対やらなかったし、リーダーっぽいことは避けていました。
社会に出たら、安定の職業についてゆっくりと人生を過ごしたい。普通に結婚して家庭を築いて…なんて真面目に思っていました。
だけど、社会に出たら、先輩社員からいじめみたいなことをされて嫌になったり、転職した会社も上司と反りが合わず、フリーになったけど仕事もせず、全然うまくいきませんでした。そんなある時、友人と一緒にフリーペーパーを作って、それが話題になったのを聞かっけに起業に目覚めたのです。
起業の一番の理由は、
「人生なんてほとんど仕事だし、その仕事が楽しくなかったら人生の半分以上楽しくないことが確定してしまう。それは非常にもったいない。でも世の中にはそんなに楽しい会社はない。それなら自分で作ろう」
という理由で会社を立ち上げました。
なので会社を作った当初から企業理念は「ENJOY」です。

ただ、今まで一度も社長になりたいなんて思ったこともないし、なぜ自分が急に社長になろうと思ったのが不思議でした。
更に不思議なのは、会社の事業が自分が苦手な子供向けのビジネスだということ。現在は謎解きゲームを制作していますが、そのゲームの対象者はファミリーや子供なんですね。僕は子供がどうも苦手です。これもなぜかよくわからないんですが、そのくせに卒業大学は教育学部初等教育過程。つまり小学校の先生を養成する学部なんです笑。これ、めちゃくちゃ謎です。子供嫌いなくせに教育学部に行く、しかも初等教育。周りには小学校の先生になりたい人しかいません。入学したときのクラスの自己紹介で、僕意外みんな先生になりたいって意気込んでいて愕然としました(当たり前だろ)。本当に子供が苦手な僕は、教育実習に行かなかったので、教員の免許を持っていません(たぶん学部で僕だけ)。それほど子供苦手なくせに、子供向けのビジネスをやっているのはマジで謎です。

他にも謎はいっぱいあるんですが、これらのことを思うと、会社をおこしてから自分の人生だけど自分の人生なように思えないのです。

なにかに導かれている

会社を始めてからというもの、自分のやりたいことはあってやってきたつもりですが、果たしてそれが本当に自分のやりたいことだったのか常に疑問があります。つまり、半分は何かに動かされている、導かれている、としか思えないのです。

導かれているといえば、最近不思議なことがありました。
3月に友人たちと熊本旅行に行きました。
熊本にある弊立神宮に行こうという旅行でした。その旅行は不思議なことがいっぱいでした。一番は弊立神宮です。幣立神宮は日本一古い神社として知られており、16,000年前にできたとされています。五色人の仮面があるので有名で、さらにゼロ磁場といって、地場がない聖域でもあるのです。そんな幣立神宮に行き、お参りをしました。なんとなしに賽銭箱あたりでぼーっと神社の中を見ていたら、宮司さんが中でお参りをして横に腰掛けようとしていました。そしてふと宮司さんと目が合うと、宮司さんが僕を手招きしてくれました。中に入らせてもらって、中でもお参りをさせてもらいました。その後、友人たちも続き、なんとなしに宮司さんに声をかけました。そしたら宮司さんの話が始まり、色々興味深い話を聞かせてもらいました。ただ声が小さくてなんて言っているかわからなかったけど笑。その話の中で、宮司さんオススメの3冊を持ってきてくれました。「本を紹介されたらその場でアマゾンで買う」という自分の掟があるので、速攻で購入。その本の一つが矢作直樹先生の本でした。矢作先生の話が宮司さんからも出て「知り合いだから紹介するよ。家の住所を教えましょうか?」となぜか行ってきたので、「いやそこまでは…」と丁重にお断りましたが笑。だって矢作先生のことをその時に初めて知ったのに、いきなり会いに行っても…と思ってしまいました。ていうか僕ら自体も宮司さんに初めて合うし、どこぞの小僧ともしれない人間に、そんなふうに言ってくれるのが不思議でなりませんでした。
さて、家に戻って、矢作先生の本が届き、それを読みました。すると、それまで疑問だった謎が一気に解けていきました。点と点が線になるみたいな。
そして先週のお盆の時に、とある方と飲みに行きまして。で、なぜか幣立神宮の話になり、矢作先生の話をしたら、「まさか飲み会で幣立神宮や矢作先生の名前が出るなんて…」と驚かれていて、「それなら保江邦夫先生の本を読むと良いですよ」と紹介していただきました。掟に従いすぐに本を3冊ほど購入し、いま読んでいるのですが、これがまた面白いくらいにつながる!
まず、矢作先生も普通に出てくるし、他の本で読んだ先生の名前も出てくる。色んな場所で紹介された方々がどんどんつながっていくんです。そこに自分自身が導かれているとすごく感じるんです。
これらの導きは、何故導きと感じるのかといえば、自分が求めているものではないからです。僕が望んでいたわけではない。眼の前に続く道を歩いていたら勝手につながっていた感覚です。なにかに導かれていると考えざるを得ない。これを書いているということも、ある種の導きを感じます。

自分の意志とは関係なく呼ばれる=導かれる、という感覚は数年前からもありました。
祖父が他界してから、なぜか墓参りに行くようになったんです。本当に不思議です。自分ではそれまで一度も墓参りなんて行こうと思っていなかったのに、なんなら僕の実家の墓は小高い山の上にあって、藪蚊もめっちゃ出るし、登るの大変なんです。でもなぜか行くんです。明確に呼ばれているわけではない。なんかわからないけど、墓参りに行かなきゃなって思うんです。いまでも時々行っています。実家の近くに行ったときはできるだけ行きたいなと思っています。
あと直近だけど、山登りにハマっていまして、なぜか山に登りたくなるんです。なぜかわからないけど山に登りたくてしょうがない。これは何なんでしょう。いままでそんなことなかったのに。
そういう自分の意志とは関係ないことってすごく導きな感じがします。その答えは何なのか。何を意味するのか。そこに何かしら答えがあるように思います。

会社を続けることは使命である

僕にとって会社は使命だと思っています。ある時からそうとしか思えなくなりました。自分はこれをやるために生まれてきたんだと。
自分の考え方はすごく人と変わっています。それは昔からいろいろな人に言われてきました。思えば、小学校の時から、なぜか担任の先生から通信簿に「淳くんは何かを成し遂げる人だ」みたいなことが複数人の先生から言われていました。なにか兆候があったのでしょうか…。それが大人になり、現在のビジネスになっても、やはり変わっているのだと客観的に思います。自分自身はそこまで変わっていると思ってないんだけど笑。
一番変わっていると思うのは、会社をやる理由です。僕は明確に、「従業員みんなが楽しいと思える会社にしたい」と思っています。「楽しい」を増やすために会社をやっているのです。そのための仕組みを会社の中に作っているつもりです。利益ももちろん大切ですが、従業員の喜びが僕の喜びです。みんなが楽しく幸せに暮らしていくことが一番大事です。わりとそれを掛け値なしに思っていて、それは使命なんだなと思うようになりました。自分の生まれてきた役割なんでしょう。自分は独身で、結婚をするつもりもありませんが、それは会社を大きく成長させ、幸せな従業員をたくさん生み出していくことに全振りさせるためなのだと思います。だからその使命をまっとうしたいと思っています。

自分でいうと嘘くさいけど、そういう私利私欲のためではなく利他の精神で生きる人生観なのかなと思っていますが、いろいろな本を読むと、それがベストだと書かれています。
先に上げた矢作直樹先生も保江邦夫先生もそういう考えの持ち主ですし、なんか僕はそういった方々とつながっていく気がするんです。いつか会うかもしれないし、導かれていくかもしれない。その上には高次元の何者かが引き合わしているのかもしれない。僕の守護霊や神様たちがそういうふうに導いているとしか思えません。
なんとなく自分は何かに護られていると思っています。本当に悪運が強いんです。何度も会社が潰れそうになっていますけど、なぜか窮地を脱する。不思議なことがたくさん起こる。あ、これは護られているんだなと。使命を全うせいと何かが言っているのだと思います。だから自分の命ある限り、その使命を全うしたいと思います。死ぬときはおそらく役目を果たしたときなのでしょう。運命に従いたいと思います。

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