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欲しかったもの。


「忙しい」と言う母の背中が嫌いだった。


いつも諦めという寂しさを感じていた。
陶器商を始めて、昼も夜も仕事仕事で、父も母も寝るか食うかの時にしか家にいなくて。

そして、家にいるときの母は、いつも急か急かしていて、話しかけても聞いてなさそうで、怒ったようなキツい口調で返事をするのが常だった。

本読みの宿題も、読書週間の親子読書も、提出物の保護者サインも、
「これ書いて」
と言ったところで、
「お母さん忙しい!見てわからんの?」
だ。そしてそのうち、
「おねぇちゃんに書いてもらって」
と、一番上の姉に丸投げするのだ。

六つ上の姉からは
「めんどくさっ」
と、崩字のサインをされる。

日曜日。
せっかくの休みの日にも母はいない。
朝から友達と、喫茶店へモーニングへ行くのが母の楽しみで、小さな頃は一緒に連れていってもらったりしていたけれど、そうすれば、2時間もオレンジジュース一杯で座っていないといけない。

「おかあさん、まだぁ?もう帰りたい」
と言おうものなら、
「休みの日くらいおかあさんにもゆっくりさせてよ!」
と、鬱陶しそうに睨まれたりするのだ。
おっかないから静かに曲がるストローをクネクネして、氷の穴にストローで息を吹き込んで穴を広げたりしていた。

私には、父や母と一緒に遊んだ記憶などない。
彼らには、子どもと一緒に遊ぶという概念がないように思えた。大人は遊ばないのか、と。

いや、それも仕事のせいか。

六つと四つ離れた姉たちは、母と公園にいる写真が残っているから、きっと遊んでいたんだと思うもの。そのころは、父は勤め人で、母は内職程度しか働いておらず、忙しくはなかったようだ。

お母さんが家にいる、ってどんな感じだろう。
おやつを作ってくれたりするんだろうか?
朝ごはんにホットケーキを焼いてくれたり?
一緒にゴロゴロとテレビを見たりするのかな?
裁縫や編み物を一緒にしたりするのかな?
のび太くんやしずかちゃんのママみたいに?

お父さんと遊ぶってどんな感じだろう?
お父さんは足が速いのかな?
ボール投げるのは上手だろうか?
サッカーとかできるのかな?
そもそも男の人ってどんなふうなんだろう?
私は家庭にいる男の人を知らなかった。

いつも家にいないお父さんが帰ってくると、お酒を用意して、刺身を切って並べる。観たいテレビは強制的に、プロ野球かニュースに切り替わる。
静かにしていないと
「うるさい!聞こえんだろ!」
と怒られるから、さっさとお風呂へ行くか部屋に行くのだ。勉強をしている方が楽だった。

仕事仕事。
「忙しい」と言われれば、私は黙ってお利口にいる方がいいのだと、そう育つうちに、その言葉を聞くたびに胃の奥がウッとなるようになった。

「忙しい」と言われると、自分が拒絶されていると感じてしまうのだ。


結婚を決めてから、夫に、
「『忙しいから』を理由に使わないで。」
とお願いした。その言葉は、私のいろいろのトリガーになってしまっていたから。

母は、あのころのことを、
「とにかく暮らしていくことに必死で、仕事に子育てに必死すぎて。あなたにはさみしい思いをさせて、かわいそうなことをした。」
と詫びてくれたけれど。
それが私の耳には、
「あなたはかわいそうな子だ。だからそんなふうになってしまったのだ。」
としか、聞こえなくなっていた。

寂しさを拗らせて育ってしまっていた。

私はただ、一緒に遊んでくれるお父さんやお母さんが欲しかった。平気で、緊張しずに当たり前に抱きついていけるお父さんとお母さんが欲しかった。にこにこと話を聞いてくれるお父さんとお母さんが欲しかった。忙しくないお父さんとお母さんが欲しかった。

「甘える」ってどういうことなのか、教えて欲しかった。

私の根っこがそんなだったから、自分の子どもたちには絶対にそんな思いをさせたくない。

一緒に遊ぶお母さんになろうと強く思った。

だらだらと隣で寝たり
やりたいことや話すことに興味を持って
たとえくだらないおしゃべりでも
「うるさい!」なんて口が裂けても言わず
聞くようにした
子どもたちの興味や視野を一緒に見ていたい
一緒にドーナツを食べたり
シャボン玉や花火やガチャガチャをして
好きそうな歌やドラマを観て


子どもたちの顔がゆるやかで
冗談を言ったりのびやかに絡んできたり
「ねぇーママー」とノッシと被さったり
学校の参観日で手を振ってくれたり
しんどい夜には布団に入ってくること

お互い顔を見ればなんとなくわかること
そのいちいちが、私には尊いことなのだ。


そんな今があるのは、やはりあんなふうでも必死に暮らしをたててきたお父さんとお母さんのおかげだ。すんなり育ってこれたわけじゃなかったけれど、それでも今、結婚して三姉妹を育てて、子どもたちが笑っていたりする。

欲しかったものを、欲しかったんだと言えるほど、自らを客観視できるようになった。
私と、彼ら(お父さんとお母さん)とは違う道を歩めばいいということに気がついた。

いまだに甘えたり、頼ったり、人と仲良くする加減がつかめないところはあるけれど、私がなりたかったお母さんにはなってこれた気がしている。

帰省してきた長女が当たり前に一緒にお風呂へ入ってきたり、次女が筋肉痛の足をなげだして
「マッサージおなしゃす!」と言ってきたり、隣で歩いていた三女が「猿味が強い!」と私の半分金色のもみあげをつかんだりする、そういう日常が。

私が当たり前に欲しかった日常だった。

なにも肩書きや地位や名誉を得ることだけが『夢』なのではない。

人の顔色を窺わず、平気で笑えて軽口をたたき、周りの人と自然なスキンシップがとれて、弱音を吐きつつもふんばれる人でいること。
「普通」の軽量がわかること。

それは、私にとっては、立派な『夢』なのだ。
普通になりたい、だけなのだ。





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