京都へいこう。 〈壱〉
日傘と扇子と手ぬぐいと、汗をかきながら、人と日差しをよけながら。
朱色の塔が青空に映えて、わぁ!と足早になる。わぁ!京都だ。清水寺だ。
ちゃわん坂から登った私たちは、仁王門前で清水坂と合流し、振り返るとその人の多さに驚く。やっぱりすごい人だ。
仁王門をくぐると、京都の町が一望。
京都タワーってあれかな。
たくさんの風鈴の下をくぐり、涼し気な音に迎えられ、とうとう清水の舞台の上に立つ。
恐る恐る、ほとんど摺り足で、経りまで。
高い。足がぞわぞわする。腰が引ける。
「清水の舞台から飛び降りる」とは、それはそれは相当な覚悟だ。思うだけでぞわぞわする。
釘を使わずにこの大きな建物を建てる知恵と技術。木の性質を知り尽くし、自然と共にある強固さ、手入れの丁寧さ。1250年もの間。
木はあたたかく、頼もしい。
学業上達、恋愛成就、延命長寿。小学生の頃の修学旅行で三択をせまられた時、私はどれを選んだのだったかな。皆にひやかされながら恋愛成就に並んだろうか。
そして今回、私が選んだのは…。
延命長寿と思っていただいた滝は、勘違いにより、学業上達でしたが、御利益を授かれるのならば、ありがたきこと。
清水坂の途中、人の多さと、気温の高さにくたばりそうで、脇道へ逸れると、音羽窯の焼き物の並ぶ、打ち水を打った飛び石のたたきの奥の、音羽茶寮の暖簾をくぐる。
夫と娘たちは冷たいかき氷と甘い物で。私は、柚子ジンジャーで涼をとり、一休み。
ランチタイムを終えた落ち着いた店内は、そのうちに寒いほど冷えてきて、かき氷と共に添えられた、暖かいほうじ茶が沁みた。
清水坂の、硝子のピアスやかんざし、白虎や天狗のお面、扇子や木刀、日本らしいお土産物に、日本人なのに物珍しげに見てまわる。夫は坂本龍馬の模造刀を買おうかなと言い出すし、私は白虎のお面と天狗のキーホルダーを買いそうになって。きゅうりの一本漬けを美味そうと思ったし、鳥獣戯画のTシャツも欲しくなった。どれも買わなかったけれど、お土産物屋さんはワクワクした。
あんまり暑いので早めにお宿へ向かう。一休みしたら、周りを散歩すればいい。
こころなしか少し暑さもやわらいで、お散歩がてら京都文化博物館へ。
天井の高い、重厚な柱と艷めく床板と、明治の香りがたちこめる。
光の入り方がいっそう美しく。自然と静かになる。古くて良いものは心を落ち着かせる。どこか敬虔な気持ちにも。
博物館のすぐ裏手に、外観からして素敵なアンティークショップを見つけ、誘い込まれ、迷い込むように店内へ。
古い試験管、銅板絵付の豆皿、タイルの流し台、靴屋の木型、アルミの弁当箱、折畳み寸尺、昭和のはじめごろの物たちが所狭しと溢れ、そのいちいちに興奮していた。
「よろしければ二階もどうぞ」と、急な木の階段を登ると、幼い頃に住んでいたオンボロの家の階段を思い出した。
お店の方がさりげなく説明してくださる。
「そちらは和菓子の型で…」
「この辺りはノベルティーもので…」
私の興奮具合に、娘たちはだいぶひいていて(何かまたおかしな物を買わないかと訝って)、おとなしくお店オリジナルの、レトロなデザインがとても私好みのポストカードを何枚か購入して(折畳み寸尺も買えばよかった)、ワクワクを引きずりながら、ようやっとお店を出たのでした。
ゆっくりと散歩をしながら宿へもどる。
河合塾から出てきた学生さんとすれ違い「地理」のイントネーションの違いに振り返る。
お店や道で、なんとなく耳に入る言葉のイントネーションの違い。それが京都なのか大阪なのか、違いはわからないけれど、明らかに私たちの地元とは違う響きが新鮮で。
「おこしやす」
「おおきに」
と真似て歩く。笑顔で、ゆっくりと。
夕飯の時間は19時。
お料理の味付けは、とても優しくほんのり香って、小鉢のあしらいが美しく嬉しく、お腹いっぱいいただきました。
大浴場のまるいお湯にとっぷり癒され、部屋へもどると、テレビの天気予報が台風の行方を報せていた。
「これは、まずいな…」
〈つづく〉
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