第8回 少女の頃(5)
香子は15歳の時、姉と一緒に裳着(もぎ)の式ー女子の成人式ーをします。そしてその年、父為時が侍読をしていた花山(かざん)天皇が17歳で即位し、為時は式部丞(しきぶのじょう)蔵人(くろうど)に任じられます。急に為時一家には春が来た様でした。
しかし伯父の為頼は、新しく蔵人頭となった藤原道兼は、腹黒き兼家の息子であるし、油断できないと警戒していました。実際、東宮(皇太子)には兼家の外孫の皇子(後の一条天皇)がなっており、機会あれば花山天皇を退位させて、我が孫を早く即位させたいというのは見え見えでした。
人の好い為時は、道兼の邸の花見にも招かれ、「いやいやそんな悪い人ではないよ」と暢気でした。将来香子の夫となる17歳上の宣孝も蔵人として父の同僚となり、堤邸の宴に来て泊って行った事もあるようです。その折、姉妹が寝ている部屋を訪ねた者がいると香子は書きのこしています。
花山天皇は何人かの妃を持ち、その中で忯子(よしこ?)という女御がお気に入りで、懐妊したのですが、愛しすぎて中々里へ帰さなかったりします。(関西では今でも出産は実家でする事になっていて、関東の人は不思議そうに聞いていました。元は血の穢れという事だったのですが)
あろう事か懐妊中なのに宮中へ呼んだりしたので、女御の体調は思わしくなくなり、そして身重のまま女御は亡くなってしまいます。
これに眼をつけたのが兼家です。道兼はこっそりとしかしせっせと天皇に出家を促します。自分もお伴するからと。そして六月のある夜、天皇を連れて花山寺へ連れていき、ついに出家させてしまいます。途中から、河内源氏らが護衛してきてました。
花山天皇は法皇となり、さあお前も、と言うと、「父親に一度この姿を見せてから」と言って、訝(いぶか)る法皇を尻目に帰ってしまいます。武士たちは刀に手をかけていました。もし強引に道兼が出家させられそうになったら助けよという指令を受けていたのでした。
花山天皇は退位。そして兼家の孫の皇子が晴れて即位。為時は二年足らずでまた失職してしまったのでした。(続く)