猛勉強とジャパニーズ・ドリーム
以前、Twitterを見てたら、非常に素晴らしいツイートがあった。
高学歴の方のツイートで「偏差値をお金に換金しなければならない」というものだった(*出典1)。
☆☆☆
下品ではある。しかし、とてもミクロ経済学的な思考をしている。そう感じた。
実に教育経済学的である。偏差値換金システムとは、それすなわち、勉強がどれだけ金になるかということだ。
経済学は人間の感情を無視している。がんばるとか努力とか、そういうのを無視する。
だが、それが良い。がんばったのだから、障害者もそうだが一生懸命がんばってもそれで年収200万円でも、がんばったから良いじゃないか!
という人文科学的、私の気持ち(私は貧乏だけど満足してますとか言う感情論)を徹底的に排斥している。そして定量的に思考している。
定量的、教育経済学的に言うならば、勉強における自己努力とは、努力したら努力した分だけ人は報われるべきなのだ。
だから経済学は徹底的に、定量的・論理的に思考する。隠さない。100時間勉強したら幾ら金になるのか。1,000時間勉強したらどのような職に就け、幾ら金が増えるのか。
がんばったからそれでいい?私は努力が報われなかったけど、自分の人生に満足している。それでいい?
良いわけないでしょ。良くないんだよそれは。私の満足とか、私はいまの人生に(貧しい暮らしぶりだけど、一生懸命生きてきてそれでも貧しいけど)、だけど満足してる。とか、そういうの経済学は許さない。
頑張ったら頑張った分、全員の所得を増やすのだ。まともな奴は全員豊かにさせるのだ。それが経済学というゲスい学問である。
さて、それをするために、勉強と所得のゲーム理論をまずは使っていこう。
どんだけ勉強すればどの程度の専門職に就け、どれだけ所得が増えるのかのゲーム。日本においての無惨な実態。
まずはそこから見ていこう。
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