高価な買い物は続く
判断しなければならないものは次々とやってくる。
お骨をどうするか。
墓をどうするか。
四十九日をするのか。
やるなら、位牌をはじめとする仏具をどうするか。
死んだことも受け入れられていない状態で、次から次へと課題が湧いてくる。
宗派、お寺、各家庭や地域の慣わしで、正解はない。
だから、こまる。
葬儀の方がまだ、プロの方が導いてある程度決めてくれるが、ここからはかなりの難問だった。
まず、夫の両親の希望を聞いた。
全部、好きにしていいという。
なるほど。
じゃあ、子供と相談して好きにさせてもらおう。
子供に聞いた。
パパの骨、どうしたい?
(そんなこと聞かれたって、どんな選択肢があるかわからないだろうな。)
納得いくまで家に置いておく人もいる。
お墓に入れる、海に撒く、木やお花と一緒にする、他の人と一緒にしてあげる、いろいろあるよ、と。
そばに置きたいと言うかな?と思ったら希望は全く違った。
骨、見た時、すごく怖かった。
もうそれは、パパではない。
パパを感じられない。
家に置くのは怖いから、お墓に入れてあげたい。
お墓は近くがいい。
ということだった。
子供は正直だ。骨なんて見たことないもんね。怖いと思う。
骨は怖いが、お墓参りはしてあげたいそうだ。
夫の実家のお墓は遠いので、住まいの近くのお寺にお墓を買うことに決めた。
というわけで、仏壇に続き、お墓を買い、それに伴ってお寺の檀家になる流れとなり、四十九日もすることにした。
結果、仏具もある程度揃えることとし、位牌、御本尊も選んだ。
位牌は夫らしい色の、現代的なものを。
ご本尊や脇侍については、また子供達が(浄土宗なので)法然上人や阿弥陀如来を見て、
だれこれ?パパじゃないし、愛着持てないし、怖い!といういうので、買うのは辞めた。
しかし、仏具屋さんによると、お位牌を守るご本尊は仏壇の必須アイテムであり、それなくしては仏壇やお位牌の意味がないとのお話だったので、アーティストが作ったおしゃれな阿弥陀様を探した。
手作りの可愛らしいお顔で、夫の好きそうな色の阿弥陀さま。
それは子供も受け入れてくれた。
そして、極め付けは墓だ。
墓石はどれにする、何と彫るなど決めて四十九日までに完成するように注文。
こんな冷たい石に、こんなにお金が必要なのか、と思ったが、もう後にも引けないし、どうとでもなれ!と言う気持ちも沸く。
何で死んだの。
何でこんなもの買わなくちゃいけないの。
ひとつも欲しくない。
ひとつも、あなたを感じない。
それでも、死別直後の判断力もない私が何とか決めたのだ。
よく頑張ったと思う。
この時点でまだ、寡婦になりたての主婦。
(つまり無職)
だから、時間だけはなんとか捻出できた。
それでも心も体も、懐もおおいに傷ついた。
かなりの痛手。
主婦だった寡婦には、辛いことばかりだった。
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