それからカメちゃんは、仕事は一切せず遺産関係のことで色々な人と電話をすることが増えました。 私はわざとらしく大きな声で話すカメちゃんが嫌いでした。 私は小学校6年生でしたが、カメちゃんは嘘をついていると暮らし始めて2日後くらいには気付いていました。元からそんな遺産なんてないだろうという疑いの気持ちもあって、カメちゃんが電話している姿を注意深く見ていたのです。電話をしている時の会話のテンポ感と電話の音がなっていないのに電話に出る姿、電話口から相手の声が聞こえないことで、不信感が
桜のスタンプが何故、毎通同じ場所に押されていたのかは、2.3年後に知ることになります。 手紙のやり取りが続き、私が小学校6年生の頃突然カメちゃんが退院したということで帰ってきました。 そして、一緒に暮らすことになりました。2.3年振りの再開。小学6年生になっていた私は少しどう接したら良いのか分からない気持ちになりました。 2.3日暮らしたあと母親から、カメちゃんと結婚したことを知らされました。私は小学校6年生でしたが、何で何の相談もなしに結婚してしまうんだろうと思った記憶は
カメちゃんはカメラマンとして活躍していて、お金は持っていたと思います。よく小さい頃は旅行に行ったり美味しいものを食べさせてもらったりしていました。私が小学校3年生くらいになると、1番上の姉(私よりも6個上)はカメちゃんと会うことを嫌がりました。私はまだ幼かったこともあり、不思議に思いながらも特に気にしていませんでした。 小学校4年生くらいになると、お母さんから「カメちゃんは病気になってしまい、入院するからしばらく会えなくなる」と知らされました。 しかし月に何度か手紙を書くよ
カメちゃんは身長が180センチ位でで、 母親よりも20歳以上歳上の男性でした。 私のおばあちゃんより一個歳上だった気がします。 しかしそんなことは気にならないくらい若く見えました。週末は、お母さんとお姉ちゃん2人、カメちゃんと過ごすのが当たり前でした。 私はカメちゃんのことは嫌いではなかったです。小さい頃から遊んでいたし実のお父さんとの記憶はほとんどなかったから、お父さんのような存在でした。しかし、お父さんと呼ぶことには何故か抵抗がありました。小さい頃、カメちゃんをお父さんと
こんばんは☺️ 初めまして、人生山あり谷あり山ありすぎです。 過去のことについて忘れないようにここに 記録しておきたいと思い、始めました。 私は、小さい時に親が離婚していてシングルマザーの母親に育てられました。小さい頃からお母さんが大好きで、1人で働いて私たちを育ててくれる優しいお母さんが大好きでした。お母さんしかいないことに寂しさはなかったし、寧ろ1人で育ててくれてるお母さんを自慢に思っていました。 そんなシングルマザーのお母さんでしたが、お付き合いをしている男性がいまし