好きなお天気は
「雨の日が好きです」
と答えていた自分に驚いた。
え?雨の日が好きだったの?
それは、その時、外が雨だったからか。
その時、なかなかに居心地よかったからか。
雨音に閉ざされたような、
「今日は雨だからね」と、なんとなくいろいろがおさまって、おとなしさを肯定するような気がしたせいか。
あるいは、集中力が高まる感じからなのか。
雨音の強弱を聞きながら、手仕事をしたり、本を読んだり、勉強をしていて、時を忘れるほど集中してしまっていて、ふと「あぁもうこんな時間か」と気付くときの充実感か。
そうか、雨の日が好きだったのか。
「雨の日」で思い出すのは、保育園で。
お外遊びのできない雨の日には、折り紙やお絵描きや粘土あそびをしていた。
雨の湿気を吸った折り紙は、しなやかで、角かどを合わせて折るのにやわらかく、なんだか色もくっきり鮮やかに見えた。
粘土も湿気を吸ってやわらかく、自由自在にふにゃふにゃくねくねと動いて親切だった。
「絵本のへや」では先生が読み聞かせをしてくれたり、ペープサートで「3びきのがらがらどん」をしてくれたのも憶えている。
雨の日の記憶。
車の中で、フロントガラスに雨粒が当たって視界がボヤけ、ワイパーがそれを拭うペースをなんとなく、早めたりしなくて、雨粒をギリギリまでためてしまったり。
傘をさすほどでもないような細かな霧雨が、髪にくっついて銀色に光る。
土砂降りに「キャー」とか「わーー」とか言いながら屋根から屋根へと走ったり、水たまりを飛び越えたりするときの無敵感。
雨宿りはその同じ屋根の下、人も鳥も虫も親しく感じたりする。
ビニル傘に透けて見える雨粒の垂れていく軌跡。バタバタと雨音。ポチョンと落ちる雫。
びしょ濡れで帰ったあとの、タオルがとても優しくて。乾いた着替えに「もう大丈夫だ」と思いながら、窓の外の雨を見る。
「雨の日が好きです」
そうか、私はそうだったのか。
てっきり晴れの日の明るさや、気軽さが好きだとばかり思っていたけれど(きっと数年前ならそう答えていただろうけれど)。
いつの間にか、
雨の日が好きになっていた。
それを気付かせてくれたのは、
曇りの日が好きな人だった。
窓を少しだけ開けて、雨のにおいをかぐ。
今日も雨。
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