第12回 『大鏡』の奏上時期
藤原氏讃美に徹した『栄花物語』の後に現れ、藤原氏批判も含む事件史を鋭く著わした魅力的な歴史書『大鏡』は白河院政期(1086ー1129年)に成立したと言われます。作者は不詳ですが、候補者はたくさんいます。
手掛かりは残されています。『大鏡』の最後「別巻」の所に「これは、皇后の宮の大夫殿がお書き継ぎになって、例の世継(よつぎ)の翁の夢の続きです」と書かれているのです。
実名は公表されていませんが、「皇后の宮の大夫」とは一体誰なのでしょう?学者の方によりそれは二人に絞られています。
本来濃そうなのは、作者に一番擬せられている源顕房(村上源氏)の孫の雅定ですが、彼が皇后宮の大夫になったのは1141年で、すでに白河法皇は崩御しています。後から官名を書いたとも考えられますが。
もう一人は関白師実の次男で家忠という人で、この人は堀河天皇が崩御した嘉承2(1107)年に皇后の宮の大夫になっていて、時期的にはぴったりです。候補者として推す方もいます。まあたくさんの方が書かれて、増補を書いたという事かも分かりませんが。批判的な内容があるので、作者である事を公表しなかったのかも知れませんね。
この家忠という人の母は源頼国(酒呑童子討伐で有名な頼光の息子)の娘です。前述した異母兄師通が若死にした際、次の摂関候補にも上がりましたが、生母が武士という事もあったのか反対が多く実現しませんでした。
子孫は、花山院家となり、平清盛の娘を正室に迎えて子が継いでいます。また後醍醐天皇を輩出し、室町時代の細川氏、近衛家とも繋がってなかなか特異な存在です。(続く)