私個人の問題意識として、「社会の中で、労働の一環としてサービスを提供する側が、特にある種の専門性が求められる領域で、しかも法律や医療ほどその仕組みが整備されていない場合、専門家の責任と道徳や倫理についてどのように考えれば良いのか?」という疑問がありました。特に、人権や差別、多様性や持続性の問題を語ろうとする時、そこに語り得ないような自己矛盾や、問題を別の形で再生産しているような行き詰まりを感じることがありました。そんなこんがらがってしまった糸を解きほぐしくれるような本が、今回紹介するアラン・バディウ『倫理〈悪〉の意識についての試論』になります。以下、序言から引用となります。
バディウは、ここで重要なことを述べています。道徳(公共に関する)と倫理(主体の行為に関する)、主体の問題、そして倫理とは判断するための方法であることを提示しているからです。この三つの問題は、私自身が倫理について考える時に行き詰まってしまう問題でもありました。また、バディウは具体的な定義をいくつかあげて論じてくれるので個人的には読みやすく感じます(政治的な傾向が強いのでその文脈が私には読み解くのに難しさを伴います)。この本でもいくつかあげていますが第一部で三つのテーゼをあげています。以下、本文からの引用となります。
なかなか、難しいですね。少し時間を置いてから思索してみたいと思います。